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作品の愉悦――日々の泡/あれこれの作品をめぐるメモランダム

ここでは、書物、映画、音楽、美術、ゲームなど折々に触れた作品から触発されて考えた(もしくは考え未満の)よしなしごとを記しています。基本的には、日々出会った作品のうちから小生が賞讃したいと思う作品についてのみ筆を執っております。以下の雑文群を「作品の愉悦――日々の泡/あれこれの作品をめぐるメモランダム」と題する所以です。なお、本文はほとんど与太話のみで構成されておりますのでその点、ご注意ください。目下、はてなダイアリ作品メモランダムにてさらに瑣末な日々の泡について書き留めています。(八雲出





■2004年07月15日(木)――「私たち」って誰のこと?

森美術館で開催中(07月19日まで)「イリヤ&エミリア・カバコフ 私たちの場所はどこ?」展に足を運んだ。

本展覧会は、旧ソ連ウクライナ出身で現在ニューヨーク在住の芸術家イリヤ・カバコフ(Ilya Kabakov, 1933- )とエミリア・カバコフ(Emilia Kabakov, 1945- )の夫妻による新作インスタレーション「Where is our place?」(私たちの場所はどこ?)を展覧に供するものだ。

カバコフといえば、1999年に水戸芸術館で開催された個展「シャルル・ローゼンタールの人生と創造」が記憶に新しいところ。同展覧会でカバコフは、シャルル・ローゼンタール(Charles Rosenthal, 1898-1933)という架空の画家を創造し、その作品や書簡などで夭折の画家ローゼンタール――その短い生涯はロシア・アヴァンギャルドの歴史と重なりもしている――を回顧する展覧会――というインスタレーションを制作してみせた。

今回の展覧会「私たちの場所はどこ?」は、三重のしかけを備えたインスタレーション、もうすこしいえば四重のしかけがある作品だ。

第一に、本展覧会は写真展である。会場には80点を超える写真が出品されている。それぞれの写真には、引用とおぼしき詩が英語で併置されている(枠外の壁に日本語訳も併置されている)。恋心を詠ったやや古風な詩が多いのだが、これは鴻野わか菜氏の解説「記憶の回廊」(同展覧会カタログ所収)によると、19世紀を中心としたロシアの詩人たちの作品からの引用であるとの由。コンテクストから引き抜かれてきた詩――ときにそこにあったはずの言葉が消去されてもいる――と、やはりコンテクストから切り取られてきた写真のとりあわせはどこかちぐはぐで、そこからわかりやすい物語が浮かび上がってくることはない。

第ニに、本展覧会は巨大なインスタレーション(展示空間全体を作品とする手法、あるいはその作品)でもある。会場の、私たちが写真を観る壁の上方、天井ちかくに、巨大な絵画の下部が見えている。そしてその前に巨大な人間の足があり、もし天井がなければそのさらに上方にその巨人の腰や胸部、顔といった全身が見えることだろう。しかし天井にさえぎられて巨人は膝上ほどまでしか見えない。つまり、わたしたちが写真を見ることになる会場は、同時に巨人たちが絵画を鑑賞する空間でもあるのだ。

会場の壁には、(やや興ざめなことに)作者による作品の「ねらい」が記されている。

「すべては相対的である――世界における私たちの場所も、
そしてとりわけ、私たちがここで展示しているようないわゆる現代美術も。
昔もこの場所には美術があった。当時その美術は不変のモデルとして永遠に存在し続けるのだと主張していた。
しかし、私たちの〈現代〉美術がやってきて、たちまち古い美術にとってかわった……
だが古い美術はどこかへ消え去ったわけではない。
それはつねにそこにあり、新しい世代の今日の作品を批判しているのだ……
古い美術と現代の美術を矛盾に満ちた形で対置させてみようというのがこのインスタレーションのねらいである。」


カバコフたちは、現代において作家たらんとする者たちが過去あるいは伝統からこうむる抑圧の大きさをそのまま可視化して見せているわけだ。

本展覧会は三重であると述べた。第三は、床のところどころがガラス張りになっていて、その下にミニチュアの地形がおかれている。そして壁の写真を眺めるわたしたちはその地形を、航空写真のように上空から地表を見下ろす格好になる。巨人たちの足元でそそくさと写真を眺める私たちの場所もまたいずれあとからやってくる他者たちにとっては見上げるような過去の美術となる、ということか。しかしミニチュアに示されているのは地形だけであり、そこにはもはや美術館らしきものさえ見えていない。わたしたちにはまだ過去の巨人の作品やそれを眺める鑑賞者の姿が見えるのに、わたしたちは足下の世界とそのような関係さえもはや維持しえないということだろうか。

しかし皮肉なことに、ここ東京においてはカバコフたちの問いかけ――「私たちの場所はどこ?」――がさらに相対化されている。これが第四のしかけなのだが、どういうことか。

私が会場を見てまわるあいだだけでも、どれだけの人々が足早にそこを通り抜けていっただろうか(私の実感でいえば写真を観る人1に対してとおりすぎる人9である)。彼/彼女たちはもはや壁の写真――私たち現代人のための現代芸術――にさえ注意を向けない。「意味わかんないね〜」「ただ巨大な足があるだけじゃん」「はやくアナスイ見に行こうよ」といいながら最短距離をさーっと移動してゆく。これは、「けしからん」とか「美術作品を観にきておきながら作品を観ないとはなにごと」といった憤慨ではない。事実そうだったんである(また、それは「意味のわからない写真」に対する素直な反応だとも思う)

なぜこのような事態が出来するのか? このイリヤ&エミリア・カバコフ展は、六本木ヒルズの観光スポットの目玉(?)でもある展望台のチケットとセットになっている。チケットは「東京シティビュー」と称されたビルの五十三階からの展望と「森美術館カバコフ・ハツシバ」つまり、カバコフ展とジュン・グエン=ハツシバ展とが組み合わされている。そう、展望のついでにカバコフ展やグエン=ハツシバ展を観ることもできるし、その逆もできるのである。展望ついでにカバコフ展をのぞいた人々にとって、カバコフの問いかけはどこ吹く風である。

もしこの展覧会の開催地が東京現代美術館だったらどうか。東京駅からバスで20分という交通の便が(相対的に)悪い場所にある同美術館でこの展覧会が行われていたら、たぶんそこに足を運ぶ人々は(たとえつまらないと思っても)一枚いちまいの写真を眺めるだろう。なにしろその場所ではそれしかすることがないのだし、そのために他から隔絶されて「ここは美術作品を展示し観る場所である」と規定されているその場所へ足を運ぶのだから。

他方で森美術館は、六本木ヒルズという商業施設あるいは観光地のただなかにある。よくいえば観光目的あるいは買い物目当てで訪れた人々がことのついでに美術展をたのしむことができる、そんな出会いが起こりうる場所。しかし逆に言うと、ここに展示される芸術作品はつねに隣接する商業施設に並ぶ商品の魅力と否応なくその価値を競わされることになる。

「鑑賞者は芸術家が提示するものを観るだけにとどまらず、提示行為の視覚的コンテクスト全体を観る」というボリス・グロイスの言葉「観客のインスタレーション」、同展覧会カタログ所収)をもじるなら、森美術館において観客は六本木ヒルズという場所的コンテクスト(=商業娯楽施設)全体のなかで「芸術作品」を観ている。

いまや物理的な配置としてもさまざまな商品ときりはなされずに置かれた美術作品。カバコフたちの提示した「私たちの場所はどこ?」は、そういう美術にとって困難な現状を可視化し、それによって批判あるいは揶揄するものであるようにも見える。しかし美術の価値が美術界/美術展という制度によるものであることをほかならない美術の内側で示したデュシャンのあとでなおも美術作家たることを選ぶからには、それはあらかじめ考慮されてしかるべきことにすぎないようにも思える。

さきに「カバコフたちは、現代において作家たらんとする者たちが過去あるいは伝統からこうむる抑圧の大きさをそのまま可視化して見せている」と述べた。この展覧会会場に足を踏み入れたとき、私はこのインスタレーションに示された巨大な過去の絵画とそれを観る巨大な観客たちは、作家にとって巨大なだけなのではないか、という気がしたのだ。ダ・ヴィンチ、フェルメール、レンブラント、モネ、ピカソ……現にあれこれの名前を挙げるまでもなく過去の匠の回顧展はいつでも多くの観客がつめかける。しかし作家ならぬ観客にとって、じつをいえば過去の作品はそれほど巨大ではない。むしろそうした過去のよく知られた作家たちの作品は、現代芸術よりも身近で等身大であるといっても過言ではないだろう。他方でじつにあっけらかんと制作・展示される現代の芸術作品をながめていると、作家たちにとっても過去の作品はそれほど巨大ではないのではないか、と思いたくなることがしばしばある。

では、カバコフたちが示すこの巨大さはなにか? それは、過去の作品の巨大さをもうちょっと真摯に受け止めたほうがいいのではないか、という理想の提示、ユートピアの提示なのではないか? と思う。いくら「すべては相対的である」(先に引用したカバコフらによる解説の言葉)といっても、彼我の関係においてその大きさはそのつど無視しえないものとして現前するはずで、その大きさを無視することは単に怠惰である――そんな叱咤のように見えなくもない。もちろんすべての現代芸術家が過去の抑圧を十分に受けていない、などということはないだろう。では、カバコフたちはどのような現代美術の現状をみながらこうしたインスタレーションを作成しているのか? 幸い作家はそこまで語っていない。

――などと駄法螺をさんざん吹いたあとで言うのもなんだけれど、このインスタレーションが最初に発表されたヴェネツィアで観たなら、また別の感慨を抱いたのかもしれない(あらあら)。まわりは巨匠の古典的作品だらけですからして。

なお、本展覧会は7月19日(月)まで。次の巡回先は、21世紀国立美術館@ローマ(2004/11/3-2005/1/3)の予定。

『イリヤ&エミリア・カバコフ 私たちの場所はどこ?』(森美術館+淡交社、2004/05、amazon.co.jp
本展覧会のカタログは以下のような内容。
・ボリス・グロイス「観客のインスタレーション」
・デヴィッド・エリオット「カバコフ、クローゼット、そしてロシア・アヴァンギャルドの終焉」
「私たちの場所はどこ?」 ・キアラ・ベルトラ「天と地の出会うところ」
・鴻野わか菜「記憶の回廊」
・鴻野わか菜編「15の主要作品」
「主要展覧会歴」
「参考文献」

また、カバコフのまとまった邦語文献として次のものがある。
★沼野充義編『イリヤ・カバコフの芸術』(五柳叢書64、五柳書院、1999/08、amazon.co.jp




■イリヤ・カバコフ&エミリア・カバコフについて
「イリヤは、1933年旧ソ連のドニエプロペトロフスク市生まれ。1980年代末に西側に移るまで絵本の挿絵作家として第一線で活躍、並行して非公式の活動を続ける。70年代に西側で注目され、88年以降はニューヨークを拠点に旧ソ連の日常を記憶の空間として再現した「トータル・インスタレーション」で国際的に活躍。 89年以降エミリア(1945年生)と共同で制作を行い、近年は連名で現代社会や美術システムへの言及や人間の想像力を引き出すための大規模プロジェクトを次々と実現。日本での大規模な個展に「シャルル・ローゼンタールの人生と創造」(水戸芸術館、1999)がある。」(森美術館サイトより)


Ilya & Emilia Kabakov‐イリヤ&エミリア・カバコフの公式サイト。(英語)
森美術館‐森美術館の公式サイト
鴻野わか菜「イリヤ・カバコフ作品解説」‐北大スラブ研究センターのサイト下にあるカバコフ解説文。
イリヤ・カバコフ展「シャルル・ローゼンタールの人生と創造」‐1999年に水戸芸術館で開催された同展覧会の紹介。




■2004年02月06日(金)――カメラは何を写してる?

「木村伊兵衛と土門拳」 木村伊兵衛(きむら・いへえ、1901-1974)の写真は、いったいなにを写しているのか。01月30日(金)から有楽町朝日ギャラリーではじまった写真展「近代写真の生みの親 木村伊兵衛と土門拳」の会場で木村と土門の写真を眺めながらかねてからの疑問について門外漢なりに考えてみた。

木村の写真の前に立つと、街の雑踏や物売りの声、そぞろ歩く人々のおしゃべりが聴こえてくる。空気の動く音が聴こえ、陽光が大気で細かく散乱しているのが見える。――とは応挙のときにも似たようなことを書いたが(近日掲載予定)、なにも八雲が幻覚や幻聴に悩まされているわけではない(断言はできないが)。

木村の写真には、そうした運動を観る者のうちに引き起こすなにかが写っている。とはいえ、写真に詳しい方には至極当たり前のことなのかもしれないので、「あ、きみ、それはかくかくしかじかなのだよ」と事情に通じている方があれば、お手数ですがぜひご教示いただきたく存じます。

『木村伊兵衛と土門拳』 不幸にも写真の前で私の疑問をズバっと解決してくれるたのもしい同行者に欠いていたので、先ごろ平凡社ライブラリーにはいった三島靖『木村伊兵衛と土門拳――写真とその生涯』(1995/04、平凡社; 平凡社ライブラリー488、平凡社、2004/01、Amazon.co.jpを読んでみた(結局他力本願?)。弟子のひとり、佐々木崑のこんな証言が紹介されている。

「街頭に撮影に出たときそばについていると、すうっとカメラが上がったと思ったらいつの間にかシャッターが切れ、またすうっとカメラが下りていくときがある。このとき撮られた相手がカメラを意識しているのを見たことがなかったね」 (平凡社ライブラリー版、p.31)

なるほど「居合」撮りである。気づいたときには斬られて(撮られて)いるわけだ。というか、佐々木も言っているように、ついに気づかない場合もあるわけだ。

『僕とライカ』当の木村はどう考えていたのか。木村の写真と彼が写真雑誌などに寄せたエッセイや対談を集めた『僕とライカ』(朝日新聞社、2003/05、Amazon.co.jpにこんな記述がある。

「私は前にも云った様に、人間の顔に、瞬間的に閃き出る表情をとらえて、その刹那的なものの上に、その人の全貌を表そうとしたのである。そして、それは決して不可能な事ではなかった」 (「私の人物写真」1938、前掲書、p.131)

なるほど、居合はまさにその手段なのであろう。さらにこうある。

「瞬間撮影に依って性格を掴みとる方法と、被写意識をなくする為めのカメラ操作に、その全能力をあげる事よりも、所詮、撮影する時にはカメラがついて廻らなければならないのだから、むしろカメラを武器として、被写人物に真向から突き付け、カメラを意識させて、私の仕事はこれがして呉れるのだと、被写人物に恐怖感より、むしろ愛着と信頼の心を起こさせる様に仕向けるのである」 (同前傾書、p.136)

しかし、どうやってそんなことが?

「そこで私は、カメラは決して怖いものではないことを知らせる為めに、続けさまにシャッターを切り続ける。その中に、何時写されているのかわからなくなり、自然に被写意識が除かれて来て、日常の姿と成って来るものである。その機会を外さずに、適正露出を以ってシャッターを切れば、完全な人物写真が撮れることになるのである」 (同前傾書、p.137)

「居合」とはまた別の意味で被写体の被写意識を消す努力がなされているわけだ。どちらにしても「何時写されているのかわからなくする」ことが木村の骨法である。つまり、これは被写意識を否応なく煽る「はい、チーズ!」殺法とは対極にある、被写無意識の撮影法ということができるだろう。

なんとなくわかってきた。じゃあ、あの空気感はなんだろうか。同書に収録された土門拳との対談のなかに、ほかならぬ土門が木村の写真を評しているくだりがある。他力本願モードなので引用が多いがお許しねがって土門の言葉を引いてみる。

「〔木村の写真では――八雲註〕物体の状態を写す、それをフィルムの上に感光させる手段としての光じゃなく、光そのものがモチーフの中にはいっている。ある物体があって、それにたそがれの光が当たっておるとすると、そのたそがれの町の薄明るさもモチーフなんですね。物体もその辺の小さい光も全部が渾然一体となってのモチーフなんだよ。簡単に言えば雰囲気なんだね」 (土門拳+木村伊兵衛「光について」1951、同前掲書、p.163)

いやはや、その道の人は巧いことを言うものだ。「光そのものがモチーフの中にはいっている」とは。それが写真/史のなかでどのくらい当たり前のことなのか/そうでないのか、わかりかねるけれど土門のコメントで腑に落ちたような気がする(とはいえ、それでは光がモチーフにはいらない写真とはどのような写真であるか? との問いが浮かぶわけだがこれはまた他日別の他力本願に拠りたい)

なお、木村のことばかり書いたが、この展覧会は土門拳記念館の開館20周年を記念して開催されたもの。期日は2004年03月03日まで(って、これを掲載している今日はすでに03/22ですね、スミマセン)

木村伊兵衛と土門拳‐毎日新聞社WEBサイト下の記事。

土門拳記念館‐1983年にオープンした記念館。

outside the frame‐三島靖のWEBサイト。



■2004年02月01日(日)――座談大国ニッポン?

『座談会 昭和文学史 第一巻』 座談の愉悦は、対話者の組み合わせから生じる調和と不調和、そこから生じる雑音ともメロディともつかない複数の声の響きあいにある。座談の参加者がそれぞれ一人で書いたときにはさらっと流されてしまうような話題や言葉でも、他人がいることでひっかかりが生じ、そこから話しが広がりもする。

『座談会 昭和文学史』(集英社、2004/01、Amazon.co.jpもまた、そんな愉悦に満ちた座談会である。同書は、文芸誌『すばる』(集英社)に掲載された同名の座談会を六冊の書物にまとめたものだ(全巻の構成は文末を参照)。井上ひさしと小森陽一がホストになって、毎回のテーマに即した作家や翻訳家、批評家をゲストに迎えて座談する。目下全六巻のうち第五巻までが刊行されている(第六巻は2004年02月刊行予定)

たとえば第五巻に収録された「翻訳文学」の座談でのやりとりにこんなくだりがある。ポール・オースターやスティーヴン・ミルハウザー、レベッカ・ブラウンなどの翻訳で知られる柴田元幸が「上を向いた翻訳」と「正面を向いた翻訳」という意味のことを話している。「上を向いた翻訳」というのは、訳者が原著者を敬って仰ぎ見ている感じがする翻訳。「正面を向いた翻訳」というのは、「上を向いた翻訳」のように訳者が原著者を仰ぎ見るのではなく対等に対話するような翻訳のこと。

すると井上ひさしが「〔それらの言葉を――八雲註〕厳密に定義するとどうなるのでしょうか」と質問を投げる。そうそう、私もそれを聞きたかったのよ、などと合いの手を入れながら先を読む。「厳密に定義しろ、と言われてもむずかしいんですけれども……」と前置きをしながら柴田元幸は1970年代を境に日本人全体が消費者になりはじめ、その時期に外国の作品が「勉強の対象」から「消費の対象」になり……といった説を開陳し、そこからまた対話者が触発されて座談に弾みがついたりもする。

といっても単に複数の人が話し合っていればおもしろいというわけでもないのもまた座談会の難しいところ。座談に臨む者のあいだに馴れ合い(褒め合いに始終するとか)ばかりが見てとれたり、お互いが一人(単著)でも言いそうなことを一人(単著)でも言いそうな範囲で述べてあっておわってしまう座談はものたりない。

『「知」的放蕩論序説』 また、座談の参加者が過剰に「上を向いて」いる座談も奇妙な具合である。たとえば、書評新聞『週刊読書人』に連載され、その後『「知」的放蕩論序説』(河出書房新社、2002/10、Amazon.co.jpにまとめられた座談は、蓮實重彦に対する他の参加者の言葉遣いにあらわれる敬意の過剰さがかえって敬意を損ねてしまっているのではないかという滑稽味さえ醸成している(いや、ひょっとしたら厭味芸の家元・蓮實重彦氏に対する参加者たちなりの厭味をこめた応接だったのかもしれない。んなこたぁないか)。逆に座談の参加者が一方的に「下を向いて」いる座談なんていうのもあるから油断がならない(具体例は省略)

また座談にも適度な人数というものがあるようだ。『近代の超克』(冨山房文庫、1979/02、Amazon.co.jp; 座談会は1932年に行われた)などは、参加者が多すぎてわけがわからなくなっている。

小林秀雄にいたっては、辰野隆(仏文学者、1888-1964)、青山二郎(美術評論家、装幀家、1901-1979)との座談(「鼎談」、『文學界』、1947)でのっけからこんなことを言っている。

辰野 座談会廃止論でもやらないか。

小林 ほんとにどうして日本には、こう座談会がはやるかな。雑誌編輯者の単なる骨惜みでもあるまい。

辰野 つまり上ッ面の知識を入れて早く訳知りになろう、こういう気もちが非常にあるんじゃないかね。ずいぶんあるぜ、きっと――。

小林 日本のインテリゲンチアというのは、日常生活で座談会ばかり開いてるんだね。きっと。だから、雑誌の座談会記事なんか面白がるのだ。

辰野 その座談会に出るのが、たいてい決ってるんだ。頼むと来る奴を呼ぶということもあるな。例えば俺なんかにすぐ狙いをつけやがる。

小林 傍で速記なぞとられて正気でいられる人間はまず少い。まず精神の消費以外のものではないですね。話すやつも読むやつも精神を消耗させるだけだ。どいつもこいつも頭の中に速記者を同居させているというのが現代風景なんですかね。まあ、久しぶりで辰野先生にお会いできるのはいいけれど。

辰野 第一、僕はタネが尽きたね。何にも喋ることがありません。

青山 座談会っていうのは、どうして専門のことを要求するんでしょうね。

辰野 それからね、座談会っていうものは、結局素材なんだ。座談会を更に編輯する技能がある人がいて、それをウンと脚色すると読めるようになるな。面白いことにね、座談会に出ると素材だけでは我慢できない人がある。俺に任せろ、こんな粗雑なものを読者に読ましては相済まないから読めるものにしよう。こう言って引受けて纏める人があるね。(中略)

青山 だけど、どうしてチャンと腑に落ちなければいけないんでしょうね。山がなけりゃいけないし、放談会じゃいけないんでしょう。

辰野 放談にしても編輯しなくちゃならないね。そのままじゃダメらしいな。それは舞台の上における自然が実に技巧的なものであるのと同じことだね。

青山 それに又、座談会摺れの連中がやってるんじゃないですかね。

辰野 そうじゃないね。結局、舞台において自然な芸というものは、実に技巧を凝らしたもので、それと同じなんだ。

青山 だけども、われわれがふだん酔っ払って喋ってるのは面白いんだけどね。

辰野 ということは、だね、その面白い時にはどういう条件がそこに具ってるか。青山さんが睡たい顔をしてるとか、小林君が眼に包帯してるとか、あの人のネクタイが曲がってるとか、いろんなことが条件になって面白いんじゃないかな。ところが、座談会記事というものは、そこに本人がいるわけじゃなし、声が聴えるわけじゃなし、活字でもって自然を現すんだから、そこに技巧が要るんじゃないかな。座談会っていうものは、外国にはない。ただフランスでは……(以下略)

『小林秀雄全作品15 モオツァルト』 ここに書き写すために読み直していたら、つい面白くてずっと引き写すところだった。この座談、一見弛緩しているようでいながら面白い。座談を行う当事者にとっては文字にならないあれこれが条件になるという指摘ももっともだ。ちなみにこの座談は、『小林秀雄全作品15 モオツァルト』(新潮社、2003/12、Amazon.co.jpに収録されている。


『丸山眞男座談集1』 人が複数いることで生じるテンション(緊張)と、一人(単著)で考えることの先や外へ出て行くような運動があってこそ座談の愉悦は生じる。それぞれの奏者がどこまでもクールでありながら奏者たちのあわいに生じる演奏がホットなジャズのセッションのような、そんな座談が増えるだけでも、文芸誌や論壇誌はもうちょっと面白くなるのだけれど。そういえば「座談の名手」とも言われた丸山眞男や久野収はどんな座談をしてたっけ。読んでみよう。

『座談会 昭和文学史』全巻の構成は以下のとおり。

★第一巻
 第1章 大正から昭和へ(加藤周一)
 第2章 谷崎潤一郎と芥川龍之介(中村慎一郎)
 第3章 志賀直哉(阿川弘之)
 第4章 プロレタリア文学(小田切秀雄+島村輝)
 第5章 横光利一と川端康成(川端香男里+保昌正夫)

★第二巻
 第6章 島崎藤村(加賀乙彦+成田龍一)
 第7章 演劇と戯曲 戦前編(大笹吉雄+今村忠純)
 第8章 演劇と戯曲 戦後編(つかこうへい)
 第9章 柳田国男と折口信夫(岡野弘彦+山口昌男)
 第10章 宮沢賢治(ロジャー・ハルバース+西成彦)

★第三巻
 第11章 永井荷風と坂口安吾(川本三郎+荻野アンナ)
 第12章 大衆文学 戦前編(安岡章太郎)
 第13章 大衆文学 戦後編(佐高信+関川夏央)
 第14章 太宰治(長部日出雄+野原一夫)

★第四巻
 第15章 石川淳(丸谷才一)
 第16章 小林秀雄(米原万理+山城むつみ)
 第17章 三島由紀夫と安部公房(中村彰彦+沼野充義)
 第18章 大岡昇平(樋口覚+奥泉光)

★第五巻
 第19章 原爆文学と沖縄文学(林京子+松下博文)
 第20章 翻訳文学(清水徹+柴田元幸)
 第21章 在日朝鮮人文学(金石範+朴裕河)
 第22章 女性作家(島津佑子)

★第六巻
 第23章 大江健三郎の文学(大江健三郎)
 第24章 昭和の詩(大岡信+谷川俊太郎)
 第25章 戦後の日米関係と日本文学(小田実+古井由吉)
 第26章 昭和から平成へ(高橋源一郎+島田雅彦)


ことのついでにと、愉快な座談書リストを作りかけたのだが、あまりにたくさんあるので断念(根性なし)。

最後に少しだけ話を戻そう。目下、東京都写真美術館で開催されている「中島健蔵展」では、作家、仏文学者、ジャーナリスト、写真家であった中島健蔵(1903-1979)の生誕100年を記念する回顧展が催されている。といっても現在、書店のデータベースを検索しても中島の著作はほぼ品切れ状態なので気にかけて探さないと彼の本を読む機会はないかもしれない。同展覧会には、中島の蔵書や著作、ノートのほか、彼が折々に撮った作家たちの写真が多数展示されている。堀田善衛(余談だがこのつどスタジオ・ジブリから堀田の作品が復刻刊行される。こちらを参照)、草野心平、広津和郎、宇野浩二、谷崎潤一郎、川端康成、火野葦平、巌谷大四、井伏鱒二、豊島与志雄、米川正夫、大佛次郎、佐藤春夫、阿部知二、志賀直哉、武田泰淳……とアトランダムに名前を拾ってゆくだけでもおわかりのように、それこそ「昭和文学史」を担った作家たちのきどらない写真を観ることができる。板場でかつおのたたきをつくる渡辺一夫、リキュールグラスを片手にソファでご満悦の吉田健一、ハードムースを使ってもそんな髪形にするのはむつかしそうな若き日の加藤周一など、眺めているだけで愉快このうえない。幸い(?)「レベルX」(「2004年01月31日――潜在性を展示する方法」を参照)のように混雑することもなく、ほとんど貸切で観ることができる。この愉悦の空間に足を運ばない手はないだろう。同時に開催されている「60億の肖像――田沼武能写真展」にも、戦後日本の風景のほか、「文士・芸術家の肖像」と題されたセクションが設けられている。こちらでも1950年代から1970年代にかけて撮られた作家たち(中島健蔵の被写体と重なる部分も多く、そういう意味でも興味深い)を観ることができる。それにしても、ここでもタンブラー片手に悦に入っている吉田健一に出会って脱帽しました(笑)。関係ないけれど、吉田健一ってジャック・タチの映画に出てくるユロおじさんにどことなく似てますね。余談に余談を重ねてなにを話しているのかわからんようになったところで、今日はお開きといたします。ご静聴ありがとうございました。

「中島健蔵展」「60億の肖像――田沼武能写真展」はともに2004年02月22日(日)まで。

中島健蔵展ホームページ‐同展の案内があります。



■2004年01月31日(土)――潜在性を展示する方法

『レベルX』 2000年から2001年にかけて神戸ファッション美術館水戸芸術館で開催されたBIT GENERATION 2000(その後、せんだいメディアテークで「BIT GENERATION 2000+1」として開催)につづく美術館でのヴィデオゲーム展「レベルX」東京都写真美術館で開催されている。

本展覧会は、任天堂の家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」の発売20周年を記念して、同ゲーム機用に開発されたソフトを展覧に供したもの。会場には所狭しとファミリーコンピュータ用のソフト1200本が陳列されている。モノとしてのソフトをこれだけ揃えての展示はやはり圧巻だ。

ひたすら並べられているソフトを見ながら、自分がいかにゲームに時間と労力をつぎこんできたかを否応なく認識されられる。数えこそしなかったものの1200本のうち数百本のソフトについては実際にプレイしており、かつそのほとんどはクリア(つまり最後までプレイ)しているのだからわれながら呆れてしまう。それらのソフトをプレイするために費やした時間を試算してみようかと思いついたのだったが、余生を心安らかに送るためにもやめておくことにする(もちろん同展覧会に出展されているのはファミコン用のソフトに限定されており、ここにパソコンやファミコン以外のハードが加わったなら事はさらに深刻だ)。

――という余談はさておき。本展は陳列物の性質上、観覧者を三種類に分類する。第一は、私のように子供のころからゲームにどっぷり漬かって育った者。この種類の観覧者にとって本展覧会は、自分がそれらのソフトで遊んだ時間について思い起こさせる記憶のトリガーが陳列された回顧展である。第二は、やはりゲームを遊んで育ってきたもののここに展示されているゲームを実際にプレイしていない者。そうした人にとっても本展覧会は興味深いものであることに違いはない。しかし第ニの観覧者の存在は、ヴィデオゲームを展示する難しさを示してもいる。実際、会場には小さなお子様がたくさん来場していたのだけれど、彼/彼女らにとってはこの展覧会に並ぶゲームは、遊んだことのない、歴史に類するゲームの山である。その場合、陳列されたソフトはただその見えるままのモノに過ぎない(第三の観覧者はゲームをプレイしたことがなくまた関心を持たない者なのだが、ここでの議論では大雑把に第二の観覧者と同様に考えてさしつかえない)

ことさらいうまでもないことだけれど、ヴィデオゲームは自分でプレイしてなんぼのものである。ソフトのパッケージを眺めてもそのゲームについてはほとんどなにもわからない。もちろん会場には、何台かの試遊台が設置されており、それらの試遊台では何種類かのゲームを実際にプレイすることができるようになっている。誰かがプレイしているあいだは、見ているしかないし、プレイするために行列をしていると、いったい自分は美術館にいるのかゲームセンターにいるのか判然としなくなってもくる。いや、そこがどこであってもかまわないのだが、そうすると逆になぜ美術館でゲームの展覧会が催されるのか、そこは自分の部屋やゲームセンター、あるいは東京ゲームショーのような販促イヴェントでゲームをプレイするのとどう違うのかが判然としなくなるのだ。

『本棚の歴史』それは丁度、書物の内容についての展覧会を開催するのと同じ困難である。そのことは、たとえばどこか手近な文学館に足を運ぶとわかる。書物の外見を展示することはできるし、あるページを開いて閲覧に供することもできよう。しかし、書物の内容自体を展示することはついにできないのである。なんてことはいまさら言うことでもないかもしれないが、書物は誰かに読まれるとき、そしてそのときだけその内容が顕在化する。ならば、誰もが手にとれるように書物そのものを会場に置けばよいではないか。といっても会場で数時間を費やして来訪者がその書物を読むことは、種々の制約から困難だ。第一めんどうくさい。というのは、大量複製される書物を前提に考えるからで、世界でただ一冊しかない書物であれば、やはりそれを読みたい人はそこに赴いて読むほかはないのだから、そうした展示は不可能ではないだろう。というかそれは図書館で行っていることだ(余談になるが、先日白水社から邦訳が出たヘンリー・ペトロスキー『本棚の歴史』(白水社、2004/01、Amazon.co.jpには貴重な書物が鎖でつながれていた時代の話などが載っていて興味深い)。

ヴィデオゲームもまた、それを誰かがプレイするそのときだけその内容が顕在化する形態の作品である。もちろん絵画でも作品に潜在するものが観者がそれを観るそのつど顕在化するのは同様であるが、絵画がその前に立つ複数の人の視線にはじめから開かれてあるのに対してヴィデオゲームは、実際にプレイされるまでプログラムはメモリー上にそれとは見えない形でしか存在していない(本にたとえれば各ページに文字が印刷されてはいるものの、実際にページが開かれ、読者が眼をとおすまで他のページはそれとは見えない形でしか存在していない)。しかもプレイヤーの操作によってゲームの状態はそのつど異なる展開を見せる(たとえ一本道のゲームにおいてであっても)。このような作品を、いったいどうしたら十全に公な場所で展示することができるのか。

『BIT GENERATION 2000』 先に言及した「BIT GENERATION 2000」では、美術作家ジョセフ・コスース(Joseph Kosuth, 1945- )の作品「一つで三つのシャベル」(One and Three Shovels, 1965, 滋賀県立近代美術館所蔵, 写真はこちらを引き合いにだしつつ、「アトムとビット」というテーマのインスタレーションを展示していた。コスースの作品は、実物のシャベル、そのシャベルの実物大の写真、辞書におけるシャベルという言葉の定義を並べたもの。「BIT GENERATION 2000」をディレクションした桝山寛は、ラケットを操作して飛んでくるボールをはねかえす初期のヴィデオゲーム『ポン』(ATARI、1972)と実物の卓球台を並べてコスースをパラフレーズしている。

しかしこの意欲的な(?)試みはかえってヴィデオゲームが備える「潜在性」という特徴を見えなくしてしまう展示でもあった。問題は「アトムとビット」ではない。どういうことかを同展覧会の別の展示で説明してみたい。「コンピュータ・グラフィックスの進化」についての展示では、いまや任天堂の代表的キャラクターであるマリオのグラフィックが、ハードの性能とともにどのように変化してきたかを見せていた。最初にファミコンで表現されたいかにもドットが粗いマリオ(二次元)が、つぎにグラフィック機能が向上したスーパーファミコンでより細かく表現されたマリオ(二次元)が、そして最後になぜかマリオの人形がおかれている。「最新のハードではついにマリオが三次元で表現されるようになった」と添え書きがしてある(マリオの人形の前で私が滂沱したことは申し添えるまでもあるまい)。これもまた「アトムとビット」の「アナロジーの罠」とでもいうべきもので、これでは三次元の計算でグラフィックスを表示することの意義がなにも伝わらないどころか、かえって誤解だけを招くのではないか。三次元でコンピュータ・グラフィックスを処理するメリットは、モデルと動き(モーション)のデータを用意さえしておけば、ぱらぱら漫画の駒のように動きに対応する絵をあらかじめ全部用意しなくても、必要な絵をそのつど代数幾何学的な計算を施すことで算出できることだ。潜在的にあるものをそのつど条件を変化させながら顕在化させること。これは、いま述べた三次元のコンピュータ・グラフィックスの特質であると同時に、ヴィデオゲームの特質でもある。

――って、なんだか「ネタにマジレスかっこ悪い」の見本みたいなコメントですが、コスースを引き合いに出している割には落としどころがまずいのではないかと思い余ってこんなことを考えたわけでした。オホン。

もし私がキュレーターなら、美術館でヴィデオゲームを展示する以上は、なにはなくとも次の三つのものを併置したい。一つめはゲームそのもの。二つめはそのゲームの実体(より正確には実体に変換される前のコード)であるプログラム。三つめは、そのプログラムがハードのメモリ上で処理されてTV画面にゲームの画面を表示する過程とプレイヤーからの入力が反映される過程を可視化した映像作品。つまり、ゲームのルールと条件を潜在的な形で表現したプログラムが、いかにして実際のゲームとして顕在化しているのか、というカラクリを可視化するのである。もし可能なら、そのプログラムのもととなった仕様書やメモも併置したい。もちろん、プログラムについての知識や経験がなければ、プログラムを見せられても意味はわからないだろう。しかし、ただゲームの画面を見るよりはおぼろげながらもその正体が見えるだろうし、自分でソフトの開発環境でも持っていない限りは体験できない空間に触れることもできる。第一そうでもなければ先に述べたように、わざわざ自分の部屋やゲームセンター以外の場所でゲームの画面を見る意味も薄いだろうし。

『ミュージアムの思想』――と書いてはみたものの、ひょっとしたら観客の多くはそんなことにはおかまいなしに、こうした展覧会を、東京ゲームショウを観に行くのとかわらないようなノリで愉しんでいるのかもしれないのでそうだとしたら以上はまったくもって野暮な話ではある。でも、そうするとやっぱり美術館でゲームを展示する意味がよくわからなくなっちゃうんですね、個人的には。松宮秀治『ミュージアムの思想』白水社、2003/12、Amazon.co.jpにはなにか手がかりになることが書いてあるかしらん。読んでみよう。

『ファミリーコンピュータ 1983-1994』ファミリーコンピュータ用に開発されたソフト1252本を写真入りで発売日、発売元、価格のデータ、解説とともに掲載した同展覧会の図録『ファミリーコンピュータ 1983-1994』(太田出版、2003/12、Amazon.co.jpがすばらしい。ゲーム雑誌としては例外的に面白い試みが多いCONTINUE(太田出版)の編集部が協力していることもあり解説文も的を得ている。資料価値も高く、ゲーム愛好家なら手元に一冊あってもよいだろう。

ちなみに、国立国会図書館でもソフトウェアの蒐集をはじめているようだ。近い将来、「ちょっと『たけしの挑戦状』を閲覧しに国会図書館行ってきますね」といった事態も生じるのかもしれない。

「レベルX」は、2004年02月08日まで東京都写真美術館で開催中。



■2004年01月30日(金)――愉悦の経済

『戦国無双』 目下勤務先の仕事で『戦国無双』(コーエー、2004/02/11予定、Amazon.co.jpというソフトの開発に携わっている。ほかの仕事でもそうかもしれないが、ゲーム開発のとりわけ終盤はほとんど生きるために仕事をしているのか、仕事をするために生きているのか不分明になるような、そんな状況がうちつづくのである。常日頃より不良社員である私がそういうテイタラクなのだからして、勤勉なる模範的社員がどのような労働をしているかは推して知るべしだ(昨年、渋谷望『魂の労働』(青土社、2003/10、Amazon.co.jp)を読みながら「ああそうだ、ゲーム開発の仕事もまったくほんとうに『魂の労働』だよこれは」と滂沱したのだがこの話は『戦国無双』からもう少し遠く離れてからしてみようと思う)

2003年の暮れからそんな状況で、今日は何曜日なのか? とか、自由とはどんな状態なのか? といったことがよくわからなくなって久しい昨今、ようやく『戦国無双』の終わりが見えてきた。おかしなもので、ゲームなどを作っていると愉悦の収支のバランスが狂ってきたな、と感じることがある。「愉悦の収支」というのは、いまこの場かぎりででっちあげたエエ加減な言葉だが、要するにひとが作った作品に触れて触発されるのを「収入」として、自分が作品するためにはきだすものを「支出」だとすると、その収入と支出のバランスがおかしくなってくるのである。ゲーム開発の終盤は、寝る⇒ゲームを作る⇒寝る⇒ゲームを作る⇒寝ないでゲームを作る……というループにはいるので、ほとんど世間との連絡がなくなる。うっかりしていると何の断りもなく自衛隊のイラク派兵が決まっていたり、議員の学歴詐称を、見ているほうが「ほかに報道したほうがいいことはいっぱいあるんじゃ」と心配になるほど熱心に報道していたりする。

それはともかく、愉悦の収支が狂うと身体の調子も狂う。調子が狂うというと、そこはよくできたもので、身体が狂ったバランスを回復すべく偏った収支をなんとかしようとする。外を歩くと身体が勝手に劇場や書店、レコード屋といった場所に吸い込まれるのである。ただし、今度は収入過多になるというとこういう場所で益体もない文章を公開したりするのだから始末におえない。もっとも無責任なことを言えば、誰にも自分が読む文章を選ぶ権利があるので安んじてこんなことを書き流しもするのである。

「哲学の劇場」の更新やメールマガジンの発行が滞っているけれど、こちらもぼちぼち作業を再開してゆく所存。2004年もよろしくお願いいたします。





■2002年10月26日(土)――図書館に住む生きた図書館(viva bibliotheca)

工作舎のWEBサイトからお越しの方へ
佐々木能章『ライプニッツ術』(工作舎)の書評は、こちらへ転載しました。



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