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| 信原幸弘『考える脳・考えない脳――心と知識の哲学』 |
| 書 名 | 『考える脳・考えない脳――心と知識の哲学』 | ![]() |
| 著 者 | 信原幸弘 | |
| 叢書 | 講談社現代新書 1525 | |
| 出版社 | 講談社 | |
| 頁 数 | 211頁 | |
| 定 価 | 660円(本体) | |
| 発 行 | 2000年10月20日 | |
| ISBN | 4-06149525-9 |
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心の働きは脳の働きにほかならないと言われる。しかし、トマトが見えるという状態と、脳のある部位のニューロン群に興奮が生じている状態とが、どうして同じであると言えるのだろうか。また、ふたつの状態が同じであるということをどのように理解すればよいのだろうか。
著者は、心の働きは「すなわち」脳の働きにほかならないという、心=脳の一元論からとりあえず出発する。なぜなら、心の働きと脳の働きが独立したものであり、それらが互いに何らかの形で関係すると考える二元論では、心の働きによって直接物が動く念力や、物のあり方が直接心のあり方に影響を及ぼす透視のような、ある種の超能力を仮定しなければならなくなるからだ。また、そうした関係を仮定しない二元論では、日常的に認められる心と脳の関係をどう考えるかという難問にうまく答えられないからだ。 さて、心はどのような働き方をしているだろうか。著者はまず、古典的計算主義とコネクショニズムという、認知科学におけるふたつの主要な考え方を紹介する。ふたつとも認知科学における重要な考え方である。ともに表象主義(心はその中心的な要素として何かを表す働きをする表象を含むと考える立場)から出発するが、その表象がいかにして形成されるかという点で見解を異にする。古典的計算主義は(ノイマン型)コンピュータをモデルとした考え方で、心的表象はすべて構文論的構造(ある一定の要素がある一定の構成規則によって結合された構造)を持つと考える。コネクショニズムは脳におけるニューロン群の働きをモデルとした考え方で、あるニューロン群の興奮パターンがシナプスを介して別のニューロン群に伝えられるように、心的表象は構文論的構造を持たない非形式的な変形過程が次々に遂行されることで生み出されると考える。 ふたつの考え方の要旨は以上の通りとして、心は古典的計算主義システムなのか、それともコネクショニストシステムなのか。著者によれば、心の働きには古典的計算主義と呼ぶにふさわしいものと、コネクショニズムと呼ぶにふさわしいものの両方がある。心は両方の働きを持つ混合システムなのである(思考や推論、計算などは構文論的構造をもった古典的計算主義的な働きであり、人の顔の識別や直感的な価値判断などはコネクショニズム的な働きと言える)。 では、脳もそのような混合システムなのだろうか。実は、ここからが本書の眼目である。心の働きを脳に局限するとしたらそうならざるを得ない。しかし著者によればそうではなく、むしろ心の脳局在論を見直す必要があると言う。そして心を、脳と身体と環境からなるひとつの大きなシステムと捉える。脳自体はその構造上、全面的にコネクショニストシステムであり、コネクショニズム的にしか働くことができない。では古典的計算主義システムはどこにあるのか。それは脳の外部にある。つまり脳が身体を通して環境の中に古典的計算主義システムを作り出すのである。その例として、紙の上に掛け算が展開される筆算、声として環境の中で展開される発話が挙げられる。さらに道具や身体を使わない暗算や内語も、それらが脳の出力として存在する以上は同様に環境の中に構築されるものだと理解される。 整理してみよう。人間は、古典的計算主義システムに適した問題にも出会うし、コネクショニストシステムに適した問題にも出会う。しかし脳それ自体はその構造上コネクショニズム的にしか働くことができない。そこで脳は外部に古典的計算主義システムを作り出し、古典的計算主義システムにふさわしい問題はそちらで行わせるようにした。言い換えれば、ニューロコンピュータである脳が自らの役不足を補うために、外部環境にノイマン型コンピュータをも構築してしまったということだ。こうして、心とは古典的計算主義システムとコネクショニストシステムとが接合された、脳と身体と環境からなるひとつのシステムだということになる。 ここまでくると、出発点にあった心すなわち脳の一元論はすでに形を変えている。心すなわち脳と身体と環境からなるシステムと理解するならば、脳の状態をそのまま心の状態と仮定することはできなくなる。さて、本書ではそのシステムの内実が描かれることはなかったが、他のより大部な著書(『心の現代哲学』『意識の哲学――クオリア序説』)においてはどうなっているのだろうか。 最後にまた冒頭の問題に戻ろう。ではトマトが見えるという状態と、(脳のある部位のニューロン群に興奮が生じている状態ではなく)脳と身体と環境からなるシステムの状態とが同じであるということを、どのように理解すればよいのだろうか。わたしにとっては依然として謎のままである。そもそも「同じ」とはどういうことだろうか。「同じ」と言うとき、わたしたちは何か重要な問題をなかったことにしているとは言えないだろうか。その問題の立て方自体に困難のすべてが表されているのに、それを不問に付してしまっているとは言えないだろうか。じっくりと考えてみなければならないように思われる。(吉田浩) |
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