エピクロスの作品は断片的にしか残されていないが、幸運にもディオゲネス・ラエルティオスが彼の書いた書簡などを保存してくれた。
『ギリシア哲学者列伝』(下巻、加来彰俊訳、岩波文庫)の第10巻に収録されているものがそれである。これに加え、
1888年にヴァチカンの写本から発見された断片と、後の人々がエピクロスの言葉として引用した断片とをまとめて収録したのが本書である。
エピクロスの哲学はふつう、快楽説と呼ばれる。しかし快楽説というとき、まずはこの言葉からわれわれが連想する刹那的で卑猥なイメージから自由になろう。エピクロスにおける快楽とは、まずなによりも煩いのないこと(アタラクシア)であり、快楽という日本語から通常われわれが連想するイメージとは無縁である場合が多いからだ(むしろ独自の禁欲主義といえる)。アタラクシアとはなにか。それは飢えや乾き、自然や神にたいするおののきや死にたいする恐怖、人間関係における煩わしさなどから自由になり、心身が平静と安心に満たされた状態をいう。このアタラクシアこそがエピクロス哲学におけるアルファでありオメガである(だから彼の基準論や自然学、倫理学もすべてその一点に収斂していく)。人間が快活に生きることを妨げ、生の価値を縮減するものは、死や神々にたいする恐れ、そして人間関係における気の違った狂騒である。彼はこれらの煩いを避けて生きるために、死はわれわれにとってまったく外在的でありなにものでもないこと、神々は至福の存在でありわざわざ人事にかかずらうことなどないことを示し、そしてかくれて生きることをすすめるが、これらはアタラクシアに至るための最上の知恵である。(吉田浩)