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H.ディールス+W.クランツ編訳 『ソクラテス以前哲学者断片集』


■書誌■

書 名  『ソクラテス以前哲学者断片集』(全5分冊+別冊1)   Die Fragmente der Vorsokratiker (3Bde)  書影
編 者  ヘルマン・ディールス+ヴァルター・クランツ   Hermann Diels + Walther Kranz 
訳 者  内山勝利(全訳者は後述)    
出版社  岩波書店   WEIDMANN 
頁 数  367 + 333 + 343 + 329 + 255 + 394頁   504 + 428 + 660 pages 
定 価  4600 + 4600 + 4600 + 4600 + 4400 + 5000 円    
発 行  1996年12月 - 1998年12月   1951-1952 
ISBN      


■書評■

あなたが高校や大学の授業や講義で「哲学はタレスからはじまりました。タレスは万物を成り立たせている基本要素を水と考えたのです」と聞いたとする(もしくは哲学史の本で読んだとする)。もしここであなたがその情報を事実として(あるいは試験のために)記憶して終われば、話はここで終わる。

しかしもし、ここであなたがもう少し煎じ詰めて探究してみようと思ったとしよう。すると「タレス自身は実際のところ、どういう了見でそういう主張をしたのか?」と考えるかもしれない。そして「じゃあひとつタレスが書いた本でも読んでみるか」という話になる。そこで学校の図書館や書店でタレスが書いた本を探す。もちろん見つからない(というのもタレス自身は本を書き残さなかった、あるいは書いたとも言われるものの伝存していないので)。そこで次善の策としてギリシア哲学について書かれた本を読む。すると、タレスが「万物の基本要素は水だ」と言ったのは、どうやらアリストテレスが言っているらしいことがわかる。おやおや人づての情報か。なにかこう、タレスについてもっと直截的に触れることができる書物はないものか。そう思ってあなたはそのギリシア哲学の本の巻末の参考文献一覧を眺める。

そこにはひょっとしたらこんなアドヴァイスが記してあるかもしれない。「古代ギリシアの哲学者についてより詳細な情報を求める読者は、Die Fragmente der Vorsokratiker に当たられるとよいだろう」 そこであなたは早速その本を探すことにする。

こうしていまやあなたの目の前には本書やその邦訳版が置かれている。原書なら無愛想な青い装丁の三巻の本、邦訳版なら一冊ずつ箱にはいった六巻の本だ。〔★1〕

★1――邦訳版第VI分冊に収められた邦訳版編者の内山勝利氏による解説を拝借しながら本書の成立事情を簡単に眺めておこう。本書はドイツの古典文献学者ヘルマン・ディールス(Hermann Diels, 1848-1922)が編集したソクラテス前後の人々による/についての言説を集めた書物だ。第1版は1903年に一巻本として刊行された。1906-07年に刊行された第2版では2分冊となり、1910年にはディールスの許で学んでいたヴァルター・クランツ(Walther Kranz, 1884-1960)による用語索引(Wortindex)が第2分冊の後半として追加された。ディールス歿後、1934-38年の第5版でクランツによる大幅な改訂が施され、本編2巻+索引1巻(原書の第3巻はまるまる索引に当てられており、ギリシア語の単語、固有名詞、出典から本文を引けるようになっている)というそれ以後の版が踏襲する編成になる。本書はへルマン・ディールスとヴァルター・クランツの共編となっているが、こうした経緯があってのことだ。そういう訳で原典を入手する場合には、とくに意図してのことでなければ第6版以降のものを入手するのがよいと思われる。

あなたは早速最初の巻を手にしてみる。巻末(邦訳版なら巻頭)にある目次を開くと、「オルペウス」「ムゥサイオス」「エピメニデス」「ヘシオドス」「ポコス」「クレオストラトス」「シュロスのペレキュデス」「テアゲネス」「アクゥシラオス」「七賢人」とあってようやく目当ての「タレス」につきあたる。頁を繰ってタレスの項目を読む。

何頁もないタレスの項目を読み終わったあなたは、ある種の満足感とともに少なからぬ失望感を味わう。結局のところ、タレスが書いたものは何一つとして遺されていないことがわかったからだ。タレスについてわかることは、後世の作家たちがタレスについて述べたこと、それがすべてだ。あなたは軽い眩暈に襲われる。かつてタレスなる人物が生きて活動していた証は、人々の証言の中にしかないのだ。いや、それは当然過ぎるほど当然のことだ。むしろタレスという人物の言説がわたしたちの手許にまで送り届けられているそのことのほうが余程稀有なことではないか(そして早晩本書の全体を通読し終えるはずのあなたはタレスに限らず本書に項目立てされた人物のほとんどはタレスの場合と同じように、じつに危うくその言説が現在に伝えられてきたものであることを知ることになる)

資料を辿る旅は一端終着した。さしあたりタレスが書き残したものはなく、タレスについて書かれた資料の多くがここにある。あなたは考え続ける。それにしても一体タレスは何を考えて万物の基本要素を水だと言ったのだろう……。あなたはここで思い起こす。だが待てよ、『ソクラテス以前哲学者断片集』に集められた資料を読む限りでは、タレスの水=万物の基本要素説を紹介しているのはアリストテレス(あるいはアリストテレスに依っている人々)だけだ。もはやあなたは「タレスは万物の基本要素を水だ、と主張した」と素直に言うことはできない。なぜならより正確にはこう言うべきであることをいまや知っているからだ。「タレスは万物の基本要素を水だと主張した、とアリストテレスが言っている」と。もちろん、些細な差異にこだわりたいのではない。そうではない。あなたは思う。ここには何か哲学のはじまりとでも言うべき事態について考えるためのヒントが隠されていはしまいか。そう言えば原書のタイトルが Die Fragmente der Vorsokratiker つまり直訳すれば「ソクラテス以前の人々の断片集」とでもなるところを邦訳版では『ソクラテス以前哲学者断片集』としているのも意味あり気だ……。こうしてあなたは「哲学とは何か?」という問いに引きこまれ、哲学と非哲学の境界という問題を念頭に置き、再び本書を読み返し、そして今度はそこに集められた元の資料へと探究の歩みを進めるだろう。

仮に「哲学とは何か?」という問いに促されなかったとしても、本書はやはり興味の尽きない書物だ。たとえばあなたはかつてこんな風に考えてみたことはなかっただろうか。もしあなたが自然科学の書物や学校での教えで得た知識を持ち合わせていなかったら、太陽や星々の動きを、月の輝きを、世界を構成する物質を、一体なんと考え、説明した(あるいは説明できる)だろうか? いやそもそも「世界を構成する物質」などという考えを思いつくだろうか? と。『精神現象学』におけるヘーゲルの言い分ではないが、わたしたちは多くの場合自分で探究するより前に、教育の名のもとに抽象化・体系化された知を受け取り、それで自足している。意地悪く見れば、教える側はまるで思考停止を推奨しているかのようだ。「ほら、ご覧。それについては今更君が考えてみるまでもなくこういう知識を覚えておけばいいんだよ」 それに対して本書に集められた断片を読む悦びは、思考(まだ十分に独断的な傾向を免れているとは言えないものの)が対象(世界や自然、諸現象)を掴もうとしながら生成するその現場を垣間見させてくれることにある。生成する思考の一大コレクションである本書は、同時に探究されるべき問題のコレクションでもあり、もはや言うだけ野暮というものではあるがそんな書物がおもしろくなかろうはずがない。「哲学」という言葉を一端脇にどけて、いやむしろ積極的に哲学という言葉を忘れてこの楽しみを享受してみること。寝転がって適当に開いた頁を拾い読んでみること。これもまた本書の正しい使用法のひとつであろう。

したがって Diels-Klanzの全訳刊行という偉業を遂げた岩波版に対して、もしあなたが文句を言うことがあるとすれば、それは全体を五冊(別冊はともかくとして)にも分断してとりまわしの便を損ねていることぐらいではないだろうか。とはいえ、この不便に対する注文は後述する日下部氏による文庫版がおおいに補ってくれているので贅沢に過ぎるかもしれない。(八雲出)



■備考■

なお本書には上記のほか、次の邦訳がある。

『初期ギリシア哲学者断片集』(山本光雄訳、岩波書店、1958)

『初期ギリシア自然哲学者断片集』(日下部吉信編訳、全3巻、ちくま学芸文庫ク6-1,2,3、筑摩書房、2000/11, 2001/01, 2001/07)
 Diels-Klanz 第6版に基づいて編集されている。収録されている哲学者は、第1巻=タレス、アナクシマンドロス、アナクシメネス、ピュタゴラス、クセノパネス、ヘラクレイトス、パルメニデス、ゼノン、メリッソス、第2巻=エンペドクレス、ピロラオス、アルキュタス、アナクサゴラス、第3巻=レウキッポス、デモクリトス。

・廣川洋一『ソクラテス以前の哲学者』講談社、1987; 講談社学術文庫1306、講談社、1997/11)
 第二部に断片の邦訳を収録している。アナクシマンドロス、アナクシメネス、クセノパネス、ピロラオス、ヘラクレイトス、パルメニデス、ゼノン、メリッソス、エンペドクレス、アナクサゴラス、デモクリトス、プロタゴラス、

『ギリシア思想家集』(世界文学大系63、筑摩書房、1965)

『初期ギリシア哲学者断片集』 『初期ギリシア自然哲学者断片集』 廣川洋一『ソクラテス以前の哲学者』



■目次■

以下に本書の目次情報を邦訳版に従って掲げる。原書では第1章から第58章までを第1巻、第59章から第90章までを第2巻に収録している。

■第I分冊(1996年12月)
 訳者=内山勝利+国方栄二+藤沢令夫+丸橋裕+三浦要+山口義久
 付録1=埴谷雄高「変幻者」/白川正芳「哲学のパラドックス――ギリシャ初期哲学をめぐって」(埴谷雄高氏との対話)

 第I部 端緒
  (A)初期宇宙論
   第 1章 オルペウス
   第 2章 ムゥサイオス
   第 3章 エピメニデス
  (B)紀元前6世紀の天文詩
   第 4章 ヘシオドス
   第 5章 ポコス
   第 6章 クレオストラトス
  (C)散文による初期宇宙論および箴言
   第 7章 シュロスのペレキュデス
   第 8章 テアゲネス
   第 9章 アクゥシラオス
   第10章 七賢人

 第II部 紀元前6世紀・5世紀の哲学者たち(およびその直接の後継者たち)
   第11章 タレス
   第12章 アナクシマンドロス
   第13章 アナクシメネス
   第14章 ピュタゴラス
   第15章 ケルコプス
   第16章 ペトロン
   第17章 ブロ(ン)ティノス
   第18章 ヒッパソス
   第19章 カリポンとデモケデス
   第20章 パルメニスコス(パルミスコス)
   第21章 クセノパネス
   第22章 ヘラクレイトス

■第II分冊(1997年06月)
 訳者=内山勝利+日下部吉信+国方栄二+藤沢令夫+丸橋裕+三浦要
 付録3=渡辺義雄「西洋哲学の古事記」/北嶋美雪「エンペドクレス断片をめぐって」/猪木武徳「「ソクラテス以前」あれこれ」

   第23章 エピカルモス
   第24章 アルクマイオン
   第25章 イッコス
   第26章 パロン
   第27章 アメイニアス
   第28章 パルメニデス
   第29章 ゼノン
   第30章 メリッソス
   第31章 エンペドクレス

■第III分冊(1997年11月)
 訳者=内山勝利+日下部吉信+国方栄二+丸橋裕+森泰一+山田道夫
 付録4=逸身喜一郎「ジグソー・パズルと断片集」/E.クレイク「ピロラオスの身体観」(内山勝利訳)/「古代貨幣に見る哲学者の肖像(I)」

   第32章 メネストル
   第33章 クスゥトス
   第34章 ボイダス
   第35章 トラシュアルケス
   第36章 キオスのイオン
   第37章 ダモン
   第38章 ヒッポン
   第39章 パレアスとヒッポダモス
   第40章 ポリュクレイトス
   第41章 オイノピデス
   第42章 キオスのヒッポクラテス, アイスキュロス
   第43章 テオドロス
   第44章 ピロラオス
   第45章 エウリュトス
   第46章 アルキッポス, リュシス, オプシモス
   第47章 アルキュタス
   第48章 オッケロス
   第49章 ティマイオス
   第50章 ヒケタス
   第51章 エクパントス
   第52章 クセノピロス
   第53章 ディオクレス, エケクラテス, ポリュムナストス, パントン, アリオン
   第54章 プロロス, アミュクラス, クレイニアス
   第55章 ダモンとピンティアス
   第56章 シモス, ミュオニデス, エウプラノル
   第57章 リュコン(リュコス)
   第58章 ピュタゴラス派
   第59章 アナクサゴラス
   第60章 アルケラオス
   第61章 ランプサコスのメトロドロス
   第62章 クレイデモス
   第63章 イダイオス
   第64章 アポロニアのディオゲネス
   第65章 クラテュロス
   第66章 ヘラクレイトス派のアンティステネス

■第IV分冊(1998年02月)
 訳者=内山勝利+角谷博+鎌田邦宏+高橋憲雄+中畑正志+三浦要+山田道夫
 付録4=戸塚七郎「アブデラと二人の哲学者」/徳永宗雄「原子論と現代」/「古代貨幣に見る哲学者の肖像(II)」

   第67章 レウキッポス
   第68章 デモクリトス
   第69章 ネッサス
   第70章 キオスのメトロドロス
   第71章 スミュルナのディオゲネス
   第72章 アナクサルコス
   第73章 アブデラのヘカタイオス
   第74章 アポロドロス
   第75章 ナウシパネス
   第76章 ディオティモス
   第77章 アブデラのビオン
   第78章 ボロス

■第V分冊(1997年03月)
 訳者=内山勝利+角谷博+小池澄夫+瀬口昌久+仲川章+朴一功+山口義久
 付録2=廣川洋一「知者の「笑い」」/鈴木照雄「「ソクラテス以前の哲学」管見」/中務哲郎「怪人エピメニデス」

 第III部 初期ソフィスト思想
   第79章 名称と概念
   第80章 プロタゴラス
   第81章 クセニアデス
   第82章 ゴルギアス
   第83章 リュコプロン
   第84章 プロディコス
   第85章 トラシュマコス
   第86章 ヒッピアス
   第87章 ソフィストのアンティポン
   第88章 クリティアス
   第89章 イアンブリコス所引の逸名ソフィスト
   第90章 両論(ディアレクセイス)

■第VI分冊(1998年12月)
 第VI分冊は、主要哲学者の原著作断片集の再録と索引、各種資料を収録。
 付録6=梅原猛「ソクラテス以前の哲学への熱い思い」/藤縄謙三「世界の四聖の中のソクラテス」/「ディルタイへの献詞」/訳者紹介

 『ソクラテス以前哲学者断片集』について(内山勝利)
 主要哲学者の原著作断片集[再録]
  クセノパネス
  ヘラクレイトス
  パルメニデス
  エンペドクレス
  アナクサゴラス
 固有名詞索引
 出典個所索引
 資料
  文献案内
  ソクラテス以前哲学年表(前4世紀末まで)
  ソクラテス以前哲学者の学説誌伝承系譜
  ソクラテス以前哲学関連地図
 総目次





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