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近ごろ、美術館へ足を運ぶと、一見「芸術」とは思えないような展示物に出くわすことがある。青い直線が一本だけ引かれた真っ白なキャンバス、ごみ箱から拾い集めたあき缶でつくられたスポーツカー、そして素人でも撮れるようなポラロイド写真。40年も前には、ほとんど見られなかった光景だ。どうして近年の美術館やアートギャラリーには、こういった作品が目につくようになったのか?哲学者アーサー・ダントによれば、それは「芸術」が「終焉」したためである。つまり、ヘーゲルをはじめとする西洋の思想家が定めた「芸術」の向かうべき「真理」への方向性が、1960年代−特にアンディ・ウォーホルのポップ・アート−を境に、「破壊」されたためである。しかし、この「絶対芸術」に向けて轢かれたレールの「解体」は、ダントによれば、西洋の規定した「美」の一元的追求からの「解放」という意味あいを持つ。そして、この芸術的に「解放」された60年代中盤以降を、本書は、いささか挑発的に「芸術のポスト歴史時代」(Post-Historical Period of Art)と呼ぶ。
ダントによれば、西洋で築かれた「芸術」とは、つねに「真理」へ到達するための最良の(そして唯一の)の手段だと、アリストテレスからヘーゲルからミケランジェロからスーラに至るまで、思想家や芸術家の間で唱えられてきた。キリスト教的な「救い」が「再発見」されたルネッサンス時代、直線的な「進歩」が賞賛された啓蒙思想時代、そしてゴッホやゴーギャンとともに来訪した「近代」という時代。先行する伝統や芸術観に根本的欠陥を感じたそれぞれの活動家たちは、おのおのの打ち出す解釈に超越性、さらには一種の絶対性を見い出した、と本書は説く。そもそもなにが絵画Aを「芸術」と定め、絵画Bをそうではないとみなすのかは、ダントに言わせれば、一種の「理知の言説」(discourse of reasons)による。したがって、ヨーロッパ中心主義的な思想的枠組みのなかで、芸術家たちは自らの美学の絶対性を主張する一方で、他者のそれを排斥しようという言説的作業を試みた、というのだ。当然、ダントも鋭く叙述するように、「芸術」の言説がその「死」を迎えた20世紀になるまで、何世紀も前に生産されたアフリカの木製彫刻や中国の山水画は、「芸術」とは見なされなかった、ということになる。
それでは、60年代にいったいなにが起こったのか。ダントの主張によれば、ポップアートやミニマリズムの登場と並行して、「芸術」の言説が多元化したというのだ。「芸術家」は歴史と伝統に拘束された、欧州のエリートに定められた「芸術作品」を再生産する使命から完全に解放され、もはや「真理」の追求という哲学的命題とは無縁の創作活動を行うことが可能となった。そんな「芸術」のパラダイム・シフトにより、美術館は文字どおりの「美」の館から、文化の祭典(cultural fair)へと変貌した、とダントは説く。
本書を批評するにあたり、まずはダントの時折難解な文章を指摘しておく(これが必ずしも悪いというわけではけっしてない)。議論における批評としてまず挙げたいのが、芸術の言説と社会のインタープレイについてだ。フレデリック・ジェイムソンにいわせれば、ポップアートやポストモダンアートが現れた裏には、下部構造の変質−つまり帝国主義的経済から多国籍産業経済への移行、もしくはいわゆる「後期資本主義」の到来−があるということになるが、ダントは思想的変化と社会状況の因果関係にはほとんど触れない。つまり、ダントは「芸術の終焉」を大胆に宣言する一方で、なにがこの変化を促したのかを明確にしないのだ。したがって「芸術の終焉」とは、個人の才腕のみが引き起こした偶発的現象なのか、それとも時流の諸要素が引き起こした歴史的過程なのかが不明確なのである(ちなみに評者は後者に多大な影響力を見る)。
また、部分的にさまざまなジャーナルや学術雑誌に掲載された本書には、逸話を求める好奇心が強い反面、寄り道も多い。この散文的な全13章を読んでいくと、「理知の言説」に関する歴史的考察が多分に恣意的であることに気付く。例えば、アートの60年代以降の新たな潮流を語るにあたり、ダントはオップ・アート(Op Art)やフルクサス(FluXus)の位置に関して言及しない。とくにテレビ・アートや上流階級を風刺した作品を残したナム・ジュン・パイク、オノ・ヨーコ、そして他のフルクサスの面々の仕事は、ダントの賛美する芸術の「多元化」に重要な貢献をしている。「ポスト歴史時代のアート」の全容は、ダントの描くそれより、はるかに広い。
本書の挑発的な議論には、当然「絶対的」な説得性があるとはいえない。しかし、それを言説の多元化を唱えるダントの戦略と解釈するのは「読みすぎ」というものであろうか。いくつか批判は挙げたが、『ポスト歴史時代における芸術』は刺激的な芸術論であることには間違いない。「芸術の終焉」という議論は極端に感じられるかもしれないが、ウォーホルらが世界的に認められるようになった背景には、「芸術」になんらかの質的変化が起こったのだと考えてよいのではなかろうか。全米批評家賞も与えられたダントの著作には、今後とも注目していく価値があるだろう。(北村洋)
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