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森川嘉一郎『趣都の誕生――萌える都市アキハバラ』


■書誌■

書 名  『趣都の誕生――萌える都市アキハバラ』  書影
著 者  森川嘉一郎 
出版社  幻冬舎 
頁 数  四六判271頁 
定 価  1500円(本体) 
発 行  2003年02月27日 
ISBN  4-344-00287-3 


■書評■

秋葉原について、どんなイメージをお持ちだろうか。オノデンや石丸電気のCMソングを思い出したあなたの中では、秋葉原はいまだ電気製品街のイメージが強いかもしれない。あるいは、パソコン・ショップがひしめく街の様子を想像しただろうか。

現在の秋葉原を歩き回って気づくのは、ゲーム、アニメの広告の多さである。店頭や路地に「美少女」(といってもアニメ的、ゲーム的美少女である)をモチーフにした商品のポスターやポップがところせましと掲示されている。従来はゲームショップやアニメショップの内側、さらに言えば、こういったアニメやゲームを愛好する個々人の部屋のなかに置かれていたものが、外側に露出して、街の景観を変化させるほどになっているのだ。ゲーム制作という仕事柄、私もしばしば秋葉原に足を運んできたが、かえって見慣れてしまっていたこともあり、本書が指摘する1990年代の終わりから現在にかけての街の景観の変化について、これまで実感以上の感慨を持ってこなかった。

本書は、この「都市史において前代未聞の現象」である、秋葉原の景観の変化を考察した書物である。著者・森川氏は「趣味が都市を変える力を持ち始めた」という観点から、秋葉原の変貌を読み解いている。ここ秋葉原では、従来都市景観を決定してきた諸力――行政の政策、流通によるマーケティング、不動産経営者や大企業資本の組織的な開発――ではなく、「趣味」が景観を決定しつつあるというのだ。

ここで言う趣味とは、アニメ、ゲームを中心とした創作物に対する愛好のことを指している。DVD(一昔前はレーザーディスク)を買うほどアニメが好きな人、予約特典のノベルティ(おまけ)が是非ともほしいと思うほどゲームとそこに登場するキャラクターが好きな人、そうしたアニメやゲームに登場するキャラクターや世界設定を使って二次創作物(小説・漫画・ゲーム)を作ったり/読んだり/集めたりすることが好きな人、あるいはアニメやゲームに登場するキャラクターやメカのガレージキット(組み立てフィギュア)を好む人。こうした形態の異なる諸々の作品(商品)への好みは、多くの場合、アニメやゲームを成立させる主要素であるキャラクターやメカへの愛好を軸につながりあっている。

この「趣味」が、いかにして都市という規模で景観を変えることになったのか。

事実のレヴェルで見ればこうだ。『新世紀エヴァンゲリオン』(企画・原作=ガイナックス、監督=庵野秀明、1995-1996)のヒットを契機に、秋葉原のガレージキット店や同人誌専門店が繁盛し、さらに同業専門店が秋葉原に出店した。結果的に、アニメを中心とする関連商品の店が秋葉原に集中することとなった。補足すれば、そうした専門店の集中と同時に1980年代末期からパソコン/ソフトへと軸足を移しつつあった電器店が、ゲームやアニメソフトの扱いを拡張した、と言えるだろう。著者が作図した秋葉原における漫画・アニメ・ゲーム関連の専門店の分布(2003)を眺めると、さして広くもない街に多くの専門店が集中していることがわかる。

では、この出来事を著者はどのように解釈しているか。

「秋葉原は八〇年代末期以降、家電需要を郊外の量販店に奪われた。後に秋葉原をオタクの趣都へと変貌させたこの凋落には、二重の〈未来〉の喪失が絡んでいた。一つは家電製品が、未来的な生活をもらたらす『神器』としての光彩を失ったこと。もう一つは東京という首都自体が、高度成長期の頃のような進歩的な活力を失ったことである。
オタクとは、この喪失の申し子である。さまざまなオタク趣味は、この喪失を補填すべく生成されている。家電の街からオタクの趣都へという秋葉原の変化は、オタクという人格の発生の、都市による巨大な模倣なのである」

ここに引用した著者の解釈は、具体的には「2章 なぜパソコンマニアはアニメ絵の美少女を好むのか」「3章 なぜ家電はキャラクター商品と交替したか」の二章において、非常に興味深い種々の事象を通じて吟味されている。韓国におけるアニメ・ゲーム産業育成政策事情、性と暴力を排除して成立しているディズニーアニメと逆に性(美少女)と暴力(戦闘)を主要素とする日本アニメの対比、漫画に表象される都市、大阪万博における前衛の撤退、オウムと宮崎勤に見られる空間への関心の低さとキャラへの関心の高さ、航空機デザインのキャラクター化、『ほしのこえ』『月姫』に代表されるサブカルチャー作品の脱企業的制作体制の台頭……など。

本書全体が提示する大きな問題設定のおもしろさとこれら細部のおもしろさとがあいまって、最後のページを閉じるまで読み止められなかった。

しかし、その上で言うのだが、私はアニメ・ゲーム愛好というオタク趣味が〈未来〉の喪失を補填すべく生成されている、という著者の解釈がいまひとつ腑に落ちないでいる。私の頭の中では、個々の事例・論証がうまく問題設定につながらないのだ。

現在の日本は、政治運動や会社の仕事に血道をあげなくとも、それなりに衣食住足りて趣味にコストをかけた生活スタイルを選択できる社会――人が「動物化」(東浩紀)できる社会といってもいいだろう――である。しかしこの社会において「オタク趣味」へと沈潜する人々は、はたして〈未来〉を喪失しているのだろうか。あるいはその喪失ゆえにオタク趣味へと沈潜しているのだろうか。良くも悪しくも人々を連帯させる「大きな物語」が不在であるという実感はある。「大きな物語」の有力なスポンサーである国家や企業が描いて見せる未来像は、誰の目にも胡散臭く、既得権益の保守拡張の表出にしか見えない(希望や期待を備給しない)。しかしそのことと、オタク趣味への沈潜とはどのように拘りあっているのか。それが私にはわからない。

それはひょっとしたら、著者が前提とする人間の像(人間性)と一読者である私が念頭におく人間の像(人間性)とのズレがひきおこす困惑なのかもしれない。しばらく時間をおいて、今度は本書を、ある種の精神分析として読んでみようと思う。(八雲出)



■リンク■

森川嘉一郎のホームページ‐森川氏のWEBサイト。

『趣都の誕生――萌える都市アキハバラ』‐上記サイト内の本書紹介ページ。詳細目次情報、著者のコメントが読める。

Amazon.co.jp‐本書を購入したい方はこちらからどうぞ。




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