本書のモチーフは「世界の根源的な意味づけ方」を意味づけることである。
世界の根源的な意味づけ方とはすなわち<終末>を設定するプログラム(終末論)にある。終末論とはなにか? それは人生、世界を意味づけるための虚構である。直線的時間ないし歴史的時間のある一点に<終末>を設定することによって、そこから人生を、世界を意味づけようとする虚構なのである。その代表的な例が黙示録(=アポカリプス)である。これは史上もっとも強力で根源的な世界の意味づけ方である。また、プロットを仮構する文学の虚構も、自らの虚構性を自覚した同様の営為だといえる。カーモードはプロットの最も単純なモデルとして、時計の音をチック・タックと聴きとる習慣を例にあげる。時計の音をチック・タックと聴きとることは、始め(チック)と終わり(タック)とに虚構論上の差異を与え、それによって「中間」を体制化することにほかならない。チックとタックの間にある空虚。それを「持続」として満たすために、ひとはチック・タックと数えるのだ。そのようなプロットの構築は、<終わり(終末)>が全体に持続と意味を与えるということを前提としており、かつ要求している。チックとタックの間隔からは、人間に興味のない、そしてしばしば恐怖を与える空虚な継起性は除去されなければならない。チックとタックの間隔は、始めと終わりと有機的に連関している、有意味な時間でなければならないのだ。ここにおいて、もっとも単純で基礎的な時間の統合が行われている。過去の記憶と現在の知覚、そして未来の予期をひとまとめにし、ひとつの共通の構造へと体制化する方法、これが虚構なのである。さて、近代以前においてはあくまで人間にとって外在的であった<終末>は、デカルト以降は内在化されていく。<終末>はあらゆる瞬間に起こり得るものとしてあらわれるのだ。現代という時代はその意味で、<終末>が内在化された絶えざる危機の時代としてあらわれる [★1] のである。
本書の内容を要約したら以上のようになる。さて、終末論=黙示録とはその出自からしてすぐれてニーチェ的な意味でのルサンチマンの産物といえるが、これは断じてヨーロッパだけに関する問題ではあるまい。ルサンチマンが創造した黙示録に象徴されるキリスト教道徳は、「見えないヨーロッパ」となって全世界を覆っている [★2] からである。ここから帰結する、あるいは発生するさまざまな諸相/諸層に及ぶ問題については、また場を改めて論じてみたい。(吉田浩)
★1――<終末>の内在化ならびに、なぜ黙示録が重要であり問題であるのかについては拙論「黙示録と反復」を参照。ただし、いくつかの点で問題のある論文なので注意。
★2――永井均『ルサンチマンの哲学』を参照。