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| 内田樹『映画の構造分析――ハリウッド映画で学べる現代思想』 |
| 書 名 | 『映画の構造分析――ハリウッド映画で学べる現代思想』 | ![]() |
| 著 者 | 内田樹 | |
| 出版社 | 晶文社 | |
| 頁 数 | 246頁 | |
| 定 価 | 1600円(本体) | |
| 発 行 | 2003年06月15日 | |
| ISBN | 4-7949-6575-3 |
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本書は、映画の解釈をつうじて、人間の欲望の条件について考察する本である。 俎上にのぼせられる作品は、『エイリアン』『若き勇者たち』『大脱走』『北北西に進路を取れ』『ゴーストバスターズ』『秋刀魚の味』『裏窓』といったよく知られた作品。 分析に際しては、フロイトやラカン、バルトらが人間の欲望について徹底して考え抜き、創造した諸概念が駆使される。 ただし本書の値打ちは、映画を解釈するために理論を使ってみるという点だけにあるのでもなければ、理論を理解するために映画を教材にする点だけに存するのでもない。もちろん、本書を通読することによって、フロイト、ラカン、バルトらの理論をよりよく理解する一助を得られるのは確かだし、取り上げられる映画についての興味深い解釈をたのしめるのも事実だ。しかしやはり、本書の真面目はそうしたことにのみあるのではない。 本書は、映画と理論を相互に照射させること――つまり、フィルムメーカーが映画に描き出している人間の欲望に関する考察と、理論家が経験や思考から鍛え上げた人間の欲望に関する考察を照らし合わせること――によって、人間の欲望の条件を立体的に考察している点においてユニークである(というよりも、優れた思想家はみなそのように経験と理論をたえず往復しながら思考しているわけだが)。 「人間の欲望」と抽象的に述べたが、もう一歩踏み込んで言うなら、本書の中心的なテーマは「解釈すること」である。人はなぜ対象(テクストや映画)を解釈したくなるのか、なぜそれらのテクストや映画は人を解釈へ誘うのか――対象(テクストや映画)に映しこまれた作者(たち)の欲望とそれを読み解く受容者(読者・視聴者)の欲望のからみあいの構造を、作品と理論を相互参照させながら著者は鮮やかに描き出す。 内田氏は例によって巧みなたとえを用いて、解釈の本質を次のように説明してみせる。 「解釈者の仕事は『パスする』ことです。/ボールゲームで『パス』を成功させる勘のよいプレイヤーはグラウンド全体のプレイヤーたちの位置取り――ネットワーク――を『スキャン』しています。そして、できるだけ多くのパスラインを発見し、『次のプレイ』の可能性ができるだけ多様であるように運動します。/分析者=解釈者の仕事もそれと変わるところはありません。(中略)ボールゲームにおいて称賛されるのは、できるだけ多様な攻撃の起点となりうるような『ファンタスティックな』パスを次のプレイヤーに送り届けることですが、解釈もまたそれと同じことです。『できるだけ多様な次なる解釈の起点となりうるような解釈』こそが『よいパス』なのです」 パスを出す、ということは、再び自分がパスを受けるための条件でもある。つまり、他のプレイヤーにパスを出し、他者の創造的なプレイによって自分にとって思いもかけないラインを通ってボールが返ってくるとき、私はなかばボールが描くパス・ラインに誘われるようにして自分の位置をズラす。そうすることで、自分がそれまで無意識裏にとらわれていた欲望を相対化し、さらなる創造へ向かうことができる。 本書に限らず内田氏の著作が少なからぬ刺激を含有しているように感じられるのは、そこで扱われるテーマにかかわらず彼が読者に向けていくつもの絶妙なパスを放っているからだ。たとえば、本書を読んだ読者は、映画を解釈する新たな可能性をいくつも手渡されるだろうし、いわゆる「現代思想」の諸概念が備える使い道を教えられるだろう(ただし、内田氏もいうように、「この理論、この解釈が最終的な真理だ!」という態度、言い換えればトンカチを握った愚か者のごとく世界中が釘にしか見えないようなことではいけない)。 ――と本書に駆動されて思うところを述べてきたのだが、書評者としては内田氏からのパスをうまくあなたに中継できたかいささか心もとない。 というわけで、拙文を閉じる前に、もう何本かのよりダイレクトなパスを出しておきたい(ほめられたプレイではないが)。 1:近頃おもしろい映画書に出会っていないとお嘆きのあなたに本書を推奨します。題名が「映画の構造分析」だなんてお堅いようでいながら副題が「ハリウッド映画で学べる現代思想」とセールストークになっているところに惑わされてはいけない。理由は上記したとおり。 2:「現代思想」の諸概念に関心があるのだけれど、それらの諸概念がなにか博物館に飾られている標本のようにしか見えないあなたに本書を推奨します。本書を読むことによって概念と現実がせめぎあうライヴ(あるいは実験現場)に立ち会うことができるので。また、著者も述べているように、このような著述のスタイルは、スラヴォイ・ジジェクに見られるものだが、本書はジジェクの本のようにラカンについての予備的な理解を要求しない点で異なっている。1ページのフロイト、ラカン、バルトを読んだことがない読者でも、難なく通読できるはず。同じ著者による『寝ながら学べる構造主義』(文春新書251、文藝春秋社、2002)と併せて読むのもよいだろう。 著者のWEBサイトで予告されている次回作『レヴィナスとラカン』にも期待したい。(八雲出) |
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