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フランツ・ファノン 『黒い皮膚・白い仮面』


■書誌■

書 名  『黒い皮膚・白い仮面』   Black Skin White Masks  書影
著 者  フランツ・ファノン   Frantz Fanon 
訳 者     
出版社  みすず書房   Grove Press, New York 
頁 数     232 pages
定 価     $12.00 (US) 
発 行     1967 
ISBN     0-8021-5084-5 


■書評■

1903年の名著、『黒人のたましい』のなかで、W.E.B.デュボイスは「20世紀の問題は、(白人と黒人を隔てる)人種の境界線の問題だ」と唱えた。その約半世紀後(1952年)にフランス語で著されたフランツ・ファノンの『黒い皮膚・白い仮面』は、デュボイスが取り上げた20世紀における「人種の境界線の問題」に挑んだ論考である。マルチニーク島で生まれ、フランスで精神分析を学んだファノンが対象とするのは、あくまでアンティル諸島の黒人だ。しかし、本書の分析は黒人の住む他の地域にも通用する、と筆者はほのめかす。『黒い皮膚・白い仮面』は、心理学的視座から、白人−黒人間の問題と黒人のアイデンティティを考察する。

ファノンによると、「黒人」とは「白人」という「他者」との関係によって成立する。問題は、その差異が不均衡だという点だ。白人を中心に築かれ、統治されてきた植民地社会において、黒人はつねに己の存在に劣等感を抱いて生きる宿命を担う。その結果、黒人は自らのアイデンティティから逃避しようと試みるのだ。

この逃避劇は、まず「言葉」にあらわれる。白人社会への同化意識を抱く黒人たちは、クレオール語を捨て、フランス語の「r」発音を会得しようとする。続いて、ヨーロッパ社会のマナーや生活様式を学び、白人の交際相手を探すようになる。アフリカやカリブの習俗が恥ずべきものだと信じこまされてきた黒人たちは、そんな劣等感から自分を解き放つために、必然的に「白人」になる道を選ぶのだとファノンは主張する。

心理学者ドミニク・マノーニが人種偏見を貧しい白人小市民の抱く嫌悪感だと解釈するのに対し、ファノンは社会(の心理)構造そのもの(特に植民地社会において)を問題視する。黒人=劣性というコンプレックスはただ漠然と存在するわけではなく、それは一種の集合的無意識として機能する。したがって、黒人たちは、まず個人レベルにおいて白人への羨望意識を放棄しなければならない。一人一人が、己が抱く無意識の意識を認識し、その呪縛から自分を解放することによって、はじめて社会構造の再編成へ近づくことができる、と『黒い皮膚・白い仮面』は説くのだ。

「人種」を社会的な発明だと唱えるファノンの論考には、とても1952年のものとは思えない斬新さが感じられる。しかし、あえて批判を加えるとすれば、「白」「黒」以外の人種の欠如や男性中心的な解釈(これはアン・マックリントックが指摘している)の他に、本書の心理学的枠組みから、反発(そして暴力)という解放手段が漏れていることが挙げられる。デュボイスの生きたアメリカでは、プロッサー、ヴェーシー、ターナーなどが引き起こした黒人の暴動が歴史に刻まれている。ハイチでは19世紀初頭に、クレオール人の蜂起があった。近年の研究には、奴隷制下の黒人たちが農具を意図的に壊す、わざと時間に遅れる、主人の命令が聞こえないふりをする、といったさまざまな形で日常的に体制に反抗した、と論議される。黒人が社会の心理的「抑圧」から自己を守るには、アイデンティティの放棄以外にも手段があったと考えるべきであろう。

ファノンのいう「白人」になりたがる「黒人」とは、つまるところ中産階級やエリートを指すのではないか。『黒い皮膚・白い仮面』には、なによりもはじめに、知識人であり、革命家であるファノン自身の葛藤と闘争が表象されているように思える。いずれにせよ、黒人史における本書の重要性は、デュボイスの『黒人のたましい』のそれに相当する。ポストコロニアリストでない読者/研究者にも読まれるべき論考。(北村洋)



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