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最近の脳研究は日進月歩の勢いで進展しており、急速に成果をあげつつあると言われる。そこでは何かとんでもないことが進行中だと聞く。しかもかなり前からそう言われ続けている。しかし、脳研究の最先端を紹介する、本当の意味で一般向けに書かれた読み物が日本には存在しないと著者は痛感する。そういうわけで、「素人にもとっつきやすく、専門家から見ても正確な、脳研究の最先端について書かれた本」を目指して作られたのが本書だ。
上記の目標はほぼ果たされている。専門用語を最小限に抑えつつ適切なまとめ方がしてあるというのもあるが、「脳と○△□」というかたちで選び出された8つのテーマ(章)がどれも身近で具体的な問題(早期教育、うつ病、環境ホルモン、睡眠、視覚、言葉、アルツハイマー病、意識)だからというのもある(なにしろ脳科学は「脳とは何か」といった抽象的な問いからではなく、脳の損傷や失語症、アルツハイマー病などの具体的な問題から養分を得てきたのだから)。そして本書の最終章では「意識」についての研究の状況が報告される。意識研究において、長い歴史を持つ哲学と新しい学問である脳科学とが合流する。最大の謎とされるクオリア問題(本書では「痛み問題」と呼ばれている)を俎上にのせることで、脳科学はついに「意識」という未知の大陸を踏査する旅路に出発したことが告げられ、本書は締めくくられる。すでに十分に簡潔かつ適切にまとめられた本書の報告をここでさらに要約するというのは野暮な話だ。読者諸氏は実際に本書を手にとって、脳科学がさまざまな分野でさまざまな問題に取り組んでいる模様にぜひ触れてみてほしい。なお、著者は「最近の脳科学によれば云々」というような「お墨付き」が持つ呪術性といったものに自覚的であり、取材の姿勢にもそれが現れていることも本書をすぐれた読み物にしている。
しかし、冒頭から繰り広げられる医療や教育の場面をめぐるレポートには興奮したが、最終章を読み終わったときには奇妙な閉塞感に襲われたことも告白しなければならない。良質のルポルタージュをを読み終えたときに得ることのできる、読み終えて「世界が違って見えてくる」感じ――これは同じ著者の『コリアン世界の旅』で著者自身によっても述懐されていることだが――を得ることができなかったのである。その理由を考えるに、どうもこれは著者である野村氏の力量というより、取材対象に原因があるのではないかと考えるに至った。脳科学が直面する最大の難問とされるクオリア問題自体が自閉的なものだからである(クオリア問題自体の問題性についてはいずれ稿を改めて論じる予定)。現時点では、むしろ限定的かつ実証的な諸研究(本書でも数々の成果が紹介されている。下條信輔氏らによる知覚研究がその好例)から、この問題設定自体を食い破るような成果が現れてくることを期待している。
なお、著者は『コリアン世界の旅』で大宅壮一ノンフィクション賞と講談社ノンフィクション賞を、『アジア 新しい物語』でアジア太平洋賞を受賞したノンフィクションライター。(吉田浩)
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