仏教を「思想」として紹介するこのシリーズ(全12巻)の第1巻である本書の主題は、当然ブッダその人である。まず第1部「知恵と慈悲の源流」で増谷がブッダの思想を概説し、その成果を踏まえて第2部「ブッダにおける存在論と人間論」で増谷と梅原が対談、第3部「仏教の現代的意義」では梅原が現代(人)にとって仏教とは何かを論じる。第2部と第3部はたいした内容ではないので、ここでは第1部のみを概説する。
まず最初に、ブッダ登場の様子が当時の時代状況とともに描かれる。貿易と伝道が同じ道を使用していたことに示されるように、ブッダの宗教活動は諸交通の舞台である古代都市ではじめて可能になった。しかも、ブッダはそうした古代都市に出現した新しい自由主義的思想家たち(六師外道)と多くの関心を共有していた。これは古代都市アテナイにおけるソフィストとソクラテスの関係にたいへん似ている。次に、ブッダの思想の体系が述べられる。ブッダの思想とは、ひとことでいえば「流動する存在論」である。縁起の法によって「なるもの」として存在を考える存在論だ。この辺りの事情については同じ著者による『釈尊のさとり』を参照されたい。そしてそれを人間の局面に適用して「無常」「無我」の概念が生まれた。最後に、ブッダの実践の体系が述べられる。ブッダ最初の説法といわれる「四聖諦」は欲望論であった。そこでブッダが説くのは無欲ではなく小欲である。禁欲主義でも快楽主義(註1)でもなく、中道(バランス)をこそ説くのである。それを可能にするのが知恵であった。そしてこの知恵に基礎づけられた中道の徳によってこそ、平安と自由、すなわち涅槃が実現される。
本論で興味深かったのは、ブッダにおける「友愛」がとりあげられていたことだ。善き友をもつことは、正しい道の必要条件であるどころか、この道のすべてであるとブッダはいう。慈悲とは、生きとし生けるものとすぐれた関係をもつことによって生まれる徳以外ではなかったのである。(吉田浩)
(註1)ここでは、激越な欲求の充足をのみもとめる心性のこと。エピクロスの快楽主義については別に論じる予定。