本書は、テリー・イーグルトンがバックネル大学で行った二つの講演「理論の意味作用」と「アウシュヴィッツ以後の芸術――アドルノの政治的美学」を中心に構成されている。ほかにマイケル・ペインとの対話、マイケル・ペイン、M.A.R.ハービーブそれぞれによる序論、イーグルトンの著作年譜がおさめられている。ここでは表題でもある講演「理論の意味作用」についてレビューをこころみたい
[★1]。
理論を理論的に考察すること、つまりメタ理論について語ることがこの講演の眼目である。イーグルトンによれば、人間がその他の動物と異なるのは、記号に囲まれて生き、記号によって世界の意味を変えながら生きる存在であることだ。彼はわれわれが理論をつくりそれを用いるのは、記号がわれわれの生にもたらす不安定さを安定させるためである、と主張する。ところでこの記号がはらむ不安定さは、創造(そしてもちろん破壊)を含むさまざまな人間活動の契機でもある。記号が創造の種となりうるものであり、理論がそれを抑圧するものであるという意味でなら、理論は保守的なものと言われうる。しかし、理論が起こるのは得てしてそれまでの伝統的な理論の根拠が疑われ廃棄される危機にある、つまり理論によって保証されてきた記号の安定性が破れ、ふたたびその不安定さがあらわれるときであることに注意しよう。
理論はそれを行使することによって対象に影響を与えずにはおかない。理論がいかなる影響を対象に与えたかを考察するためにはさらなる理論、つまりメタ理論化が必要となる。言うまでもなくこの過程は無限に行いうる。この終りのない理論の理論による考察をうちきるためには、いわば最後の理論とでもいうべき包括的な理論に到達する必要があることにひとは気づくかもしれない。だがイーグルトンによれば、そのような究極の理論に到達することは不可能である。
以上のように理論の効用と限界を提示したうえで、イーグルトンはさらに政治的次元における理論の効用と限界をやや具体的に考察する。イーグルトンが言及するのは欧米について(とは言っても先に「やや具体的に」と述べたようにごく軽くでしかないが)であって、自己をとりまく諸々の環境について理論の効用と限界を考察する愉しみは、もちろん読者であるわれわれに残されている。(八雲出)
★1――本書におさめられたもう一つの講演「アウシュヴィッツ以後の芸術――アドルノの政治的美学」は『美のイデオロギー』(The Ideology of Aesthetic)にも収められている(同書第13章)。同書のレビューでとりあげる予定。