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鵜飼哲 『償いのアルケオロジー』


■書誌■

書 名  『償いのアルケオロジー』 
著 者  鵜飼哲 
叢 書  シリーズ・道徳の系譜 
出版社  河出書房新社 
頁 数  190頁 
定 価  1500円(本体) 
発 行  1997年10月06日 
ISBN  4-309-24198-0 


■書評■

異なる二者間で「償い」というものが成立することは可能なのだろうか。ふたつの文化が本質的に異質な償いの、謝罪の、罪の概念をもっている場合、その共同体間で生じたことは、いったいどのようにして償われるのか。この問いは、お互いの罪、復讐、償い、赦しの思想の相互で翻訳が可能なのかどうかという問題につながるだろう。

さて、「歴史修正主義者」たちは、元慰安婦の証言を信じないと言う。しかしそもそも、その証言を証明する義務はどちらにあるのか。その義務があるのは、むしろ「歴史修正主義者」たちのほうではないのか。それも、「〜という事実があったという証拠はない」などという「証明」(そもそもわれわれは生活の場においてそれを証明とは呼ばない)ではなく、実際に証言した元慰安婦そのひとがいつ、どこで、何をしたか/されたのかを明示的に示す必要があるのではないか。元慰安婦の受難は、「犠牲者がはっきりと確信していることを当の犠牲者自身が証明しなければならない」という構造のなかにあることだ。

「歴史修正主義者」たちによって信用ならないとされた元慰安婦の証言であるが、しかし、証言というものは「確実性」のみによって測られるものではない。それは人間的な「確信」というまったく独自の次元をもつのであり、むしろその証言に内在する「信頼への呼びかけ」に無条件に応答することこそが必要なのではないか。それは、相互に異なる罪、復讐、償い、赦しの思想にまたがる翻訳の空間に自らの身をさらすことであるが、それなくしては、冒頭で提起した「お互いの罪、復讐、償い、赦しの思想の相互で翻訳が可能なのかどうか」という問いを考えることさえできないのである。

以上、償いとその翻訳可能性、そしてそれを唯一思考可能にする行為としての証言への応答、に的を絞って本書の主張を紹介してみた。私自身はこの問題にたいして何らの結論にも到達していない。そもそも私などが勝手に何らかの結論に達して勝手なことをわめきちらしてしまうこと自体の是非についてすら疑問を感じているくらいだ(だから目をギラつかせて主張するひとびととの対話自体が成り立たない状態である)。しかし、少なくとも、「歴史修正主義者」たちにみるような、汚辱にまみれたルサンチマンと表裏一体になった夜郎自大な自己主張、といったものとは無縁な場所に立っていたいと思っている。(吉田浩)




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