デカルトは最高の哲学者であっただけでなく、一流の数学者・自然学者でもあった。そして何よりも、もっとも高貴な倫理をもつ人であった。近代哲学の歴史とは、
デカルトが到達した高みから滑り落ちてきた歴史にほかならない。このような鮮烈な
デカルト像を提示するのが、本書の仕事だ。本書で明らかになるもっとも重要なことは、
デカルトの営為のすべてに孤高な倫理が貫通しているということだ。有名な「われ思う、ゆえにわれあり」についても、それは単なる認識論上の実践以上に、すぐれて倫理的な要請のもとに行われた行為であった。善く生きるためには精神的生活を完全に世俗的生活から離脱させなければならない。不分明かつ不明瞭な世俗的生活を切断すること、これが真実にいたる唯一の道であり、また世俗的生活を救出する唯一の道だからである。そしてそれを達成するためにこそ、彼は懐疑を始めるのだ。つまり一切の思想を捨てるのである。その結果見出されたのが「存在する私」であった。そこから導きだされる
デカルトの道徳の核心は、現在の自己の権内にあるものをそのまま肯定することだ(
ドゥルーズが描くスピノザ=
ニーチェとの親近性は明らかである)。概説書では往々にして蒙昧な行為として切り捨てられることの多い神の存在証明ついても、つねにこの出発点を手放すことなく理解されなければならないだろう。(吉田浩)