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| M.ハイデガー『世界像の時代』 |
| 書 名 | 『世界像の時代』 | Die Zeit des Weltbildes |
| 著 者 | マルティン・ハイデガー | Martin Heidegger |
| 訳 者 | 桑木務 | |
| 出版社 | 理想社 | |
| 頁 数 | A5判102頁 | |
| 定 価 | 1748円(本体) | |
| 発 行 | 1962年01月25日 | 1950 |
| ISBN |
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1938年6月9日に「形而上学による近代的世界像の基礎づけ」と題して述べられた講演である。技術論とともに、ハイデガーの近代史観を示す重要な文献だ。
まず、形而上学が時代を基礎づけるということが確認される。形而上学は存在するものにある一定の解釈を加え、真理を一定のかたちで捉えたりするが、時代の諸現象はその存在や真理のありかたの土俵の上で現れるからである。だから近代の本質を捉えようとするならば、近代の諸現象のうちに形而上学的根拠が認識されなければならない。 ハイデガーは近代の本質的な諸現象として以下の5つを挙げる。1.学問(近代科学)、2.機械技術、3.生の表現としての芸術、4.価値としての文化、5.神々の退場。本書では学問(近代科学)に問いを限定し、その形而上学的根拠から近代の本質を認識することが試みられる。 学問(近代科学)の本質は研究にある。研究は「企画」と「厳密さ」、「方法」と「企業」という要素から構成されるが、それは存在するものをどのように把握するのか。対象化=表象すること(まえに-立てること)によってである。対象化=表象することとは、計算し、処理し、確保し、利用するための量的な素材として存在を捉えることである。ここにおいて決定的なのは、近代において人間が主観になったということだ。存在を対象化=表象する働きは主観性によるものであるほかないからだ。その結果、世界は像としてあらわれることになる。いやむしろ、人間が主観として成立することと、像としての世界が成立することとは、同一の事態を示しているといえる。そこでは、人間の能力の領域が、すべて存在を支配するための場所となる。その場所が世界像(像としての世界)なのである。だから近代以前に世界像は成立しえない。例えばギリシア精神では、人間は主観的な存在ではなく、存在の開けによって引き入れられ集められたものであった。つまり、近代的諸現象の形而上学的根拠とは存在の対象化=表象化であり、近代の本質とは世界が像としてあらわれるということなのである。それは主観としての人間による、存在支配の時代である。 しかし、あますところなく量的に計算可能となった世界は、その極点において計算されえぬ独特の質へと転化する。そして現在、計量しえないものが見えない影となって一切の事物を覆っているのだが、われわれ現代人にはその影を知ることが拒まれている。人間はこの計量しえないものを、ただ真の反省の力からする「問うこと」と「形成すること」においてのみ、知ることができる。この反省の力は、将来の人間を「あいだ」に置くであろう。その「あいだ」こそ現-存在、つまり存在の現れと隠れとのあいだの脱自的な領域のことだ。 以上が本書の概略。最後のパラグラフについては、同じ著者による『「ヒューマニズム」について』を参照されたい。(吉田浩) |
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本講演のテクストは書誌に記した桑木訳、理想社版のほかに下記の翻訳がある。
★『ハイデッガー全集』第5巻(茅野良男+ハンス・ブロッカルト訳、創文社、1988/08)
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・ROUTE#005「文明批評の視座」−当劇場内の書評ROUTE。
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