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本書は、ウィトゲンシュタインの忠実な弟子であったノーマン・マルコムの回想録に、バートランド・ラッセルら彼と関係の深かった数人のエッセイを付録として収めたもの。内容紹介がまったく意味をなさない書物である。ところで、ウィトゲンシュタインにあれほどの人気が集まる理由、それが彼の人となりにあることは間違いない。とくにマルコムの「ヴィトゲンシュタインの思い出」は彼の熱情、苦悩、天才、感動的なまでの奇矯さをあますところなく伝えてくれる。ひとつひとつのエピソードが圧倒的な力をもって読むものを魅了し、最後には「ウィトゲンシュタイン」という活字の組み合わせを目にしただけで頭の中がからっぽになってしまうという恐ろしい病気へと読者を追い込む。この病気を患った読者(患者)はすぐさま、ウィトゲンシュタイン自身が著した『論理哲学論考』と『哲学探究』へと向かうだろう。しかし大部分の読者(患者)がここで立ち止まってしまうのも事実だ。なにしろそこに書いてあるただの一語も理解できないのだから。いやむしろこう言うべきかもしれない。そこでいったい何が問題になっているのかがまったく理解できないから、あるいは何でこんなことが問題になっているのかがまったく理解できないのだから、と。本書はそれ自体でこのうえなく楽しめるのだから私は別にそれでもよいとも思うのだが、伝記からウィトゲンシュタインの著作へと進む読者(患者)にとってこのギャップは辛いかもしれない。そのような向きにはレイ・モンク『ウィトゲンシュタイン』(岡田雅勝訳、みすず書房)をおすすめする。モンクの本はまさしくそのギャップを橋渡しするために書かれたものだからである。もっとも、それで困難が解決されるかどうかも疑問であるが。(吉田浩)
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