ホーム
  | GP Map | 概念の歴史 | 作家の肖像 | 激情亭日乗 | クズテツ | 哲学の激情 | 掲示板 | 資料集 | LINKS | 作品の愉悦 | サイトマップ |

ホーム > 作品の愉悦
作品の愉悦――2002年01月05日-2002年12月17日

■2002年12月17日(火)――ホテル>書店>博物館>祇園

「大レンブラント展」京都国立博物館

「大レンブラント展」ポスター Designed by Matsunaga Shin そんなわけで京都へ行って来た。本WEBサイトに「そうだ(レンブラントを観に)京都へ行こう」と書いたのが2002年11月15日(金)だから、それからおよそ一ヶ月が経った勘定だ。アンリ・フォシヨンから受け取ったレンブラント熱が、私の怠惰さにもめげず持続したわけだ。とはいえ、あれから一ヶ月、私は来る日も来る日もそれは愉快な作品に接する愉しみにひたりつづけて酒を飲み舞を踊ってキリギリスのように遊び呆けてきたものだから、あれ、フォシヨンを読んだのはせいぜい先週じゃなかったっけ? などと時間の感覚が怪しくなっている。ここに駄文を書きつけていなかったら、それが一ヶ月前のことであったなどとは気づかぬままであっただろう。

ともかく。大レンブラント展である。京都での出品点数は43点。文字通り世界中の美術館や所蔵者から借り集められてきた作品がこのように一堂に会す機会がこれまでどれほどあったのかは知る由もないが、この関係諸氏の尽力の結晶を前にしてはともすると「あの絵が来ていないのか」などと嘆息したくなってしまう狭量などどこかへ霧散する。

画歴の初期を飾る宦官の洗礼(1626)からはじまって、最晩年の「ティトゥスの肖像」(1667-1668頃)に至るまで、記憶する限りのレンブラントの生涯を思い起こしながら絵と向かい合う。美術研究者ならぬ一門外漢としては、観る場所、観る時、(誠に勝手ながら)自分のコンディションなどによって作品に対する好悪、出来不出来の感想がさまざまであるのだが、レンブラントの油彩でいつ観ても強い印象を受け取るのは、ほかならぬ画家の自画像と愛息ティトゥスの肖像、そして解剖の光景を写した作品だ(今回出品されているのはすべて油彩で、フォシヨンが熱を込めて賞賛しているエッチングは、博物館の庭に設置された販売店にかけられた複製でわずかに観られたのみだった)

一体レンブラントには何枚の自画像があるのか知らないが、今回出品されている「笑う自画像」(1662-1664頃)ほど魅力的な肖像もない。キャンパスの中からこちらを見て笑みをたたえた老人。妻と死別し、(身から出た錆とはいえ)財産を失った老人の笑みは、「いろいろあったが総じておもろかったな」とやや遠い目をしながら人生に別れを告げようとしているようにも見える。――などという私の妄想の内容が重要なのではない(もちろん)。レンブラントの老人力と画家としての力は、観る者のうちにそうした妄想(という言葉がお嫌いなら「想像」と言ってもよいですが)を掻き立てながらけっして〈正解〉(この肖像が示す感情の正しい解釈)などという野暮なものに到達し得ないことをたちどころに教える。そんな御託をつらつら考えながら、何度観ても深沢七郎に見えてしかたのないこの肖像画を眺めた。

画家は、息子ティトゥスの肖像もまた多数残している。今回の展覧には3枚の肖像が出品されている。

机の前のティトゥス(1655)――十代半ばの少年が、机にのせた紙束に向かい、羽ペンをもった右手の親指を頬につけている。その大きな瞳は、どこか遠くを眺め、彼が物思いにふけっていることがわかる。夕餉のメニューを想像しているのではないことは私にもわかるが、さりとて何に思いを馳せているのかは(当然のことながら)知りようもない。

他の注文による肖像画の、どこか作ったような、とりすましたような様子(いや、モデルがとりすましているのか!)と一連のティトゥスを描いた作品は一線を画しているように感じられる。それは画家の熱のこもりようの差なのか、観る私のせいなのかにわかにはわからない。しかし、たとえばウィーン美術史美術館展東京藝術大学大学美術館、2002/10/05-12/23)に出品されていた読書する画家の息子ティトゥス(1656-1657頃)を観ても、この書見する若者の表情の美しく豊かなことといったらない。書物のページに目を落とし、文字を朗読しているのか、読書に夢中になっているためか、少し口を開けた様子などは、思わず「読書っていいねぇ、読書ってすばらしいねぇ」とわけもなく賞賛したくなる。

若者の活字離れ――という現象が本当にあるのかどうかよくわからないものの、戦後だったか岩波書店が『西田幾多郎全集』を刊行したさいに、それを買い求める人々が前の晩だったか一週間前だったかから行列してこれを買い求めたという写真などを見ると、今は若者に限らず活字から離れているのかしらんと思いそうになるものの、でも書店に行くつど人々が周囲や自分の状態などいっさいおかまいなしで雑誌コーナーに群がり熱心に書見している姿を見るとはたしてそれも本当かと眉につばしたりもするわけで、ほんとのところはどうなのかわからなくなるのですが。いやよもや書店に新しい西田幾多郎全集岩波書店を求めに行っても置いてないのはすでにそのようにして売りきれたからであったか!――を憂える前に、学校の先生はこの読書する画家の息子ティトゥスをば児童・生徒らに見せあるいはカラーコピーなどで複製を拵えて配るなどして、「ほらね、読書っていいでしょう? 読書ってワンダフルでしょう?」と勧めるならば、それを理解した子供たちがもはや本を読まぬときはないというくらい書見があたりまえのこととなり、街のあちらこちらで人々の美しい書見姿を見かけることができるようになる……わけはないか。

ともかく。ティトゥスがレンブラントよりも前に歿してしまうことを知っているわたし(たち)としては、いくら「センチメンタルなことをしてはいけない」と思いながらも、若者が歿する前と思われる少しやつれた、けれども相変わらず大きな瞳と巻き毛が美しいこの青年の肖像に、ひきこもごもを感じてしまうのである。

さて、少なくともヨハン・デイマン博士の解剖学講義(1656)――所謂「脳出し」ってやつですか――に言及してから筆を擱きたかったのだが、すでに大量の与太話によって予定を超過していることでもあるので今日のところはここまでにしたい。

――と言いつつ余談を続ける。いや、気分転換にコーヒーを飲んだらもう少し続けようという気持ちになったのだ。はからずも。結構ままならないものだと思いませんか、自分の頭って。それはともかく、その私の頭は、レンブラントとくると自動的にスピノザの名がたぐりよせられるようになっている。何の因果かかつて繰り返しそういうことを考えたことがあるために、この二つの名前は私の中ではセットになっているのだ。そういうことってあるでしょう? AといえばB。ツーといえばカー。これを莫迦の一つ覚えとも言いますか。

しばらく前(それは前世紀のことだ)に、スピノザを集中的に読んだことがあった。両者は同時代人ということもあって、スピノザの文献を漁っているとしばしばレンブラントに出くわす。にわかには出てこないが、書棚のどこかに古本屋で入手した Spinoza and Rembrandt という書物もある。このような出会い(スピノザ文献を読む⇒レンブラントに出くわす)が反復されると、おのずとどこかから(スピノザのみならず)レンブラントを(も)検討せよ、という声が聞こえてくるようになる。

こうなると逃げるのはむつかしく、書店に赴けばあちらからレンブラントが「やあ」とか言いながらやってくる、ヴィデオ屋にいけばレンブラントに関する映像が目にはいる、美術展をのぞけばレンブラント(や同時代のネーデルランド絵画)を探す、茶や酒を飲むのにもレンブラントの姿を求め(ルノアールがあるならレンブラントぐらいあろうてなもんで。でもルノアールなら絵画とは限らないのか)、街を歩いても「レン」や「ラント」といった言葉に敏感になるなど、もう到底普通の生活は望めない。前にも書いたが、人はこれを〈電波〉という。そんな電波の力によって、今回は京都まで足をのばした次第(次回は近頃その回想録〔邦訳〕が版を改めた元祖電波(?)シュレーバー氏の『回顧録』について述べてみたい。他の電波に邪魔されなければ)

「大レンブラント展」は、2003年01月13日まで。京都で見逃すと、つぎはドイツのシュテーデル美術館に足を伸ばすことになる(そう、東京には来ないのだ)。くれぐれも注意されたい。

そうそう、言い忘れていたが、出品作品以外にも多数の参考図録と情報を含む本展のカタログは充実していて有益だ。京都で買い逃すと、つぎはドイツのシュテーデル美術館……でも売られるのかどうかはわからない。注意されたい。

京都国立博物館‐京都国立博物館のWEBサイト

大レンブラント展‐京都国立博物館WEBサイトの同展資料

Rembrandt Rembrandt‐「アート・エキシビジョンのWEBサイトのレンブラントに関するコンテンツ



■2002年12月11日(水)――失敗は成功なのだ!

バスター・キートンは機械を操作する天才的な技術を持っている。個人的な好みから言うと、やたらと「天才的」などという言葉をふりまわしたくないのだが、そうとしかいいようがないのだから仕方がない。いや、「天才」だなんて、それさえ貼っておけばそれ以上その対象について考えなくてもよくなるようなレッテル(キャッチコピー)を安易に使わないほうがよいですね。と、考えなおしてなぜキートンがすごいのかを考えてみた。

どれでもいい、キートンが機械を操作している場面を思い起こそう。その機械はどうなるか? そう、機械はいつでもキートンを裏切り、かつ、キートンに忠実である。キートンが操作する機械は、まずキートンの言うことをきかない。しかし、キートンの言うことを聞かないことを通じて言うことをきく。おかしな言い方だけれど、この失敗=成功とでも言うべきキートンと機械の組み合わせの妙は、キートン作品を構成する主要な要素である。

『Viva! キートン feat. M Sawato――キートンの探偵学入門&キートン将軍』『キートン将軍』(The General, 1926/12)で、北軍兵士たちが乗っとった機関車を追って独り奮闘するキートンはどうだったか。キートンは機関車を操縦して北軍兵たちの機関車を追跡する。キートンの機関車には、途中で観つけた大砲搭載車両が連結してある。この大砲で自分の前方を逃げて行く北軍兵の機関車を狙い打とうという算段だ。

大砲に火薬をいれて砲弾をこめるキートン。点火して結果を待たずに機関車両にいそいそと戻る。火薬に着火して大砲が火をふく! けれども火薬が少なすぎたのか、砲弾はごく小さな放物線を描いてキートンが乗る機関車両に撃ちこまれる。あわてて砲弾を捨てるキートン。懲りずにもう一回。今度はありったけの火薬をかんごと大砲につめて、砲弾をほうりこみ、着火。またしてもキートンは結果をまたず機関車両に戻る。するとなにかの拍子に大砲の砲身がすーっと首を下ろす。砲身はほぼ水平。このままじゃ危険な砲弾が機関車両を直撃だ。運転座席からふりかえって様子をうかがうキートン。砲身を見てぎょっとする。慌てて大砲の車両に向かうが、もう着火寸前。あわやキートン機関車ごと大破か、というそのとき機関車はカーヴにさしかかる。水平に発射された砲弾は、ちょうどキートンが乗る列車を円の弧だとしたらその円弧の弦をきりとるように飛び、キートンの機関車両の脇を抜け、初期の目的どおり前方をゆく北軍兵士の機関車に命中。やれやれ。

大砲はキートンの意図に従わず、砲身を下げた。このままでは敵をやっつけるどころか自分が危ない。けれども結果的には機関車と線路と大砲の組み合わせの妙により、大砲は最初の目的を果たす。意図どおりに働かないのに、結果的に意図を果たす機械。キートンの意図はいつも、キートンの意図しない(意図されない)経路を通って実現する。このギャップが笑いを誘うのだから、劇中のキートンがその成り行きを知らず、そんな状況を見て笑うことはない。当然であろう。当人はいたって真剣であり、必至でさえある。なにしろキートンは不服従な機械の埋め合わせをすべく、モーレツな勢いで立ち回らなければならないのだから。

キートンの映画にはこうした機械やギミックがあちこちに登場する。これは一体どういうことなのか、を考えてみるのはたいへん愉快なことであるので、もう少しゆっくり、ロッキングチェアーに身を沈めて舶来アルコールでもなめながら考えてみたい(ま、口だけですが)。

『バスター・キートン自伝』/引用=映画『西部成金』 ところで、『バスター・キートン自伝――わが素晴らしきドタバタ喜劇の世界』(藤原敏史訳、リュミエール叢書28、筑摩書房、1997/06)によれば、『海底王キートン』(The Navigator, 1924/10)『キートン将軍』(The General, 1926/12)の二本はキートン自身、自分がつくったなかで「一番いい映画」だと思っているとのことだ。私は、まだ彼のすべての作品を観たわけではないから、どれが一番かなどという僭越なことを言える立場にないし、それゆえキートンの意見に賛同できるかどうか留保している。ただ言えるのは、『キートン将軍』もまた、映画の力を存分に発揮したすばらしい作品である、ということだけだ。これだから語彙の貧弱な門外漢は困る。うむむ。――とかいって、全作品を観終わる時分にはそんなこと(=どれが一番か)はケロリと忘れてまたぞろ繰り返し観るに決まってるンですがね。

★バスター・キートン+チャールズ・サミュエルズ『バスター・キートン自伝――わが素晴らしいドタバタ喜劇の世界』(藤原敏史訳、リュミエール叢書28、筑摩書房、1997/06、Amazon.co.jp





■2002年12月10日(火)――『ギャラリー・フェイク』文庫化

「メトロポリタン美術館展――ピカソとエコール・ド・パリ」Bunkamuraザ・ミュージアム

『メトロポリタン・ミュージアム展』ポスター/引用=ピカソ「アルルカン」(1901) だいたい美術館の名前を冠した美術展でその後何年も持続するような強い印象を受ける企画にお目にかかったことがない。なンて言えばなんだか偉そうですが、理由は単純なのです。

第一は愚生の問題。愚生の問題というのは一に美術史に関する知識の貧しさ、ニに記憶力のなさ、三が根気のなさ。これだけ「ない」ものだらけじゃ仕方がない。

じゃあ、どうして美術史に関する知識の貧しさが問題なのか。もし私が膨大な美術史の知識を持ち合わせていたら、たとえその展覧会の出品作品の相互に強い脈絡がなくっても、自分の頭のなかで目の前にはない作品群との脈絡をつけながら作品を観られるでしょう? え? 「そんな脈絡など●くらえだ! 目の前にある作品を、ただそれだけを観ればいいのであって、本当なら題名やら作者名やらも邪魔なのだ。このとんちき」ですって? ごもっとも。あ、貴方はどちらさま? なに? 通りすがりのWEBサーファー? なるほど。よしなに。ところで、私もそういう貴方がおっしゃるような観方が好きですよ、なんて言いましたっけ、あのトム・ハンクスが主演のチョコレートを食べる映画のポスターに書いてあった……え? あ、そうそう「一期一会」 それですそれ。そういう感じはいいですねぇ。でも、せっかくなんだしそれだけにしないで、両面作戦で行ったらもっとハピーじゃないですか? 作品を題名や作者とは無縁の匿名のなにかとして充分に観ておいてから、やおら歴史の文脈に入れなおしてまた眺めるというんですか……え? 「しゃらくさい、この après-guerre かぶれが」って、貴方も可笑しなことを(それも妙にきれいな仏語の発音で)おっしゃる。さしずめ avant-guerre でいらっしゃいますか? って冗談はともかく話を戻しますけどね、美術史の知識を持っていたらそういう作品の観方ができるので、たとえ展覧会に陳列された作品同士の脈絡が薄くってもそれなりに愉しめるわけですよ。ね。記憶力のなさと根気のなさがなぜ問題なのかは説明するまでもありませんね。

で。第二は企画の問題。企画の問題というのはどういうことか少しく説明しますと――いいですか? こんな話をつづけちゃって? え? つまらなかったらすぐに余所に行くから気にするなですって? そういう率直なところが好きですよ。え? 気持ちの悪いことを言うな? 失礼しました――で、企画の問題というのは、実はさっき言ってしまいましたけどね、こういうことです。「某美術展」に出品される作品は所詮は一つの美術館に集められた作品が母集団ですよね。そこには自ずと限界があるじゃないですか。たとえばキュレーター氏が展示を考えながら、「本当は、この作品Aとこの作品Bの間にあの作品Cがあるとかなり具合がよいのだがなあ」と思っても、作品Cが自分のところになければ出すわけにもいかないでしょう? 某美術館展なる企画をするにあたっては、そんなことだらけじゃないかと思うんですよ、ってこれは想像ですけどね。ああ、で、愚生が言おうとしたのは、こういう次第で某美術館展なるものは、出品作品に脈絡が生じにくくって、それで観ているほうも散漫とした感じに疲れてしまうというか、美術展全体から受ける印象が弱くなるのかな、なンてことでした。実際、今年のはじめに観たいくつかの某美術館展なんてなぁんにも覚えちゃいませんよ(自慢じゃありませんけれど)

まあそうはいっても、ある人が書店で買って帰った書物の組み合わせや、たまたま机に積んである書物の並び方のでたらめさだって、立派におもしろいわけですから、まあツベコベ言わないで愉しめばいいんじゃないかとも思いますけどね。ほら、たとえば、いまここに、私の机に偶然積み上げられている書物の山があるでしょう? って、書いてお見せしようと思いかけましたが我ながらあまりにも脈絡のない組み合わせなのでやめにしておきます。

え? それで「メトロポリタン美術館展――ピカソとエコール・ド・パリ」はどうだったのか、ですって? そうそう、肝心のことを忘れていました。いや、これが魂消ました。わざわざ「メトロポリタン美術展」だなんてつけなくても立派な展覧会ですよ、これは。まあ、さすがに200万点も作品を所蔵していると自前の作品だけでまかなえるのですね、感心です。

作品についてはコメントしないのか、ですって? 貴方も物好きでいらっしゃる。私のコメントなんか聞いても詮無いでしょうに。え? お前みたいな奴が偉大な作品からなにを受け取るのか後学のためにも聞いておきたい、って意地悪を言っちゃイヤですよ。貴方だって、この上下に延々と書かれている与太話を少しはお読みでしょう? だったらおおよそ何を言いそうかわかりそうなもんじゃありませんか。え? 御託はいいから何か言えって、そうですね、今回の展示ではバルテュス(Balthus, 1908-2001)目を覚ましたテレーズ(Thérèse Awake, 1938)を直に観られただけで満足です。それにしても、テレーズの表情といい、脹脛(ふくらはぎ)から腿にかけての肌のきめといい、バルテュスは一体どんな筆をふるったのか、驚くばかりです。危うく額ごと壁から外してテイクアウトするところでしたよ。いえいえ、実際には図録や複製で満足しましたけどね。例によって図録その他の複製では作品から多くのものが抜け落ちてしまっていますが、これは一体どういうことなのでしょうね(一度真面目に考えてみる必要がありそうです)。ベンヤミンのように偉くなくても「アウラ」がどうこうと言いたくもなりますよ、ほんとに。まるで別物です。って、別物なんですけどね。

なんだロリコンか、って貴方、そういう言種はいけませんよ。第一そんな言種は、ちょっと粗雑すぎはしませんこと? 私だって目を覚ましたテレーズはたいそう好きですけれど、それなら少女を描いた絵ならなんでもいいのかって言うとそうじゃありませんからして。だいたい、ハンバート・ハンバート氏だってロリータを愛していたのであって、同じ年頃の少女なら誰でもよかったわけでもないでしょうし(って、近頃あの小説を読み返してないのでハンバート氏がどう考えていたのか実際のところは記憶にないんですけどね。それはそうと本邦では近頃でもナボコフ先生の作品が邦訳されつづけていて嬉しい限りじゃありませんか)。いろいろ申しましたけど、つまるところわたくしは、粗雑な一般化はよろしくないと申したかったのでした。だって、いろいろな違いをなかったことにして十把一からげにしちまうなんて、場合によっては随分と侮辱的ではないですか。そうそう、ほら、「男ってもんはなあ(以下略)」とか「これだから日本人ってやつは(以下略)」とか。言われるほうも迷惑だし内容も空疎だし、やっぱりここは少し面倒でもあれとこれの差異にはそれなりに眼差しを注がないと……って話が逸れつつありますか。ま、それはともかく。もしあなたが私に対して「このロリコンめ」とおっしゃるかわりに「この、目を覚ましたテレーズ好きめ」と少し言葉の精度を上げておっしゃってくださればわたくしもクダクダとお話申し上げず、「ええ、そうですがそれがなにか?」とお返事いたしますのに。

屁理屈だ、ですって? いえいえどういたしまして。理屈というなら、貴方の言い様のほうがよっぽど理屈……え? なんです? その話はいいから他はどうだったのか、ですって? あいや、いろいろおしゃべりしたいことはありますが、まずはご自分の眼でご覧になってきてくださいな。そうしたら、あらためてお茶でも飲みながらゆっくり話しましょうよ。場所? ええと、場所はですね、渋谷の東急Bunkamuraです。そうですそうです、文化村通りをずっと奥まで行ったところ、そうです、Book1stを右手に見ながら(見るだけです。入るのは後まわし)さらに進んで、はい。会期? 2002/12/07-2003/03/09 ですね。え? はい、どうぞいってらっしゃい。ご機嫌よう。

メトロポリタン美術館展‐同展公式WEBサイト

The Metropolitan Museum of Art‐メトロポリタン美術館のWEBサイト(英語)



■2002年11月24日(日)――近くて遠い過去の余熱

★四谷シモン『人形作家』講談社現代新書1633、講談社、2002/11、Amazon.co.jp

『人形作家』 全共闘運動、三島由紀夫の自決、唐十郎らによる状況劇場、鈴木忠志らによる早稲田小劇場、佐藤信+串田和美らのアンダーグラウンド自由劇場、寺山修司らの演劇実験室天井桟敷、蜷川幸雄らの現代人劇場……。1960年代末。自分がまだ存在しなかった時代、けれどもなにかの折につけてはその延長上に自分が存在する時間があるのだと気づかされることのある1960年代。文献と映像のみを通じて触れることができるこの時代は、なにやら私には想像のつかぬにぎやかさであったようだ。そんなにぎやかな時代に居合わせなかったことをちょっぴり残念に思うこともあれば、そんなしっちゃかめっちゃかな時代――とはもちろん同時代にあらゆる場所で営まれていたはずのあらゆる人間の生活からとりだされたほんの一握りの光景についての無責任な感想にすぎないのだが――に居たら自分などどうなっていたかわからないと思ったりもする。

文献や映像を通じて私の脳裏に構成された(いまもされつつある)その時代は、ことあるごとに想像に特有の過剰さでもって私の感情を触発する。その触発の在り方はたいていにおいて両義的だ。ノりつつシラケる/シラケつつノる、そんな感じだろうか。

ノる:一方では、猥雑で、エネルギッシュ、切羽詰った感じとそのゆえの過剰に発露する創造/想像力、人が目的を持って生きた時代、目的なんかなくてもなにかに熱中できた時代……実にエエ加減ながら現代に欠けている(あるいは何処かにあるのだとしても私には見えない)諸々がその時代にはあったのではないか、などと無根拠な空想をしたくなる。

シラケる:他方では、「なぜ人がそんなにも熱くなったのか?」と、彼岸の火事を冷静に見るようでもある。かく言う私はどちらかといえば、ヴェンダースが『東京画』(TOKYO-GA、西独+米、1985)で描いた、どこか裏寂れた日本にこそ現実味を感じてしまう者である。これらの騒ぎから(地理的にはともかく心理的に)はるか遠くに生きていた同時代人は、この騒ぎを遠くからながめてどう感じたのか、どう触発されたのだろうか? 他方でそういう関心がある。

例によって益体もない与太を書き連ねてしまったが、四谷シモン氏の自伝『人形作家』を読みながら、久方ぶりにそのような両義的な気分を味わった。本書は、1944年に生まれた四谷シモン氏が、人形創作に目覚めた契機、演劇への参加を経て、人形創作に打ちこむようになった遍歴を中心に、金子國義、高橋睦郎、澁澤龍彦、唐十郎、宇野亞喜良、コシノジュンコ、嵐山光三郎、金井美恵子、といったお馴染みの作家たちとの交流を描いている。四谷氏の生の記憶をつうじて時代の息吹がページから立ち上る。

唐十郎が主宰した状況劇場、紅テントのゲリラ的路上上演とそれが巻き起こした騒動のくだりを脳裏に想像構築しながら読む。私の想像中の劇団と観客と機動隊のもみあいは、どこか演劇めいて断片的であるけれど、さしあたってはこれで満足せねばなるまい。ページを繰る私には、現場の喧騒(いずれ、ユーロスペースかどこかで観た60年代東京を描いた映画の記憶であろう)も聞こえてくるのだからよしとしよう。他方で、嵐山光三郎氏が本書に寄せた序文「シモンとは何者であるか」の、思い入れたっぷりの回想を読むとき、なにか距離のようなものを感じる。それは、いいとか悪いとか、そういうことではなくて、体験なくしては共感しえない事実への距離感であろうか。

この半生の自伝は、現在につながっている。つまり、四谷氏が人形づくりに専念し、人形学校エコール・ド・シモンを運営する現在が語られている。ここまでくると、人形作品や書物、個展や他の作家による文章を通じて私も知っている四谷シモンがあらわれる。

人形について語ったくだりにこんな一文がある

「……この『ドイツの少年』だったか、澁澤龍彦さんが僕の人形を見て、『なんでもっとペニスを勃起させないの』と尋ねてきたことがあります。僕としては、ペニスに関しては日常のだらりとした感じがいい、たとえば勃起したペニスはフィニッシュしか連想させず、表現としてつまらないと思います」(p.127)

四谷氏に同感である。と同時に、澁澤龍彦が、もしその人形のペニスを勃起させたほうがよりエロティックに思われるから、という理由で上記のようなことを言ったのだとしたら、少しがっかりである。もっとも、上記のやりとりにおける澁澤の意図がわからないからこれは半分想像に過ぎないのだが。この少年(ドイツの少年)のペニスが(完全にではなく)勃起しかかっているところがいいのだ、と書いていたのは誰だったか、思い出せない。

四谷シモン――人形愛‐四谷シモン氏の公式WEBサイト

エコール・ド・シモン‐エコール・ド・シモンのWEBサイト



■2002年11月23日(土)――これも一種の降霊術?

「狩野探幽」展――よみがえる江戸絵画の巨匠東京都美術館

狩野探幽(1602-1674)の作品から刺激を受けたためしがない。と言っても、探幽を嫌う積極的な理由を持っているわけではないし、なろうことならその作品との出会いからなにがしかの変容を受けたいと思う。今回は探幽をまとめて観るよい機会だと思い、東京都美術館へ足を運んだ。

本展は、「これが探幽だ!」「探幽様式の完成」「画壇制圧」「新たなる挑戦」という四つのセクションで構成されており、探幽の経歴を追う形で作品を観ることができる。二条城二之丸の障壁画「松鷹図」名古屋城上洛殿、大徳寺本坊のための障壁画などのよく知られた作品に加え、「若衆観楓図」のような風俗画も出品されている。「達磨図」にはもっと圧倒されるかと思いきや、そうでもない。こういうのをそりがあわないと言うのだろうか。

今回の展示でもっとも興味深かったのは、例の「探幽縮図」と呼ばれる画帖である。小さな紙面に、山水花鳥、唐人や和漢の人物図があれこれと模写されているさまは、この人物の勉強家ぶりをしのばせる。「やあ、なんという勉強ぶりか探幽さん」

勉強ぶり? はて、勉強ぶりとは我ながら面妖な言葉だ。私は、探幽展の会場を出て、つぎなる目的地、東京藝術大学大学美術館へ向いながら考えた。寒空の下、ホームレスたちの青いビニールテント群は健在だ(前に来たときは、七輪で秋刀魚を焼いていたっけ)。無意識に口をついて出た言葉。これは誰の入れ知恵か、と。そんな疑問をしばし忘れて「ウィーン美術史美術館名品展――ルネサンスからバロックへ」を観る。同展でまみえることができた数点の作品から受けた強い印象を抱きながら、小雨が降り始めた上野を後にした。それにしても上野に来ると金鍔(きんつば)を食べたくなるのはどうしてか。いやこのさいはシベリヤでもいい。

帰宅して、美術書をまとめてある書棚をしばし眺める。と言うほどたいそうな書棚でもなければ蔵書でもない(本などほとんどないに等しい)。ほどなく見当がついた。きっかけさえあれば、記憶は意外なほど簡単に反復されるものだ。きっかけさえあれば。きっかけがあってもこうなることもありますが。

私は書棚から、岡倉天心の『日本美術史』(平凡社ライブラリー377、平凡社、2001/01、Amazon.co.jpを抜き出した。

『日本美術史』/引用=下村観山『天心先生画稿』(1922) そうそう、この下村観山(1873-1930)『天心先生画稿』が表紙の。何度観ても煙草を持った左手が天心とは独立した他人の腕のように見えて仕方がないこの絵! まるでテリー・ギリアムが『モンティ・パイソン』のために作った人体をコラージュしたアニメーションのようだ。しばらく眺めていれば、この火の点いた煙草を持った左腕は天心先生の意に反してひょいひょいとあちこちに動き回り、そのあげく「スポン」と軽快な音を立てて(鼻歌さえ歌いながら)抜け出し、タップダンスのひとつも踊り出すのではないか?――と妄想が長くなったが、この絵を観るつどそんな違和感を得つつテリー・ギリアムのアニメーションを連想する。

それはさておき。私はこの書物をライブラリー版が刊行されたときにはじめて読んだのだから、もう二年近く前に読んだ計算だ。二年前の私がはさんだ付箋やページの折目を辿ってみる。あったあった。「日本美術史」の徳川時代を論じた箇所に、探幽に言及した文章がある。

「この時代〔徳川時代――八雲註〕の美術家探幽のごときは、あたかも家康のごとき人なりしならんか。その法とするところはただ雪舟一本槍にして、もって狩野の家を保てり」(p.192)

「……美術上家法を定むること、これまた〔この時代の日本美術の――八雲註〕一種の特質なり。その最初は自然に任せしも、のちにいたりては、その弊害や重し。これ畢竟徳川氏の制度上より生ぜしものなり。美術もまたこれに関係せざるあたわず。探幽すでに徳川氏奥絵師となり、世襲の家柄となりては、その家法を守らざるべからず。これわが美術上において、非常なる出来事というべし。かくのごときは他国にもかつてその例を見ず。あるいは非常の名人などを輩出せしときは、与うるに禄をもってすることあるべきも、わが徳川時代におけるがごとく、その家柄を定めて禄を食ましむる等のことは、決して外国にはあらざるべし。狩野家の勢いたるや、美術を一定するの傾きあり。すなわち何々の線はかく画くべしと一定して変ずべからずとなす」(pp.193-194)

狩野探幽は京都の産で、十歳のときに東下して徳川の幕府御用絵師におさまった人物だ。上に引用した箇所で天心は権力の庇護のもとで美術が世襲の家柄によってある意味牛耳られたことを批判している。とはいえ上記に続く箇所で天心は、その同じ家柄制度のおかげで「明治の今日まで〔天心がこの講義を行ったのは明治23年から25年――八雲註〕雪舟、雪村の気を呼吸する人の存する」と功績を評価してもいる。総じてプラスかマイナスか? といわれれば、世襲という制度をどちらかというと莫迦気ていると考える私はマイナスだろうと無責任に思う。とはいえ、実際のところ江戸狩野家の権勢が日本美術史(というのもなんだかおさまりの悪い言葉だ)にもたらした功罪を見積もれるだけの材料も能力も持ち合わせていないのだから、無闇に断定などせずに天心先生の言葉を拝聴しておくにとどめる。

随分寄り道をしてしまったが、上野で「探幽縮図」を前にして思わず口をついた「勉強ぶり!」の出所がわかった。

「……江戸狩野の起りしは実にこの人による。かくのごとき大家にして長生なりしゆえに、多く画を作れり。その勉強はなはだしく、早朝より夜深更にいたるまで、手に筆を離さざりしと」(p.198)

これだこれ。二年前の私はこのくだりがおかしかったらしく、「その勉強はなはだしく」のところに鉛筆で線を引いてある(しかしこの読み手、つまらないところばかりを選んで線を引く男だ)。つまりこういうことだ。上野で探幽の勉強ぶりとその成果を前にして、二年前に読んだ天心の感想が私の口から出た。なんのことはない、天心さんに繰られていたのである。

むしろ収穫の多かった「ウィーン美術史美術館名品展――ルネサンスからバロックへ」について語るつもりが降霊体験談になってしまった。「ウィーン美術史美術館名品展」についてはまたいつか。

東京都美術館‐東京都美術館のWEBサイト。狩野探幽展についての情報は少ない。

NIKKEI NET‐同展のスポンサーである日経新聞の美術展サイト





■2002年11月18日(月)――UNZA UNZA言いながら『なぜ戦争は終わらないか』を考える

★千田善『なぜ戦争は終わらないか――ユーゴ問題で民族・紛争・国際政治を考える』(みすず書房、2002/11、Amazon.co.jp

『なぜ戦争は終わらないか』 「なぜ戦争は終わらないか?」――この問いに、あなたならなんと答えるだろうか。

私は簡単に言えば(身も蓋も中身もないが)、戦争で儲かる奴がいるからだ、と考える。そう、ちょうどエミール・クストリッツァの映画『アンダーグラウンド』(Underground, 1995/監督=エミール・クストリッツァ/製作=カール・ボームガートナー/製作総指揮=ピエール・スペングラー/原案=デュシャン・コヴァチェヴィチ/脚本=デュシャン・コヴァチェヴィチ+エミール・クストリッツァ/音楽=ゴラン・ブレゴヴィチ/撮影=ヴィルコ・フィラチ/編集=ブランカ・ツェベラチ/衣裳=ネボイシャ・リパノヴィチ/美術=ミリェン・クリャコヴィチ)で、まだまだ戦争は終わらない、と地下に潜伏した人々を鼓舞し、武器をつくらせつづけ丸儲けを企んだマルコ(ミキ・マノイロヴィチ)のように。などと言えば、必要以上に込み入ってしまうか(笑)。

本書は、旧ユーゴスラビア現地での生活と取材に基づいて『ユーゴ紛争――多民族・モザイク国家の悲劇』(講談社現代新書、講談社、1993)『ユーゴ紛争はなぜ長期化したか――悲劇を大きくさせた欧米諸国の責任』(勁草書房、1999)などの著作を発表してきたジャーナリスト・千田善氏の最新著だ。「若い人たち向けに、国際政治の話を、わかりやすく」という目的で書いたということもあり、前作以後の情勢の変化も視野におさめつつ、ユーゴ紛争をめぐる入り組んだ国際政治の動きを基本的なことから丁寧に手際よく解説している。

その千田氏は言う。

「〈自動的に戦争が起こるわけではない〉、ということは、〈戦争には起きる仕組みがある〉ということだ。戦争は、人間が起こすものである。人間といっても庶民ではなくて、政治家が起こすものでもある。だから、〈仕組み〉を理解することで戦争を防ぐことができる。防げなかった場合でも、戦争を起こした政治家を戦争犯罪人として処罰することで、つぎの戦争を防ぐことができる、そういうふうに筆者は考えている。
「ユーゴの民族紛争は複雑であり、日本や世界の人間全員がくわしく知る必要はないが、だれかが知って調べて、まとめて本や記事、書類に残して、みんなが読めるようにするということが、つぎの戦争を起こさない保障になる。少なくともその助けになる、と考えている」(pp.53-54)

シンプルだけれど、ここからはじめるほかはない、そういう認識だと思う。「僕もパパみたいに戦争したい、したい、したいよう、絶対したいよう、石油もほしいよう、せっかく石油を使い放題のまんまでもいいように京都議定書だってけっとばしたんだから、戦争するったらするんだい」と駄々をこねつづけるジョージ・ブッシュにも読ませたい一節だ。と思っていると、後半は、ミロシェビッチの登場から凋落(逮捕・裁判)へ至る経過を追いながら、1999年のNATOによる空爆(中国大使館を含めた多数の誤爆が判明したあの悪名高い空爆)を軸に、NATOとアメリカ合衆国のユニラテラリズム批判に筆が及んでいる。当然の進みゆきであろう。

なぜ旧ユーゴスラビアで戦争が起こったのか、その結果どうなったのか。国連は、NATOは、アメリカはどう動いたのか。民族とはなにか。誰が何を得るのか/失うのか。わからないあなたには必読の書物である。

千田氏には、次の翻訳の仕事もある。

★ジョルジュ・カステラン+アントニア・ベルナール『スロヴェニア』【翻訳】(文庫クセジュ827、白水社、2000/05)

★ジョルジュ・カステラン+ガブリエラ・ヴィダン『クロアチア』【共訳】(千田善+湧口清隆訳、文庫クセジュ828、白水社、2000/05)

千田善のホームページ‐千田氏が主宰するWEBサイト。

★Emir Kusturica and The NO SMOKING ORCHESTRA, UNZA UNZA TIME(Universal Music Publishing, 2000, 5438042)‐UNZA UNZA TIME はこのCDに収録されている。





■2002年11月17日(日)――ピュイフォルカを傘下におさめたエルメス会長のにやけっぷり

「ピュイフォルカ展」(東京都庭園美術館)

東京都庭園美術館(目黒)で、「ピュイフォルカ展」が開かれている。本展には、1820年にパリに創業した銀器工房を継いだ三代目ルイ=ヴィクトール・ピュイフォルカ(1867-1955)が蒐集した16世紀から19世紀にわたる歴史的フランス銀器(現在はルーヴル美術館に収蔵)、ルイ=ヴィクトール自身の作品、それと息子のジャン・ピュイフォルカの作品が出品されている。

銀器についてはさしたる縁も知識もない私が言うのだから是非とも眉に唾して読んでいただきたいのだが、本展の見所は、個々の作品はもちろんのこと、歴史的銀器のコレクションとその延長上にいるルイ=ヴィクトールの自然をモチーフにした優雅な作品から、飽くまでそうした伝統を踏まえた上で装飾を排し幾何学的なフォルムに向かったジャンのどこか未来的な感じのする作品へとつづく銀器デザインの持続と変貌ぶりを一望できる点にある。こうした銀器デザインの変遷には、作家の個性や好みもさることながら銀器が置かれる空間の変貌が映しこまれているのだろう。本展では、旧朝香宮邸(1933)のアールデコ調の空間を利用して、ピュイフォルカの書斎の再現、テーブルセッティングなど、環境を含めた展示の工夫がなされており銀器が用いられる場面を想像するよすがを提供している。この建築自体に対する好みもあろうかと思うが、旧朝香宮邸とピュイフォルカ銀器の組み合わせは、他の美術館に設置された場合にはこうはいかないのではないかと思わせる雰囲気を醸している(余談になるが1995年に同美術館で開催された「エリザベス二世女王陛下コレクション レオナルド・ダ・ヴィンチ人体解剖図展」も同様に、他では得られない効果を出していたように思う)

本展を通じて社会・文化誌的な関心を刺激された身としては、「王侯貴族たちが使っていた銀器のコレクション」という次元にとどまらず、銀器をひとつの焦点として浮かび上がってくる生産、象徴、文化の多層的な諸関係を考えるヒントがもう少しあれば、と思ったのだがそれは美術展としての「ピュイフォルカ展」には求めるべくもないことであろうか。まあ自分で文献を漁ればよいのですが、なにせ根っからの怠け者なので(笑)。

展覧会場で流されていた、銀器工房でフォークやナイフが製造される過程を映したヴィデオ映像に思わず見とれてしまい、そのヴィデオ映像を何周も眺めてしまった。

「ピュイフォルカ展」は2002年12月01日まで

東京都庭園美術館





■2002年11月16日(土)――上田次郎のプロフィールにはたしか……

★堤幸彦監督『トリック 劇場版』

人間の生活に戻るためのリハビリの一環として、映画館に行くことにした。観たい映画、観るべき映画は(東京で上映されているものだけを数えても)いつでも山ほどある。問題は時間の折り合いだけだ。そしてここ数ヶ月、その時間が文字通りなかった。ゼロであった。

せっかくまともな人間の生活に戻ったので、劇場へ行くまえに書店をひやかすことにした。神田の三省堂のドアをくぐる。好みは東京堂なのだが、東京堂は改装中で物足りない。書評新聞二紙をレジに出して店員の対応を待っていると、隣のレジに制服姿の女子高校生が小さな声で「はずかしー」といいながらやってきた。なにが恥ずかしいのか。彼女が店員に差し出したのは、阿部……ではなくて、上田次郎(日本科学技術大学教授)が笑顔で右手人差し指をつきだしている写真が表紙の『日本科学技術大学教授上田次郎のどんと来い、超常現象』(テレビライフ編集室編、学習研究社、2002/11)であった。なにを恥ずかしがることがあろうかそこな女子高生、とは言わなかったが、恥ずかしいけどほしいというディレンマに悩まされている様子がいかにも可愛らしい。店員が「カヴァーをおかけしますか?」と尋ねると、彼女は激しく首肯する。自分もあんな風に気恥ずかしがりながら本を購うことはあるかしら、と思いをめぐらせてみた。古本屋で古典的名著を購うときなどはいささか気恥ずかしくなることがある。というのも、その書物を差し出す私に対してなんだか店主が無言でこんな風に言っているように妄想してしまうからだ。「なんだ、キミはまだこんな本も読んでいないのか」と。

そこで私の用事は済んだのでレジ台を離れて上の階へ移動した。

(英語で読んだ読者には関係ないことだが)、ハートとネグりの『帝国』(酒井隆訳、以文社、刊行予定)の邦訳刊行を予告するポップの様子が前回見たときと違う。と思ったら、「11月下旬」とあったところに上から「12」と貼ってある。なおもあちこちの階をうろついて数冊の書物を入手して書店を後にした。

さて映画である。何を観よう。迷った。そのくせ(?)選んだのは、『トリック 劇場版』(監督=堤幸彦/制作総指揮=高井英幸+早河洋/制作=木村純一+風野健治/脚本=蒔田光治/音楽=辻陽/撮影=斑目重友//美術=稲垣尚夫/照明=池田ゆき子/録音=中村徳幸/編集=伊藤伸行/助監督=木村ひさし/製作担当=朝比奈真一)だった。書店での出来事がきっかけになっていないといえばウソになるが、本当は恵比寿ガーデンシネマにかかっている『ゴスフォードパーク』(GOSFORD PARK、2001/監督=ロバート・アルトマン)を観ようと考えていた。のだが、劇場へ参じてみたらすでに最終回以外は席が埋まっていたのだった。

その『トリック 劇場版』である。私はTVドラマを観ていると、多くの場合、あのつくりものめいた感じ(声の調子、表情、身振り)にムズムズしてしまってなかなか見つづけられない。その点『トリック』は大丈夫だ。なぜか? そこを逆手にとるというか、開き直っているからだ。知識はあるが知恵のない天才物理学者・上田教授(阿部寛)にせよ、意地っ張りの売れない手品師・山田奈緒子(仲間由紀恵)にせよ、とことん作り物めいている。阿部寛など、つとめてインチキ臭さを出そうとしているのではないかと思われるほど表情をつくり、発声をコントロールしている。その割り切った演出はすがすがしくさえある。ここにはつとめて自然に演出しようとする意向と、どこか不自然な演技とがぶつかる居心地の悪さがない。

ストーリーは例によって(?)、横溝正史のパロディー(といえば両方のファンからしかられるか)のような構成で、ひなびた村で起こる血縁と信仰と殺人の入り組んだ出来事に山田と上田が巻き込まれてゆく。駄洒落、下ネタ、ギャグの細かい笑いを丁寧にはさみながら(しかしお約束どおり〔?〕打率は五割程度)、山田の手品師対決(というと語弊があるか)、危機と脱出、謎かけと解決、山田と上田のすれ違いが提示されて飽きないつくりになっている。チープでキッチュな深夜番組を劇場のスクリーンで観ているような按配ではあるが(というよりそのような構成が意図されているわけだが)、イタい映画のように「これ、劇場で観なくてもテレビ東京のお昼で流してもらえばよいのでは」というところまではいかない。このぎりぎりな感じがよいのである。もちろん、竹中直人、ベンガル、石橋蓮司、伊武雅刀、野際洋子、といった安心して観ていられる芸人たちが脇を固めているのも大きい。

などと御託を並べてみたが(きっとあなたにとってもそうであるように)そんなことはどうでもよい。不本意ながら来る日も来る日も一本のゲームばかりに向き合って、かたくこわばってしまった精神が、他愛もない笑いによってほぐれる。不満はたくさんあった。けれども作品の出来映えを判定などしなくても、私にはその効果だけで十分だったのである。「おもしろかった」と書けば7文字で済むところを、つい敷衍してみたくなってしまう。それもまた作品の力(もちろん、その作品が八雲に対して持ち得た力)ではないだろうか。などとすぐ御託を並べるのがよくないと自分でも思う。

『キネマ旬報』(No.1368、2002年11月下旬号)で特集が組まれている。

トリック 劇場版‐公式サイト

キネマ旬報社‐キネマ旬報社のWEBサイト





■2002年11月15日(金)――そうだ、(レンブラントを観に)京都へ行こう

★アンリ・フォシヨン『フォルムの素描家 レンブラント』(原章二訳、彩流社、2002/11、Amazon.co.jp
 Henri Focillon, Rembrandt (Plon, 1936)

『フォルムの素描家 レンブラント』 アンリ・フォシヨン(Henri Focillon, 1881-1943)によるレンブラント頌、『フォルムの素描家 レンブラント』(原章二訳、彩流社、2002/11)を読む。本書はフォシヨンが、レンブラント(もしくは伝レンブラント)作品に触発されながら言語による伴奏を付した、そんな掌品だ。

「なにものも拒まず、人間と生命が展開する光景に深くこころを動かされ、いたるところに愛情あふれる線を見出す観察力、それがレンブラントの偉大さの真の源泉なのだ。(中略)おそらく、その源泉に対して用いられるべき最良の言葉は『友愛』であろう」

『夜警』、『病者を癒し幼児を祝福するキリスト(百フルデン版画)』、『布地組合の見本鑑査官たち』、『魔法の円盤を眺める書斎のファウスト』、『デュルプ博士の解剖学講義』、そして多数の自画像とシナゴーグのスケッチ……。レンブラントといえば人が思い出すようなこれらの作品にレンブラントの対象への「友愛」は見出せるだろうか。私にはにわかに答える用意はない。フォシヨンの伴奏を手がかりに最後に観たときとは異なる態度でレンブラントに臨むばかりだ。

ただ、このように言うフォシヨンの言葉自体が、レンブラントへの友愛に満ちていることは確かだ。芸術に触れて、芸術とのあいだにわきあがる友愛。出会いの出来事の幸福な一例がここにはある(別の項目で言及するつもりだけれど、エリー・フォールの古典古代ギリシア美術に対する関係もまた、友愛であるように思う)

フォシヨンは、レンブラントのエッチングを高く評価して言う。

「……レンブラントは銅版に柔らかく、かつ力強い影を求め、移りゆく半陰影の微妙な音色を追求した。実にそこに、レンブラント芸術の本質が見つかる、と私は思う。
「実際この偉大な画家が、世界と人間を何よりまず銅版画制作者として見たこと、銅版という材質とその仕事がレンブラント哲学の中心に位置すること、私はそれを心から確信する。もっというならば、すべての偉大な画家は、銅版という道を通じて宇宙のイメージを把握し決定する、と私は思う。銅の板の一彫りで、レンブラントは完璧に形象を捉えた。レンブラントが私たちにとって何より大切なのは、おそらく、この銅版画という伸びやかに解放され、澄明を極めるところの、淡黄色の芸術においてだろう」

「すべての偉大な画家」が「銅版という道を通じて宇宙のイメージを把握し決定する」とは、どう贔屓目に見ても言いすぎだろう。ただ、そう言いたくなるほどレンブラントのエッチングには、空間を織りなす光と空気とが精妙に現出していることは誰もが感得するところだ。そう言うのではすまない過剰さがフォシヨンの文章にはある。ここには、それが事実かどうかなどということとは無縁の、ひとつの〈悦び〉が表現されているように思われてならない。

レンブラントの絵画、フォシヨンの言語、その二つに対するあなたの眼差し――この三つがいかなる効果を生じさせるのか? 調和するのか闘争をくりひろげるのか鋭い不協和音を形成しながら緊張感あるスリリングな響きをつくりだすのか。どのような音色が奏でられるのかは、もちろん人により時によるのだろうけれど、この出会いからただちにレンブラントの作品そのものに向かい合いたくなる力を与えられることでは違いがないだろう。

本書には、モノクロ印刷で60点ほどの作品が掲載されている。が、もちろんこれらの複製は渇望感を増強しこそすれ、鎮めることはない。単に予算や技術上の理由によってこのような体裁になったのだと推察するが、下手にカラーで印刷されているよりいっそ潔いと思った次第。というのも最近ウィンスロップ・コレクション展国立西洋美術館、2002/12/08まで)のカタログでホイッスラーの作品のあまりの再現率の悪さに愕然とした――カタログに期待などするからいけないのだといえばそうなのだが――ことがあって。それはそうと、どうしよう? どうやってレンブラントを観よう? あれ、そういえば京都国立博物館「大レンブラント展」が開催されていなかったっけ? そうだ、京都へ行こう。

Rembrandt Rembrandt‐「アート・エキシビジョンのWEBサイトのレンブラントに関するコンテンツ

日本語に移植されているフォシヨンの仕事は以下のとおり。

『形の生命』(杉本秀太郎訳、岩波書店、1969)

『ロマネスクの彫刻』(中央公論社)

『西欧の芸術1――ロマネスク』(神沢栄三訳、SD選書、鹿島出版会)

『西欧の芸術2――ゴシック』(神沢栄三訳、SD選書、鹿島出版会)

『至福千年』(神沢栄三訳、みすず書房、1992)

『ピエロ・デッラ・フランチェスカ』(原章二訳、白水社、1997)

『ラファエロ――幸福の絵画』(原章二訳、平凡社ライブラリー、平凡社、2001)

追伸:この雑文を記しながら、しばらく前に観たシャルル・マトンの監督作品『レンブラントへの贈り物』(Rembrandt, 1999/制作総指揮=アニャ・グラフェール/制作=アンベール・バルサン/脚本=シルヴィ・マトン/撮影=ピエール・デュプエ/美術=フィリップ・シフレ/音楽=ニコラ・マトン/フランス+ドイツ+オランダ合作/DVD番号=OPSD-S039/DVDのタイトルは『レンブラント』)を思い出した。といっても自分は本当にこの映画を観たのか? と頼りなくなるほどなにも印象に残っていない。観たという事実ばかりを覚えている。ただひとつだけ思い出せるのは、破産したレンブラントの家から調度が撤収されて閑散とした家の中に窓から差込む光がみちあふれるショットだけだ(それさえも本当に映画中のショットなのかどうか怪しいのだが)。どうしてこんな不面目なことになったのかは、言わぬが花か。



■2002年11月14日(木)――エミリ・ドゥルーズ『新しい肌』を思い出す

仕事の都合で今年の初夏から私的な時間のない生活を強いられてきたが、今週になってようやくその仕事(ゲーム制作)が終了した。

業界外の知人と話していると、ときおり「ゲームで遊ぶのが仕事だなんてうらやましい」といったコメントをいただくことがある。が、いくら好きでも自分が作ったゲームを朝から晩まで何ヶ月もプレイするのはやりきれないものだ。ゲームをプレイする、といっても遊ぶわけではない。本の校正者が原稿の間違いを探すように、ありうるバグを探し出し、潰すために考えられる限りの操作を試すのだから。自分で自分の間違いを探し、修正し、間違いが直ったかどうかを確認する。何を作るの似たようなものかもしれないが(貧しい経験から言うと翻訳の作業も似たようなものだ)。

ゲーム制作の仕事が過酷になると、私は1999年の「第7回フランス映画祭横浜'99」で吉田浩とともに観たエミリ・ドゥルーズの監督作品『新しい肌』(Peau Neuve, 1999/製作=アニエスb.+カロル・スコッタ/脚本=エミリ・ドゥルーズ+ロラン・ギヨ+ギイ・ロラン/撮影=アントワーヌ・エベルレ/美術=ジミー・ヴァンスティーンキスト+ムンジ・ガセ・クチュール)を思い出す。パリでゲームのテスター(とはつまり開発者たちがつくったゲームを検品する仕事のこと)を生業にするアラン(サミュエル・ル・ビアン)が、妻に相談せずに仕事を辞め、呆れられながら職業訓練学校でブルドーザーの運転を学ぶ。明滅するスクリーン上の非現実世界の操作に始終するゲーム・テスターから、圧倒的な物質の塊として存在する巨大なブルドーザーを操作する運転手へ、という転身の対称性については、当時は個人的にいささかつくりものめいた感じを受けて不満を覚えたことを記憶している。けれども別の観方をすれば――というよりむしろ作家ははじめからそちらを示唆していたのだろうし素直に考えれば当たり前のことなのだが――この転身によって、アランは他人が作ったゲームを非生産者として検品する立場から、自分が何かを生み出しうる技術を身につけた人間へと変化(脱皮 faire peau neuve)したのだ。

そう考えると、本当は「ゲーム制作が追いこみになってつらくなると『新しい肌』を思いだし、『アランの心境がわかるよ、私も新しい肌がほしいなぁ』と言いたくなる」――と言うつもりでいたのだが、曲がりなりにも生産者の立場にある身としてはこの言い分が不当であることに気づかざるを得ない。

と言ってももちろん、矢鱈と生産すればいいというものではない。むしろ生産しない方がよいゴミのようなものだって沢山あるのだから、一方的に生産に価値を置いたような上記の寸評もおおいに怪しまねばなるまい。

『新しい肌』は、これといって完結する筋があるわけでもないのだが(だからこそ?)、観てから3年を経たいまでも強く印象に焼き付いている。しかし、どういうわけか私の脳裏にうかぶ映像にあらわれるアランは、サミュエル・ル・ビアンというよりはブルーノ・ガンツであったり、エミリの父であるジル・ドゥルーズであったりするのだ。このすり替えがいつ起こったのかわからない。いや、『新しい肌』を観ている間にも、楽しげにブルドーザーを運転するアランはブルーノ・ガンツに見えていたし、高台から地表までの距離をたしかめるようにカメラが下を除きこむ場面でのアランがジル・ドゥルーズに見えていたこともはっきりと覚えている。

加えて2001年に劇場で観たクリストフ・ガンズの監督作品『ジェヴォーダンの獣』(Le pacte des loups, 2001/製作=サミュエル・ハディダ+リシャール・グランピエール/撮影=ダン・ローストセン/編集=デヴィッド・ウー)で、主人公グレゴワ−ル・デ・フロンサックことサミュエル・ル・ビアンを観ても、にわかにはアランであると気づかなかったのだから重症である。余談になるが、この映画、設定やキャラクターの立て方はよいのだが、デヴィッド・ウーの例のストップモーション編集の過剰さとキャラクターを活かし切らない半端さが否めないストーリー展開がかみあわず、全体としては残念なつくりであった。ハワイ出身でマーシャルアーツの達人であるマーク・ダカスコスのアクションが救いであろうか。そういえば今年のはじめに観たピトフ監督の『ヴィドック』(Vidocq, 2000/脚本=ピトフ+ジャン=クリストフ・グランジェ)もまた、設定(といっても原作があるわけだが)とゴシック・ミステリーの雰囲気の味わいが十分に活かされず(単に2時間という映画の枠に不満なだけか?)、50を越えたジェラール・ドパルデューの巨体が画面狭しと繰り広げるアクションは楽しんだものの、作品全体としては個人的に残念な作品であった。

脱線に脱線を重ねたが、冒頭にも述べたようにほとんど無意味に過剰な労働から解放されて、私にもそれこそ脱皮に近い生活環境の変化が訪れた。映画はおろか本もろくに読めない生活(哲学の劇場の更新はなおのこと!)とはしばし別れをつげて、自らの愉しみのための仕事をしたいものだ。なンていう雑感を書きつけつつ、先週読んだジャン=ミシェル・フロドンの『映画と国民国家』(野崎歓訳、岩波書店、2002/10)やエリー・フォール『美術史1――古代美術』(篠塚千恵子訳、国書刊行会、2002/10)の寸評を記すつもりで筆をとったはずが連想に継ぐ連想で思いがけない場所へ運ばれて行ってしまった。これらの書物については別の日付で。



■2002年11月07日(木)――ほしのこえを聴いた

★新海誠『ほしのこえ The voices of distant star』(コミックス・ウェーブ、2002/04; アニメージュ ライブラリー VOL.1、徳間書店、2002/09、Amazon.co.jp

『ほしのこえ』 以前から話ばかりを聞かされていた『ほしのこえ』を観る機会を得た。この25分のフル・デジタル処理で制作されたアニメーションは、作家・新海誠氏が一人で制作したものだ。

時は2047年。登場人物の長峰美加子と寺尾昇は同じ中学に通う仲のよい同級生。その年、美加子が国連宇宙軍の選抜メンバーに選ばれる。人類は、2039年の出来事、つまり火星探査隊が異生命体(タルシアン)の攻撃を受け壊滅した事件に対して、タルシアン調査を目的とした国連宇宙軍の調査団を組織し送り出す。美加子はその調査団のメンバー(探査マシン=トレーサーの操縦者)に選ばれたのだった。美加子が乗る宇宙戦艦は、次第に地球を離れて行く。携帯メールで連絡をとりあう二人の距離もまた離れ、メールが届くまでの時間が、一ヶ月から一年、一年から十年になる……。「私たちは、たぶん、宇宙と地上にひきさかれる恋人の、最初の世代だ」――物語はなにより作中のこの台詞につきており、作品の25分は宇宙的規模で引き裂かれる二人の恋心のせつなさを静かに描くことにのみ費やされている。

馬鹿の一つ覚えのようで恐縮だが、やはり一人でこれだけのアニメーション作品を創りあげたことは驚嘆に値する。もちろん、作品を受容する上では作者が何人だろうが関係はない。たとえばあるアニメやゲームが30人で作られていようが、100人で作られていようが、それを気にする受容者はほとんどいないだろう。

しかし、集団でモノ創りをする生業(私の場合はゲームだが)に就く者としては、この作品が一人の人間によって創られた事実は驚異である。驚異であると同時に魅力的だ。それは同DVDに収録されたインタヴューの中で作家本人も述べていることだが、一人で創るなら作家の個人的な創意を十全に発揮することができる。たとえば、この作品に登場するミカコは、なぜか学校の制服のままトレーサーに搭乗している。そしてそのことについて作品中では特に理由は述べられていない。一部の受容者をのぞけば、学校の制服でメカを操縦するミカコを観て、「おや?」と思うだろう。国連軍の制服やパイロット・スーツを着ないのかな? とか。集団で創る場合、このことひとつをとっても十分議論の種になりうる。「学校の制服で国連軍のパイロットをやっているのはおかしい」「そういう絵がほしいだけなんだし、実際いい絵なんだから理屈なんていらない」「宇宙服を着せるべきだ」云々かんぬん。一事が万事そうだといってもよい。

もちろん個人制作と集団制作のどちらがよいか、という問題ではない。一人で創れば、趣味は出せるが集団の吟味を経ない分、不特定多数の受容者に理解・支持されうるだけのものに仕上げるのはすべて自分の力量にかかってくる。そのかわり、集団の吟味を経てともすると丸くなってしまうエッジを保持したまま作品することができる可能性がある。すみずみまで自分が満足ゆくように手をいれられる、ということは別の言い方をすれば、すべて自分でやらねばならないということでもある。ともあれ。それなりの技術と創意と経験と根気とを持ち合わせていれば、アニメーションという表現形式も個人が選び得る選択肢のひとつであることを、新海氏は明示してくれた。誠に勝手なことではあるが、新海氏のような作家がどんどん出てくるとよいと思う(私が知らないだけだろうけれど)。そして一人、あるいは小人数でしか創れないもの(単に資本の増大を目的とした企業に従属する創作から少しだけ自由になった創造)をどんどん見せてほしいと思う。

Other voices-遠い声-‐新海誠氏のWEBサイト





■2002年11月03日(日)――手続き上のミスで図らずもヴィフレドと命名されてしまったらしいラムの展覧会

横浜美術館で開催中の「ヴィフレド・ラム展――変化するイメージ」を観た。1902年、中国系移民の父とアフリカ系キューバ人の母の間に生まれたラムは、ハバナの美術学校で学んだ後、スペインに渡り、パリ、ニューヨーク、キューバを往来しながら、三度の結婚をし、1982年パリで客死した。

今回の展覧会では絵画に加えて後年のモチーフをそのまま立体にしたような陶器やブロンズの作品を含む100点を越える作品を、年代順に配置している。写実的な初期の作品から渡欧してピカソらとの交友がはじまった1940年前後のアフリカ彫刻を連想させる作品、後年への助走であるかのようなブルトンの『ファタ・モルガナ』(Fata Morgana)のための一連の素描を経て、動物と人、男と女、無機物と有機物とがつながりあい融合し、増殖、生成変化するかのような――人がラムといえば想起する――モチーフが全面的に開花する晩年に至る作品群。

あの『ジャングル』(La Jungle, 1943; 画像はたとえばこここそ来日していないものの、ラムの変貌ぶりを時を追いながら感得できる展示の構成はうれしい限りだ。作品によってはガラスケース越しではなく、照明の映り込みに邪魔されることなくカンヴァスを直に観ることができるのもよい。順路を何度も往復しつつ『ヘルメス・トリスメギストス』(Hermès Trismègiste, 1945)『アダムとイヴ』(Adam et Eve, 1969)といった作品の前でしばし脚をとめ、直前に観た作品と重ねあわせるように心行くまで眺めつつ圧倒されることができるのもひとえに人気のないおかげだ(前回観に行った「チャルトリスキ・コレクション」とはうってかわり、桜木町駅とランドマークタワーの混雑が嘘のような静けさであった。むろん開催者側としては遺憾なことだろうと思うが)

触手や爪、あるいは神経節、なんらかの器官のような複数の個体を思わせる――のは随所に描きこまれた眼である――身体が、互いに刺し貫き、つながりあい、画面中でからみあう作品を観ていたら、これはひょっとしたら生殖と出産と死滅の果てしない連鎖を描いた絵画なのではないか、と腑に落ちた。だとすれば――とはもはやラムの創作意図とは無縁かつなんの裏付けもないまったく勝手な私の解釈にすぎないのだが――これらの作品は、人と動物とそれらが関係しあう世界そのものが産み/産まれ、食し/食される永遠の連鎖であることを一枚の平面におさめきったものなのではないか。そこには当然のことながら時間が畳み込まれている。平面の上を、身体から身体へ臍の緒をたどるようにたどる視線がそのつど時間を生成する。そんな装置の数々を、ラムは創り出し、差し出したのではないか? ラムの作品に触発されて、そんな妄想に襲われた。

「ヴィフレド・ラム展――変化するイメージ」は、2003年01月13日まで。

横浜美術館‐同美術のサイト。残念ながらラム展に関する情報は少ない。

ギャルリー宮脇‐左はギャルリー宮脇のサイト内にあるラム・コーナーへのリンク。

アート遊‐左はアート遊のサイト内にあるシュルレアリスム作家コーナー下のラム作品へのリンク。





■2002年11月02日(土)――この人も娘さんから「生きた図書館」呼ばわりされてましたっけ

ジル・ドゥルーズ『批評と臨床』(鈴木雅大+谷口昌親+守中高明訳、河出書房新社、2002/10、Amazon.co.jp
 Gilles Deleuze, Critique et Clinique (Éditions de Minuit, 1993)

『批評と臨床』/装丁=戸田ツトム Critique et Clinique ジル・ドゥルーズ生前最後の著作、Critique et Clinique(Les Éditions de Minuit, 1993)の邦訳が原書の刊行からおよそ10年の時を閲して刊行された。

ドゥルーズの作品がつねにそうであったように、本書もまた闘争の書物である。ルイス・ウルフソン、ルイス・キャロル、ベケット、ニーチェ、ロレンス、マゾッホ、ホイットマン、メルヴィル、アルフレッド・ジャリ、カフカ、T.E.ロレンス、アルトー、スピノザ……。ドゥルーズは作家たちを召喚し、共闘する。優れた音楽家が手垢にまみれた古典作品に新たな生を与えるように、ドゥルーズは作家たちの作品読解を通じてテクストの潜在性を顕在化させる。闘争の相手は、わたしたちの生と思考を取り囲む反動的な諸力だ。わたしたち自身の中にもある否定的な力についてドゥルーズはこのように言う。

「ところがこの私たちは、この私たちはたかだか関係の『論理』(ロジック)のなかで生きているにすぎない(中略)。生身の関係におけるこの離接を私たちは〔論理的・抽象的な〕たんなる『あれかこれか』にしてしまう。連結は、私たちはそれを原因から結果への、あるいは原理〔始点〕から帰結〔終点〕への関係に変えてしまう。この生きて流れている、流れが結び合う世界を私たちは抽象して、主語〔主体〕、目的語〔対象〕、述語、論理的諸関係からなる、生気を欠いた複製の世界をつくりあげた。私たちはそうやって審判〔判断〕のシステムを抽出してきたのだった。問題は社会と自然、人工的と自然的とを対立させることにあるのではない。人為かどうかなど大したことではない。自然の生身の関わり合いがただの論理的関係に翻訳され、象徴がただのイメージに、流れがただの線分に翻訳されるそのたびに、また生きたやりとりがただの『主‐客』の関係に切り抜かれるそのたびに、世界は死ぬのだと、私たちは言わなければならないだろう。そしてそのたびに衆の心、集団の心もまた、民衆の自我のうちにせよ、専制君主の自我のうちにせよ、一個の〈自我〉のうちに閉じ込められてしまうのであると」(第6章「ニーチェと聖パウロ、ロレンスとパトモスのヨハネ」)

そう、いまもってまったく他人事ではない事態についてドゥルーズは述べているのだ。メディア、資本、国家、コミュニティ……いたるところに審判〔判断〕のシステム(Le systéme du jugement)があり、幅を利かせている。そのようなとき、わたしたちに何ができるのか?

「おのれを一つの自我として考えることをやめ、おのれを一つの流れとして生きること。おのれの外をまた内を流れる他のさまざまな流れと関わりあいながら流れている一つの流れとして、流れの集まりとして生きること」(第6章「ニーチェと聖パウロ、ロレンスとパトモスのヨハネ」)

「裁きは、あらゆる新たなる存在様態が到来するのを妨げてしまう。(中略)裁くのではなく、存在させること。(中略)われわれは、他の存在者たちを裁く必要はない。そうではなく、それらがわれわれにふさわしいかふさわしくないか、つまり、それらがわれわれに力をもたらしてくれるか、それともわれわれを戦争の悲惨や夢の貧しさや組織化の厳格さに差し向けてしまうかを、感じ取ることこそが必要なのだ」(第15章「裁きと訣別するために」)

まったく生半可なことではない。しかし、だからこそドゥルーズは、言語によって当の言語を吃らせ、耐えず撹乱し、ともすれば習慣的に作用する「あれかこれか」の論理を破壊する稀有な作家たちを褒め称え、さらにその潜在性を十全に顕在化させる仕事を生涯つづけたのであるし、自らもそうした作家として書くこと(闘争すること)を実践したのであろう。

ドゥルーズの歿後も、その仕事が読み手をおおいに触発しつづけて止まないことは、幸というべきか不幸というべきかわからない。いつかドゥルーズが闘争した状況が消えてなくなるなら、そのときはドゥルーズを読むのをやめればよい。とはいえ、偉大な作家たちの作品に触れると、まるで彼/彼女らが人間の度し難い本性とその普遍/不変性を、先の先まで予見しているかのように感じられるのと同様に、ドゥルーズはこれからも常にアクチュアルでありつづけるのではないか、などと憂鬱な予感にとらわれるのも事実である。というのも、繰り返しになるが、ドゥルーズの作品から刺激を受けるということはとりもなおさず、世界にあいかわらず愚劣がはびこっているということに他ならないのだから。

最後に翻訳について。邦訳書中、「エイゼンシュテイン」と記すべきところを二度にわたって「アインシュタイン」と記している箇所があった。文脈からそれが「アインシュタイン」ではなく「エイゼンシュテイン」であることは明かであるから(実際原書p.35、p.37では"Eisenstein"と書かれている)、害は少ないだろう。「絵巻物の中に映画的モンタージュの真の先駆形態を見て取」るアインシュタイン、「ディケンズの後をうけて(中略)――湯沸しが私を見つめている……」と言うアインシュタイン、というハプニング的な組み合わせから少なからぬ刺激を受けた身としては、この se の欠落にそれほど文句をつけたいわけではない。とはいえ、誉められたミスでないことにかわりはない。

訳者の一人、谷昌親氏の近著『詩人とボクサー――アルチュール・クラヴァン伝』(青土社、2002/10)は、日本語で読める文献としてはおそらく初のクラヴァン伝。うれしい仕事だ。近くここで取り上げてみたい。

また、ことのついでに、訳者の一人である守中高明氏のプロフィールを作成してみた。

作家の肖像 > 守中高明



■2002年10月26日(土)――図書館に住む生きた図書館(viva bibliotheca)

★佐々木能章『ライプニッツ術――モナドは世界を編集する』工作舎、2002/10、Amazon.co.jp

『ライプニッツ術』 あの画期的な『ライプニッツ著作集』工作舎、1988-1999)全10巻が完結したのはまだ記憶に新しい1999年のこと。この10年越しの一大事業のおかげで、現在わたしたちの手許にはライプニッツの巨大な足跡に接近するためのさしあたっての道具が揃った。

しかし、である。いざライプニッツに取り組もうとするわたしたちは、怪物マシーン・ライプニッツが走り回った領域のあまりの広大さに呆然とする。ライプニッツとは、ブルバキのような集団に冠せられた名前だったのではないかと疑いたくなるほどだ。ライプニッツの仕事の全域(1923年から刊行が続いているアカデミー版全集はいまだ完結していない)を踏査するためには、もう一人のライプニッツが必要である。もちろん、ライプニッツの全仕事がそのまま現代のわたしたちの思索と実践に資するわけではない。とはいえ、その財産目録を検討してみないことには、いたるところでリンクしあい響きあうライプニッツの仕事を十全に活用することも覚束ないのではないだろうか。

そんな風に途方に暮れる私たちのもとに福音が届いた。『ライプニッツ著作集』の共訳者の一人でもある佐々木能章氏の『ライプニッツ術――モナドは世界を編集する』工作舎、2002/10)である。

本書は通常の意味での哲学書ではない。ライプニッツがいかにしてあれだけの仕事を手がけることができたのか? その思考と仕事のスタイルと実践の術に迫ろうという書物である。つまり、怪物マシーンが走破した全領域をフォロウするというよりは、怪物マシーンにそれだけの走行を許したエンジンがどのようなものであったかを検分する書物といったらよいだろうか。奥出直人氏の書物のタイトルを借りるならライプニッツの「思考のエンジン」のスペックと性能を解明しよう、というアプローチである。これが滅法おもしろい。

「差異や変化が無いと考えるのではない。無限に小さいと考えるのである。つまりはあるのだ。存在と無とでは折り合いがつかない。しかし存在同士でなら調整は可能となる。『一見相対立する』ものとは、差異や変化があるか無いかによって区別をしていた。しかし実は両方とも差異や変化がある、とすることによって同じ土俵で扱うことが可能となる。もちろん何度も言うように、ここでは『無限』が決定的に重要な役割を果たしている。この時期に発見された『無限小』という数学上の概念なくしては、無限に小さい差異や変化という発想はあり得なかった。ライプニッツはこの概念を背景に、自然の現象を統一的に把握する可能性を追求しようとしていた」(p.56)

「現象の多様さこそが説明されるべきことであり、多様さが減ってしまうような説明は望むところではない。ライプニッツはデカルト哲学の中にその気配を感じ取った。デカルトの衝突の法則を吟味することによって、ライプニッツは何よりも多様さを捉えるという課題を第一においたのである」(p.60)

「大事なのは、違いをなくすことではなく、どこで違いが出てくるかを見きわめること、そしてこれがもっと大事なのだが、違いがはっきりと出せないならば、多様性を認める方向で考える、あるいは存在が豊かになる方向で考えるということである。」(p.60)

ライプニッツが無限の概念を媒介にして、同一性を差異の、静止を運動の一種であると考えるのは、現象の多様なあらわれを理論の箍にはめて殺すためではなく、現象の多様さを多様なままに捉えるためであった。かといって、ライプニッツは多様性をそのまま記述するだけでは満足しない。もし多様性を記録するだけなら、ライプニッツは博物学とでもいうべき仕事に専念すればよかったはずだ。むしろ、多様性を能う限り殺さずにしかしそれを有限の概念の組み合わせで把握すること――もちろん佐々木氏はこんな風に乱暴な単純化をしていないが、佐々木氏の筆を通して見えてくるライプニッツ術を一言でいうならそういうことではないだろうか(取り扱う範囲が狭いとはいえ、私はここでS.ウルフラムが近著A New Kind of Science(Wolfram Media Inc, 2002/05)で展開した複雑性に対するアプローチを想起する)

こう考えればライプニッツが横断した領域が、哲学、数学、言語学、法学、物理学、生物学、地質学、歴史学、神学、技術論、政策、図書館学、中国研究――と多岐にわたるのももっともなことである。人は、自然や人間あるいはその社会に生起する諸現象を、いくつかの異なる方法と観点から考察してきた。個々の学問分野とは、その方法と観点に与えられた名前だ。ライプニッツの関心が万学にわたるのは、個々の学問の枠組みに関心があることもさることながら、むしろ諸学がもたらす種々の異なる観点から、自然や人間、社会をその潜在性を含めて十全に把握するためであろう。仮に存在と存在者に対するライプニッツの多様で複眼的なアプローチを水平方向の思考術と呼ぶとすれば、他方でライプニッツには個体と世界(宇宙)を往還する垂直方向の思考術がある。

「ライプニッツの哲学は、個体と世界とのあいだを常に行き来している。ライプニッツの用語で言うならば、モナドと予定調和とがその両端を支えるものとなっている。どちらもそれだけだと説明としては成り立たず、互いに補い合うことによって初めて全体像が姿を現すものである。そしてこの両者はいつも緊張感をもって対峙しつつ支えあっている。ライプニッツの哲学を解きほぐすことの難しさは、この緊張関係をどこから描き出すかということにある。これが厄介なのはモナドも世界もそれぞれが積極的な意味での無限を含意しているからである。そしてモナドを考えると世界まで広がり、世界を考えるとモナドに出会うことになる。」(p.172)

なんという精神であろうか。私はライプニッツの仕事に驚くばかりではなく、このような精神さえも存在させえたこの世界に驚かずにはいられない。ライプニッツを存在させた世界と、その世界を把握せんとするライプニッツ……。

あまりの面白さに本書を一気に読み終えた私は、余勢を駆ってライプニッツ術をライプニッツに適用してみるべく書棚から著作集を抜き出したのであったが。



■2002年10月19日(土)

★ウィンスロップ・コレクション

★ピカソ 天才の誕生――バルセロナ・ピカソ美術館展

★ロバート・メイプルソープ展

★ダムタイプ:ヴォヤージュ

といった展覧についてコメントを書こうと思ったけれどまた今度。

新宿紀伊国屋書店で本を見て歩いているときのこと。先頃『週刊読書人』での連載が完結した蓮實重彦氏へのインタヴューがまとめられた『「知」的放蕩論序説』(河出書房新社、2002/10)に遭遇。紙上での連載に目を通していたので、追記増補はあるかしらんと同書を手にとり検分することしばし。ページをぱらぱらめくりながら、前半はインタヴュアーらの蓮實氏に対する敬語の言いまわしだけでページの半分以上が埋まってるんじゃないかと錯覚しそうな勢いだったなあこれ、敬語をカットしたら何十ページか本が薄くなるんじゃなかろうか、などと連載記事を読んだときに心に浮かんだよしなしごとを反芻しつつあとがき以外はとくにそのままらしいことを見て本を棚に戻した。その附近の他の書物を眺めておこうと右手を見るとどこかで見たような人物がこれまた本を検分している最中。よく見ればその紳士、蓮實重彦氏であった。面識のない著者とその書物が同時に目の前にある不思議(でもなんでもないのだが)に軽い眩暈を覚えて書店を後にした私。はからずも1998年の同じころ同じ書棚の前で東浩紀氏がやはり出版したばかりの『存在論的、郵便的』(新潮社、1998/10)を手にしたり棚に戻したりしているところに遭遇したことを思いだし、存外つまらないことをよく覚えているものだと呆れたりして。



■2002年10月16日(水)――見えすぎちゃって/知りすぎちゃってなにも見えない罠(あらまあ)

★ダニエル・アラス『なにも見ていない――名画をめぐる六つの冒険』(宮下志朗訳、白水社、2002/10、Amazon.co.jp
 Daniel Arasse, On n'y voit rien. Description(Denoël, 2001)

『なにも見ていない』/装丁=東幸央 この愉快な美術論は、フィクションの形式で書かれている。あるときは、二人の人物の対話として、講演として、書簡として、三人称による描写として。どうしてアラスは、通例の美術論のように客観を装う学術的な文体ではなしに、そんな書き方をしたのだろうか。個別に考えればそれぞれの趣向にはそれぞれの面白さが見出せるだろうけれど、さしあたって簡単に言ってしまえば、アラスは絵画の解釈という営為がつねに第三者に開かれていることを(内容ばかりでなく)形式的にも示そうとしたのだと思う。

対話では意見の異なる二人の人物が一幅の絵画を見ながら議論を戦わせる。講演では、話者はたえず目の前の聴衆へ配慮(聴衆が持つであろう疑問への応答)しながら話を進める。書簡では、筆者が宛先となる人物が言いそうなことを想定しつつ議論を組みたてるのだが、もちろんこの場合は限りなく一人称に近いわけで他者に開かれているのかといわれればそうではないと言うこともできるが、結局のところ書かれた手紙は宛先に送り届けられ送る者と送られる者との間にズレを生じさせ、議論を誘発するのだしむしろこのような場合に書かれる手紙とはそのようなズレを確認することを一つの目的としてあらかじめ特定の他者との齟齬を念頭において書かれるものであろう。三人称の記述は、主人公となる人物の作品解釈を客観化するというよりはむしろ、主人公の思考の進め方を相対化する働きをもっている。などなど。

「そんなことを言ったって、絵画の解釈はそもそも第三者に開かれているではないか! 絵画がつねに鑑賞者に開かれているのと同じように!」と考えるあなたは美術史/家の恐ろしさを知らないのである。私も知らないが。

どうやらアラスが本書の内容はもちろんのこと形式を使って批判しているのは、美術作品の解釈を牛耳る美術史学もしくはそこに住まい作品解釈の堅牢さと確実さの守り手である美術史家――とりわけ標的になっているのは図像学――であるようだ。

実際、個々の作品読解のおもしろさとは別に、本書にはいわゆる「美術史」や「美術史家」に対する批判が随所に表明されている。絵画の具体的な読解についてはあなたの楽しみのために脇において、ここではそうした美術史への批判が提示される部分を本書のさまざまな部分から引いてみよう。

「ぼくが気にしているのは、きみが往々にして、きみ自身と作品とのあいだに、文献や、引用や、作品外部への参照事項など、スクリーンを強引に置きたがることなんだ。作品の燦然たる輝きからきみを守り、ぼくたちが属している美術史学という共同体の存在理由や認識票になっている、獲得済みの習慣を守り通すための、いってみればサングラスみたいなフィルターをね」

「いやいや、きみがこうした解釈に同意しないことは、最初から分かりきっている。このことを証拠立てるテクストも古文書も持ち合わせていないわけだから、美術史的には厳密な議論とはいえない。でもぼくなんかは、この美術史的厳密さなるものが、だんだんと例の『ポリティカル・コレクトネス』に似てきたのではないかという危惧を抱いている。だから、ぼくたちの正しい思考をじゃまして、『コレクトでない』絵画など一度も存在したためしがないと信じさせたがる、美術史学を自称する、あの支配的な思想と戦わなければならないと思っているんだ。その思想とは、そうでもしないと、ちんぷんかんぷんになって、確信を失いかねない、あの古典的な図象学(イコノグラフィー)という原則のことなんだ。」

「まったくもって、図像学なるものは、美術史学における消防隊ですよね。過熱したゲームをしずめるために、これこれしかじかの異常事態によって、ぼっと燃え上がりそうな火を消すために、やってきてくれるのですから。さもないと、そうした異常事態のせいで、あなたたち図像学者は、作品を子細に検討することを迫られますし、そのあげくに、すべてはあなたたちが望んでいるほど単純でもなければ、明快でもないことを、はっきり認めなさいといわれかねないわけですからね」

「――もちろん、そんなことはない。ぼくは、そのタブローを『眺めて』みたいだけです。図像学は忘れていい。タブローがいかに機能しているのかを確かめたいのです。
 ――それは美術史ではない。
 ――そうですね、美術史の習慣にはないことですね。でもそろそろ、それも変わるべき時かもしれない。美術に歴史があって、ひとつの美術史を持ち続けていられるのは、芸術家たちの仕事のおかげなのだし、とりわけ彼ら芸術家が過去の作品に注いだまなざしや、それを領有した方法のおかげなのだから。こうしたまなざしを理解しようと務めず、いにしえのタブローのうちに、後世の芸術家のまなざしをひきつけたところのものを発見しようと努めないというのなら、きみは、美術史の大きな部分を、もっとも芸術的な部分を放棄することになりますよ。」

「でも時と場合によっては、つまり、この《ウルビーノのヴィーナス》がいい例なのだけど、形態的な要素を、あらゆる分析に先立って、ただちに特定の物体と同定し、すぐさま命名してしまうことで、画家の仕事が了解可能なものとなり、タブローの脇をかすめて通ることになってしまうのです」

割合としては少ないのだが、美術史家も甘んじて批判を受けるばかりではない。こんな反論も見られる。

「――きみにいわせてもらいたい。この手の、当節流行のこねくりまわした珍説に、ぼくは虫酸が走るんだとね。タブローから、是が非でも仲立ちを見つけなくてはいけないご時世なんだから。まるでタブローがわれわれを必要としているかのようにね。きみや、そのお仲間ときたら、思い上がりもはなはだしいし、アナクロニズムはたえがたい。ぼくは美術史家なのですよ。おもしろみに欠けるかもしれないけれど、ぼくには、あれやこれやと『現代思想』を使って、過去を私物化するなんてがまんしがたい。」

美術史家からの反論は、現代の理論家が対象となる作家の時代にはなかった理論(新しい後世の視線)で作品を読み解く時代錯誤(アナクロニズム)に集約されている。しかし、事実についての時代錯誤ならともかく作品を読み解くまなざしの時代錯誤を果たして時代錯誤だと言って済ませられるのか、といえばそんなお気楽な道理ではないことは素人目にもあきらかだ。ここには超越的なモノ自体と現象のあの古くからの問題が潜んでいる。もし絵画の正しい読みは作家の意図に合致するただ一つしかありえないと主張する頑固な美術史家がいるとすれば、彼/彼女は、われわれに現象として立ち現れるほかにないモノ自体をそれ自体として正しく認識する術がありそれ以外の見方は正しくないと主張していることになろう。果たしてこの見方は妥当か?

「自分のこと、美術史家だなんて思ってもだめだよ。だって、きみは理論や理論家が好きなんだからね。彼らはしっかりものを考えているし、ぼくたちの思考の助けとなってくれる。理論化連中が惜しみなく開陳してくれる、貴重な論証法や厳密な理論に対して、なぜ専門の美術史家たちはだんまりを決め込んでいるのだろうと、きみも不思議に感じているんだ。彼ら美術史家の答えは、きみも知ってのとおり、時間的な錯誤(アナクロニズム)を警戒するということに尽きている。いや、彼らにだって、それなりの言い分はある。一般的にいって、タブローを理論的に分析する際に、それが歴史的にいって適切かどうかなんて、あまり気にしないからね。ところが、きみの場合は、どちらかといえば、そういうアナクロニズムに迷惑しているわけだ。アナクロニズムが有無をいわさずに実行されると、解釈の対象よりも、解釈する当人の正体が割れるという感じになるからね。それでも、きみも結局、こうしたアナクロニズムは、美術史家にとって避けがたいものだと理解するようになったんだ。だって『十五世紀のまなざし』l'oeil du Quattrocento なんて、二度と見いだせるものじゃないんだからね。」

また、どれほど隅々まで統御された絵画であろうと、作家の意識とは無縁に意図せざるもの、意識せざるもの(無意識的なもの)が自ずと現れてしまうだろうことは某かの作品をしてみたことがあれば自明である。

さて、本書について美術史批判という文脈で駄文を草してきたが、美術史の門外漢である私には、実際の美術史家という種類の人々が美術解釈の世界においてどれほど幅を利かせているのか定かではない。つまり、アラス氏がこのように「なにも見ていない」と批判するところの相手がどこにいるのか、どんな主張をしているのか、ほとんど何も知らないのである。さりとて2000年に上梓された本書において、筆者がよもや死に馬に鞭をうっているわけでもあるまい。誠におかしな進みゆきではあるが、たとえばパノフスキー流(1968年に他界しているパノフスキーはともかくとして)の作品解釈がどの程度現在の美術史研究に影響を与えているのかを知ることがこの系列の問題についての私のつぎの課題かもしれない。

ただいずれにしても、なぜ複雑なものを複雑なままに見ようとしないのか、という問いを手放したくない私としては、アラス氏のつぎの言葉に心から賛意を表したいのである。

「ここでは、画家と注文主が思い描いたこととは無関係に、そんなものを超越して、このタブロー〔ラス・メニーナス――八雲註〕が、画家や注文主の死後ずっとあとも、視覚的な意味を生成していくかのように、すべてが運ばれていく。それこそが、おそらくは傑作というものなんだ」

百歩譲って唯一の正しい解釈なるものがあっても構わない。だが、それとは別に作品と受容者との遭遇によってそのつど生成する触発があること、そのことを認めなければ、美術なんてなんにもおもしろくないではないか。などと自分にとって当たり前に思えることを言うにしても、喧嘩相手がいないのでははりあいがない。

ダニエル・アラス氏や訳者の宮下志朗氏の略歴はそのうち作るとして、ここでは既存の邦訳書を一冊だけ。

★ダニエル・アラス『ギロチンと恐怖の幻想』(野口雄司訳、福武書店、1989/06)
 Daniel Arasse, La Guillotine et l'imaginaire de la terreur(Flammarion, 1987)





■2002年10月15日(火)――今年の初夏のマン・レイ展には「トランスアトランティック」はトランスしてきてませんでしたがなにか?

★村田宏『トランスアトランティック・モダン――大西洋を横断する美術』(みすず書房、2002/10、Amazon.co.jp

『トランスアトランティック・モダン』/引用=ヴィフレド・ラム『ジャングル』 「トランスアトランティック」と聞けば、ひとはさまざまなものを連想するだろう。わたしが最初に想起したのはブレゲの時計だったが、気をとりなおしてもう少し本書のネタに近いところでなんかあったよなぁ、としばし沈思黙考していたら同名の雑誌へと連想の糸がつながった。

F.M.フォード(Ford Madox Ford, 1873-1939)1924年に、エズラ・パウンド(Ezra Weston Loomis Pound, 1885-1972)の協力を得て創刊した雑誌のタイトルが『トランス・アトランティック・レヴュー』。このパリで刊行された雑誌には、フォード自身のほか、パウンドの『キャントゥーズ』の一部や評論、ジョイスの、後に『フィネガンズ・ウェイク』と呼ばれることになる作品(の一部)などが発表されたというのだから、その半世紀後に生まれた身としてはなぜそんなエキサイティングな雑誌を同時代に読む幸せにめぐりあえなかったのかと身勝手な地団太を踏むばかりだ。もっとも私がこうして惰眠を貪っている間にも、どこかで同時代人たちがエキサイティングな雑誌を刊行している(かもしれない)わけで、そんな悔しがり方をしてみても無意味なことこの上ない。

さて本書である。村田氏の目論みはこうだ。

「ここでは、1910-20年代のフランスにおいて、漠然とながら人びとのあいだで意識されるようになった『新しい国アメリカ』に対する共感とも憧憬とも呼びうる想念、そしてこれを背景にして生まれたある美的枠組みについて、多少とも鮮明にその輪郭を浮彫りにしたいと思う。端的に言えば、フランスとアメリカの間できり結ばれた深い美的交感の劇とはいかなるものであったのか――。」

「……筆者は、このようなフランスとアメリカのあいだの一連の美的交感を指して、ひとまず『トランスアトランティック』と呼ぶことにしたいと思う。マッチ棒やゴミの写真にパリの地図を配したマン・レイのパリでの最初のコラージュ作品《Trans Atlantique》(1921)のひそみにならうものであるが、マン・レイがみずからの大西洋横断を祝し、かつ大西洋航路の汽船を暗示したこの『トランスアトランティック』なる語を、同時代の美術の特徴的な一面を指示する言葉として用いるならば、この名称のもとに包括される同質の志向、いわばフランスとアメリカを架橋しようとする夢の痕跡は、じつは、枚挙にいとまがないほどなのである。 「そして、この『トランスアトランティック』の語を、さらに大西洋を挟んで展開されたヨーロッパとアメリカの美術全般に当てはめるならば、そこに思いがけない振幅と深度をそなえたほとんど不可測な射程が開けてくることもまたあきらかであろう。『トランスアトランティック』、すなわち大西洋の往来を契機として生みだされた作品、もしくは往来した作家が、二十世紀美術の重要な部分を構成していることは疑いないからである。ニューヨーク・ダダの画家たちやパリの『バレエ・スエドワ』に参加した画家、あるいは、ヨーロッパとキューバを往還したヴィフレド・ラムを論じた数章を含む本書を、『トランスアトランティック・モダン』と名づけるゆえんである」

随分エエ加減な引用の仕方だが、ここに引いた二つの文は「〈アメリカの少女〉――トランスアトランティック・モダンのために」と題された本書の序章の冒頭と末尾近くからとったものだ。上記した私の連想もあながち的を外してはいなかったようだ(時計の方じゃなくて、フォードの雑誌ね)。この問題設定が骨格であり、本書を構成する各章の具体的な記述が肉である。

大風呂敷を広げることが好きな私は、人が大風呂敷を広げるのを眺めるのも好きである。風呂敷は大きいほどゾクゾクする。この「トランスアトランティック・モダン」という風呂敷も相当大きなもので、私は序章を読みながらおおいにゾクゾクした。そしてゾクゾクしながら以下のページを読み進めた。そこには大西洋を挟んだ人と思想と作品の交流が細やかな筆致で描き出されている。アレンズバーグ・サークルとニューヨーク・ダダ、フランク・ロイド・ライトの「ホリィホック・ハウス」の検討、『バレエ・メカニック』の構成と成立に焦点を当てたフェルナン・レジェ論、ジェラルド・マーフィー論、パリに遊学しピカソとの交流もあったキューバの画家ヴィフレド・ラム(Wifredo Lam, 1902-1982)『ベリアル、蝿の王』の鮮やかな読解……いずれも申し分なく面白い。

このおもしろさはなにか。それは作品や書物を通じて、個別に見知っている複数の〈点〉(人物や作品)が結び合わされ、時間の経過によって形を変える〈線〉と成る様を体験するおもしろさであろう。近く筑摩書房から著作集の刊行が予定されている山口昌男氏の『挫折の昭和史』(岩波書店、1995)『「敗者」の精神史』(岩波書店、1995)、あるいは比較的最近では、『内田魯庵山脈――「失われた日本人」発掘』(晶文社、2001/01)、別の作家では中村真一郎の『木村蒹葭堂のサロン』 (新潮社、2000)、そういえば今年の春に刊行された亀山郁夫氏の快作『磔のロシア――スターリンと芸術家たち』(岩波書店、2002/05)にも同様のたのしみが満ちていた――などなど、この類のおもしろい本はいくらでも挙げられそうだが、本書もこの系列の書物に数えてよいだろう。こういった書物をなんと称すべきか適切な言葉を思い浮かべられないのだが、〈歴史〉というのでもなく、間に合わせで言うならば〈人間と人間の交渉史〉とでも言うのか、自分の記憶の中に住まっていて日頃は博物館の標本よろしくじっとして動かないのに、こういう書物を読むというとあれこれの人物たちが活き活きと動き出し、握手をしたり喧嘩をはじめたりする、そんな愉快な書物である。

私はとうとうゾクゾクのポテンシャルを維持したまま最後のページを閉じた。が、ふと我にかえって、不覚にも(?)物足りなさを覚えたのである。なぜか? 答えはすぐにわかった。そう、個々の論述がいかにおもしろいとはいえ、筆者が最初に広げて見せてくれた大風呂敷の広大さに比べて、包まれるものが小さく数が少ないのだ。もちろんこれは非難ではない。その逆であって、私は期待しているのだ。この風呂敷がいつか、本書で展開されたような細やかさを備えたトランスアトランティックな美と思想の〈交渉史〉のテクストで溢れかえらんばかりになることを。そういう意味では、本書は僭越を承知で言えば、トランスアトランティック・モダンへの序説、来るべき本論への助走とでも言うべき書物であるように思う。筆者はどこにも続きを書くなどと書いてはいないが、私は愉しみに待ちたいと思う。

以下余談。10/26日から横浜美術館で「ヴィフレド・ラム展――変化するイメージ」が始まる。また、人文書院から岡谷公ニ氏の編訳によるミシェル・レリスの美術論集第2弾、『デュシャン、ミロ、マッソン、ラム』(岡谷公ニ編訳、人文書院、2002/10)も先頃刊行された。ラム論は小さな評伝のようなテクストで、村田氏の論考を読んだ後ではいささか物足りないものの、ヴィフレドというあの不思議な名前の由来を教えられた。あるいはむしろ、レリスによるラムについての詩をたのしむべきだろうか。同書については近く駄文を草す予定である。といいつつ次回はダニエル・アラスの愉快な美術論――これもなんと称すべきか困った書物だ――『なにも見ていない――名画をめぐる六つの冒険』(宮下志朗訳、白水社、2002/10)について述べようと画策中。その宮下氏で思い出したけど、藤原書店から「バルザック・コレクション」に続く画期的企画「ゾラ・コレクション」がいよいよ刊行開始になる模様。いやはや時間がいくらあっても足りませんね、って手がけているゲーム制作(生業)のマスターアップ(締め切り)目前の私にはもとより私的な時間なんてありませぬが(とほほ)。誰か時間をゆずってください。



■2002年10月14日(月)――失敗した(し続け〔てい〕る)読書日記

★鹿島茂『成功する読書日記』(文藝春秋、2002/10、Amazon.co.jp

『成功する読書日記』/装丁=坂田政則 『馬車が買いたい!――19世紀パリ・イマジネール』(白水社、1990)あたりからはじまって、『新聞王伝説――パリと世界を征服した男ジラルダン』(筑摩書房、1991)『デパートを発明した夫婦』(講談社現代新書、講談社、1991)で、どうやらこの作家、相当の書物狂らしい――なにせパリの古書店でせっせと集めたとおぼしき資料を駆使して、一体資料代くらいは出ているのだろうかこちらが心配になるような本を書いているらしいことが読んでいるとわかるのだ――と思い、翻訳やその他エッセイの仕事をいくつかはさんで、『子供より古書が大事と思いたい』(青土社、1996)あたりではとうとう「やはり!」と読者を喜ばせ、『『パサージュ論』熟読玩味』(青土社、1996)に至って「先生、やっぱり病膏肓(こうこう)に入ってるよ」と唸らせる。以下、いつの間にやらえらい数の本を書いたり訳したりしているので詳細は省略するが、ともかくわたしもそれなりに読んできましたよ、鹿島茂氏の本。

でも今回は神田の三省堂一階文学関連コーナーの書棚で本書のブルーの装丁を見つけたとき退きましたよ、ちょっと。『成功する読書日記』って、ナポレオンヒルかと。ビジネス啓蒙書かと。で、そのときは他に買わねばならぬ本が沢山あったので見送りましたよ。読書日記で成功したいなんて思ってなかったし買うにしてもレジで「あら、この人読書日記で成功を勝ち得るつもりだわ、いやあねそんな下心で本を読むなんて。成功しっこないわだめよきっと」などと店員に蔑まれるのもいやだし(妄想)。

ところが数日後、私は窮地に立たされていました。先日ご紹介したウエルベックの小説の主人公の意見を借りると、ちょうどこんな状況⇒「目下の問題はなにか読むものを探さなくてはならないということだ。読書のない生活は危険だ。人生だけで満足しなくてはならなくなる」――に陥っていたわけですよ有体に言えば(そんなたいそうなものではないですけど)。これなら今日一日は保つであろうと持ち歩いていた小説があまりにつまらなかったので途中から速読にきりかえたんですね。容赦なくページをめくるアレね。猛スピードで俺はってなもんです。そりゃめくりました。だってそれでもわかっちゃうんだから。って、それが誰のなんて本かは教えませんけどそういえばこの小説、雑誌に鳴り物入りで連載されたときにも私読もうとしたですよ。でも駄目でした。そんな小説が上下巻の立派な装丁で刊行されたからといってまたぞろ自腹を切って購入するのが悪いといえば悪いのですが、雑誌連載時は僕も体調が優れなかったかなんかだったのだろうとたかをくくっていたんですわ。まあそれがこのテイタラク。

脱線したけど(ってこのサイトがそもそも脱線なんだけど)、そんなこんなでその、一度は村上春樹の『海辺のカフカ』と同時に書店に平積みされたにもかかわらず数日後には返本されたのに、その何日か後にどういうわけかまたまた平積みにされ、けれども今度はすぐに撤去されたその小説のページを最後までめくりおわってしまったものだからさあ困った。昼休みに駆け込みましたよ、学生街だのに(だから?)ベストセラー専門の書店に。で、棚を猛スピードで見ましたよ。てってもその前日も棚を見ているわけだから、売れたか返されたかでいなくなった本と新しく並んだ本に目がいくのね。あまりそのときの気分にマッチする本がなくてアレで妥協するか、なんて家にもあって読んだこともあってすでに面白いことがわかっているSFを買おうとした矢先ですよ、その本に再会したのは。で、先日は見送ったけど今回は買いましたね。鹿島氏だからしょうがねぇなあなどと言いながら。でも成功したいわけじゃないよ、なんて誰に向かってでもなく言い訳なんかしながら。

結論から言うと、おもしろいんですよ、この本も。買書や読書にまつわる短いエセーを何篇かと、鹿島氏の成功している読書日記を何ヶ月か分あわせた本なのね。だいたい人様がどんな本をどういう風に読んだかというのは、とりわけ鹿島氏のように愛書狂という芸をもっているような人の場合は、おもしろいのね。冒頭に書いてある、読書は濫読(量の読書)をしているとそのうち「この著者の本やこの著者に関する本を全部読んでみよう」とか「この分野、このテーマの本を体系的に読んでおこう」なんて、自然と縛りがきいてきて体系化を志向する読書(質の読書)に転じるときがくる、だなんて節はそれは激しく首肯しましたよ。なんせその罠にはまった所為でなんの因果かこんなサイトを作ってしまっているわけで。そのサイトではあんまり言及しないけど、各種分野の体系化(といえば聞こえがいいがとどまるところを知らないコレクター的欲求みたいなものですな)が本人も預かり知らない速度で進展しつつある――といってもそこには自ずと経済的制限というリミッターはあるんですが――常識的な社会人として(あるいはせめて装って)生きるにはいささか不都合な窮地に置かれる次第。なにせ、体系化というのは(なにかのコレクションにはまったことがある方ならこれから言うことに覚えがあると思いますが)一度軌道に乗り始めると、読者たる自分の意志というよりは集め読まれている書物群から「つぎはあれを読め」「そしてこれを入手せよ」と命令されるのですから(一種の電波ですか、これも)、もはや誰の意志で読んでいるのか/読まれているのか不明な事態にいたるわけです。

するとどうなりますか、ってすでに失敗する読書日記の領域に突入してますか、これ。いや、書きながら自分でもちょっと怖くなってきました。あ、マルセル・デュシャン系から命令が……え? この前書店でみたレゾネはどうなったかですって? う。え? なんです? 今度はラヴクラフト系からお呼びが……、ウエルベックの処女作はラヴクラフト論らしいがなぜお前はまだ読んでないんだですって? うぅ。すいません。え、ええ!? 映画系さん、『映画の音楽』に出てくる作品の2割も観ていない作品があるなんてなんという怠惰だ! サントラともどもすぐ揃えて視聴せよ、ですって? あわわ、ただいま! 途中ですがちょっと書店に行ってきます。すいません、すぐ戻りますから、えと、次回は村田宏『トランスアトランティック・モダン』(みすず書房、2002/10)の予定です。できればレリスも。あ、え? 早く本屋へ行け? はい、ただいま。





■2002年10月13日(日)――幼年期の終わり?

★フランシス・フクヤマ『人間の終わり――バイオテクノロジーはなぜ危険か』(鈴木淑美訳、ダイヤモンド社、2002/09、Amazon.co.jp
 Francis Fukuyama, Our Posthuman Future: Consequences of the Biotechnology Revolutions(Farrar, Straus & Giroux, 2002)

『人間の終わり』 フクヤマは「歴史の終わり?」(1989)において、共産主義と自由主義のイデオロギー闘争は、大局的には自由主義の勝利に終わったと述べた。その年のうちに起こった共産圏の崩壊は、フクヤマの主張を裏付けるかのようであった。果たして歴史は終わったのか? そもそも歴史をそんな風に語ることに、どのような効果があるのかという問題があるけれど、ここでは措いておこう。フクヤマは、本書『人間の終わり――バイオテクノロジーはなぜ危険か』(原題は OUR POSTHUMAN FUTURE: Consequences of the Biotechnology Revolution)において、近年進捗著しいバイオテクノロジーが人間に及ぼす利害を幅広いサーヴェイに基づいて検討し、同時にそうしたテクノロジーによって変容される人間の本性への省察を通じて、この問題に対する対処を提案している。いわば「科学の終わりがない限り、歴史も終わるはずがない」という批判に応えて、考察を展開した格好だ。

フクヤマによれば、バイオテクノロジーはこれからの政治に重要な影響を与える。なぜなら、バイオテクノロジーが可能にする(であろう)人間の変容が、企業の<自由な>利潤追求のもとに進められればろくなことにならないことは明らかだ。人間の能力の拡張・選別(遺伝子工学によるデザイナー・ベビー)は、持てる者と持たざる者の間に単なる経済的な次元を超えた格差を導入し、「人間の平等性」という(ただでさえ多大な苦労によって維持している)概念を名実ともに崩壊させてしまうであろう。また、薬物による情緒のコントロール(プロザック、リタリン)は、人間による人間の支配の形態を変化させずにはおかないだろう。無論、バイオテクノロジーの発展はマイナスばかりではない。

この技術の発展が人間にもたらすメリットとデメリットを測りつつ、人間本来の性質をバイオテクノロジーの発達から守りたいというフクヤマの対処案は、きわめてシンプルだ。

「このように、プラスとマイナスが密接に絡み合っているテクノロジーに直面したとき、とりうる対応はただ一つ。諸国家がこうしたテクノロジーの開発と利用を政治的に規制して、人間の繁栄を促すテクノロジーと、人間の尊厳と幸福にとって脅威となるテクノロジーを明確に区別する機関を設立することだ。この機関は、国家レヴェルで区別を強制する権限を与えられるだけでなく、最終的には国際的範囲で効力を持つ必要がある」

もちろんフクヤマの見方を楽観的だと批判することはできる。そもそも、軍事・環境・経済その他のあらゆる分野で独善・独断的にふるまうアメリカ合衆国政府からして、そのような機関に従うとはとても思えない。

とはいえ、フクヤマの提案は、手をこまねいてなにもしない(できない)よりかなりマシなものであるのは確かだ。結局のところ、たとえイデオロギーの闘争が終焉したのだとしても、技術と資本に対する闘争という古くて新しい問題が消え去ったわけではない。この闘争をいかに闘うか。本書はそのありうるひとつの指針を示している。

RAND‐フクヤマが所属するシンクタンク RAND のサイト。(英語)

Information and Biological Revolutions: Global Governance Challenges: Summary of a Study Group‐『人間の終わり』に先だって刊行された研究会の報告。PDFで閲読できる。(英語)





■2002年10月12日(土)――ウエルベックの末人小説

★ミシェル・ウエルベック『プラットフォーム』(中村圭子訳、角川書店、2002/09、Amazon.co.jp
 Michel Houellebecq, Plateforme(FLAMMARION, 2001)

『プラットフォーム』装丁=Rodeo 文化省に勤める41歳の独身男性ミシェル。パリに暮らす彼は、仕事に熱を入れるでもなければこれといって野心もなく、なにを生産するでもない、物質的に飽和した西欧の資本主義社会で終わりなき日常を生きる退屈な中年男だ(41歳という設定は、ミシェルが68年の出来事を少年として接したのであって当事者として参加したのではないことを意味している。つまり、ポスト68年の世代である)

この男のこれといって不自由のない暮らし振りに、ウエルベックは駄目を押すように小説の冒頭で、ミシェルの父を殺し、ミシェルに遺産を与える。ミシェルは、ポール・オースターの『孤独の発明』の主人公のようには父親の死について考えることはない。むしろなんぼなんでもあっさりしすぎていやしないか、と思われるほどドライだ。ともあれ、これでミシェルは当面、生活のための仕事さえしなくてよい身分になった。後にミシェルが西欧人一般に仮託して述べるように、彼自身がセックス以外に不足するものがない人間になりはてたのである。いや、それとて不自由しているわけではない。

ミシェルは職場の帰りにピープショウで睾丸を空にし、旅先のタイでは娼婦を買う。セックスに不自由はしない。金があればセックスは手にはいるのだ。旅先で知り合い、パリに戻ってから再会したヴァレリーとは四六時中セックスをする。小説はそのセックスの合間を縫って進んでゆく。

そんなミシェルが、旅行会社で企画の仕事をしているヴァレリーとその上司ジャン=イヴと付き合うなかで、こんな思いつきをする。

「『一方に数億人という西欧人がいる。彼らは欲しいものはなんでも持っている。ただし性の満足だけは得られない。探してはいる。ずっと探しつづけている。しかしなにも見つけられない。そして骨の髄まで不幸だ。もう一方に数億人という持たざる人間がいる。彼らは飢餓に苦しんでいる。若くして死んでいる。不衛生な環境で暮らしている。体と、まだ傷のついていないセックスを売るほか手段を持たない。ことは簡単だ。至って簡単じゃないか。まさに交換にうってつけの状況だ。そこから回収しうる金は想像を絶する額になるはずだ。コンピュータ、バイオテクノロジー、メディア産業なんて目じゃない。比肩しうる業界なんてありえない』」

「セックス観光とは世界の未来像なのだ」というわけだ。ミシェルは、自分が何かの役に立ち得るのではないか、自分にはこの資本主義のルールの中で何事かを為し得る力があるのではないか、という期待と興奮を覚える。

「僕らは非現実じみた興奮状態の中で、この世界の運命のための土台(プラットフォーム)を打ち立てていた。僕が出す提案が、結果として百万フラン単位の投資や、何百人の雇用に展開するかもしれなかった」

この思いつきはヴァレリーとジャン=イヴによって実行にうつされるだろう。タイにセックス観光のための施設を設け、ツアーが企画され、一時は万事が快調で、それに関わる誰もがハッピーに見える。彼/彼女らは「幸福を案出した」ニーチェ『ツァラトゥストラはこう言った』)のだ。

本書は、衣食住足りて、かといって際限ない差異化(たとえばブランド、現代美術)のゲームにもさしたる興味をもたない<末人(最後の人間)>が、そこから出ようにも出ることのできない資本主義のゲームのルールにのっとって半ば気晴らしのような企図を実現しようとする、そんな話だ。もはや快楽のほかに商品はないといわんばかりの彼らの企図をテロによって妨害する役回りがイスラーム原理主義に割り当てられている点、いささか図式的ではある。作中に見られる粗雑なイスラーム批判の文言もどうかすると作家の意見であると読まれる危険があるだろう。けれども、飽くまで末人ミシェルに焦点をあてて、その軽薄さとニヒリズムをそのままに描き出すことが作家のねらいであるとすれば、この作品の読みどころがそんなミシェルと彼を取り巻く世界との距離感にあることは言うまでもない。

ウエルベックの作品を読む都度、否応なく後味の悪さを味わうのは、あたかも自分の愚かしい毎日がそこに描き出されているように感じるからだろう。途中何度も投げ出したくなりながら、とうとう最後まで読まされてしまうのも、どうやら読み手のナルシシズムのなせる業(とはつまりウエルベックがそれを駆動させているとも言えるわけだが)だろうかと疑うのだが、それは穿ちすぎというものだろうか。

バリ島で爆破テロがあった日に。

ウェルベックの作品には次のものがある。

H.P.Lovecraft: contre le monde, contre la vie(Editions du Rocher, 1991)

Rester vivant - méthode(La Différence, 1991)

La Poursuite du bonheur(La Différence, 1992)

Extension du domaine de la lutte(Maurice Nadeau, 1994)

Le sens du combat(Flammarion, 1996)

Les Particules élémentaires(Flammarion, 1998)
 『素粒子』(野崎歓訳、筑摩書房、2001)

Interventions(Flammarion, 1998)

Renaissance(Flammarion, 1999)

Lanzarote(Flammarion, 2000)

Plateforme(Flammarion, 2001)
 『プラットフォーム』(中村圭子訳、角川書店、2002/09、Amazon.co.jp

経歴、書誌については次のサイトに詳しい。

michel houellebecq‐略歴、書誌など(仏語)





■2002年10月05日(土)――近頃文藝誌の中でも群を抜いておもしろい早稲田文学

『早稲田文学』2002年11月号(早稲田文学会、2002/11)

鎌田哲哉氏の連載評論「進行中の批評」が最終回を迎えた。今回は、浅田彰氏を俎上にのぼせている。要すれば、これまでほとんどつねに「書かぬ人」といわれ、実際、時評的エッセーと対談以外にはまとまった書物を書いてこなかった浅田氏に対して、本当は書けないのではないのか? にもかかわらず常に「あえて(書かない)」といった態度を表明しつづけてきたのは欺瞞ではないのか? と、挑発する内容だ。

「なぜ彼は書かないのか?」とは鎌田氏に限らずしばしば批判者が述べてきたところではあるが(とはいえ鎌田氏のように持ち前の――と私が思う――ねちっこさでもってここまで迫る言葉は見たことがないけれども)、私にはこれらの批判(?)は、「彼が書くものを読みたい」というラヴ・コール以外のなにものにも読めないのだ。そしてむしろ個人的には、「なぜ書かないのか?」という問いよりも「『なぜ書かないのか?』と詰め寄るのか?」の方に関心がある。

どこかで森毅氏が、みんなが浅田くんをすごいと言っているが、それはちょっと出来のいいコンピュータみたいなもんでそれ自体は驚くことではない。彼の真骨頂はその編集能力にある、とコメントしていたが、この寸評を読んでから今日までの浅田氏の仕事を――飽くまで管見にすぎないが――拝見していると、森氏の寸評はまったく的を得ているし、実際、非常に優秀な編集者であると考えれば浅田氏がものを書かないことはとりたてて非難されるべきことではないと思うのだ。

その最初に耳目をひいた作品が『構造と力――記号論を越えて』(勁草書房、1983)であったがために、人は浅田氏を思想家と見なしがちだけれど、あの明晰で愉快な書物にしても本人が言うようにフランス現代思想の見取り図を提供する以上の書物ではなかった(もちろんそれは誰にでも書ける書物でもない)。情報を集め、圧縮し、提示する。この編集者・評論者としての仕事ぶりはそのときから今までなんら変わってはいない(主張については鎌田氏が傍証しているように必ずしも変節していないとは言えないが)。そんな人物に向かって「なぜ書物を書かないのですか?」と喧嘩をふっかけてみても、八百屋に駆け込んで「やい、CD-Rを寄越せ」という(あるいは逆にパソコンショップに駆け込んで「やい、キャベツを売らないか」でもよいが)のと一般で詮無いのではないか。

私とて浅田氏が本を書くなら手にとって読みたいと思う。けれど、だからといって鎌田氏も借金させてくれて有難うだなんてことまで言って迫るのはどうかと思う。のだけれど、<本当は書けるんだけど「あえて」書かず「あえて」エッセイや対談といった形で公表するのだ>といった態度を半ば芸風として落ち着かせつつ