|
プラグマティズムは、ある特定の思想や観念を表明するものではない。それは方法である。ある思想や観念が実際にどのような効果を及ぼすのかという観点からそれらを検証する。この思考方法がプラグマティズムだ。ひとは抽象的な思想なり観念なりが真であるか偽であるかを議論してやむことがない。しかしプラグマティズムは、それらを実際的な効果の観点から吟味にかけることによって、いつ果てるとも知れない不毛な論争に終止符を打つ。またそれは、自ら思想や観念を生み出し組み立てる際の試金石となる有益な方法でもある。もちろん、こうした方法自体は決して新しいものではないし、それをジェイムズばかりがものにしたわけでもない。さまざまな時代と場所においてこの方法は採用されてきた。本書が「ある古い考え方をあらわす新しい名前」という副題をもつのもそのためだ(註1)。だからこれは、わたしたちがものを考えるときにたえず立ち返るべき古くて新しい原則だと考えるのがよいだろう。わたしたちが不毛な議論のための議論に埋没しないために。また自らの思想や観念の有効性と妥当性を冷静に判断するために。(吉田浩)
(註1)たとえば、もっとも古いプラグマティストのひとりとしてブッダの名を、ジェイムズと同時代のプラグマティストのひとりとしてニーチェの名を挙げることができるだろう。
(付記)もともとこの「プラグマティズム」という名称の発案は、ジェイムズ自身が述べている通り、チャールズ・S.パースの手になるものだといわれる。パースはジェイムズによるプラグマティズム理解に不満を抱き、しまいには「プラグマティシズム」なる名称を新たに発案することになる。ここではパースのプラグマティズムとジェイムズのプラグマティズムの違いに言及する余裕はないが、両者のプラグマティズムをそれこそプラグマティックな観点から比較検討してみるのも一興であろう。プラグマティズムの誕生、そしてパースとジェイムズの関係をめぐる簡単なスケッチについては、伊藤邦武「プラグマティズムの源流」(『岩波講座 現代思想7 分析哲学とプラグマティズム』所収、岩波書店、1994年)を参照されたい。
|