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01.ソクラテス以前 Presocratic philosophy

■「ソクラテス以前」とは?

哲学の歴史のはじまりを画定する用語に「ソクラテス以前」という言葉がある。ここでも目次を見てもらえばわかるように、この分類をひとまずは採用している。意味は読んで字のごとし――と言いたいところだが少し注意が必要だ。ここではまず、この「ソクラテス以前」という概念について検討しておこう。また、この検討を通じてわたしたちが「ソクラテス以前」について考えるための資料についても触れる。

「ソクラテス以前」(【英】Presocratic; 【独】Vorsokratiker)。文字どおりに受け取れば、時間的(時代的)にソクラテス(Sokrates, 0470/0469BC - 0339BC)に先立っている、という意味であろう。ところがやっかいなことに必ずしもそうではないらしい。どういうことだろうか。

今日わたしたちがソクラテス以前の思索に触れようという場合に欠かせない書物がある。書名を『ソクラテス以前の人々の断片集』(Die Fragmente der Vorsokratiker)という[★001]。邦訳書ではもう一歩踏みこんで『ソクラテス以前哲学者断片集』と訳している[★002]。これはどのような書物か。

 ★001――
Hermann Diels + Walther kranz, Die Fragmente der Vorsokratiker(Weidmann, 1903)
 ★002――
H.ディールス+W.クランツ編『ソクラテス以前哲学者断片集』(内山勝利編、全5巻+別巻1、岩波書店、1996-1998) また、「初期ギリシア哲学の分野から代表的な自然哲学者」を選び出して編集されたダイジェスト版として、日下部吉信編訳『初期ギリシア自然哲学者断片集』(3分冊、ちくま学芸文庫、筑摩書房、2000-2001)もある。

編者はドイツの古典文献学者ヘルマン・ディールス(Hermann Diels, 1848-1922)。後に弟子のヴァルター・クランツ(Walther Kranz, 1884-1960)が加わる。「断片集」というがどのような断片が集めてあるのか。この書物に集成されているのは、古典ギリシア時代の100人近い思索家(とりあえずここではそう呼んでおく)について後世の人間が書き記した資料や引用、本人が書いたと推定される著作の断片だ。ディールスとクランツはこれらの断片を膨大な資料から取りだし、通覧に供す「ハンドブック」(ein Handbuch)としてこの書物を編んだ。この労作のおかげでわたしたちは「ソクラテス以前」の思索家――たとえばタレスやアナクシマンドロス――に関するギリシア、ローマの著述家たちの記述や引用を読むために、あれやこれやの資料とくびっぴきにならなくて済むのだ。以下、わたしたちも同書を大いに使わせていただく。

ディールスとクランツの書物は「ソクラテス以前」と題しているものの、デモクリトス(Demokritos, c0460BC-c0370BC)クリティアス(Kritias, c0460BC-0403BC)など、時代的に見ればソクラテスと同時代あるいはソクラテス以後の人物も扱っている。これはどうしたことか。なぜディールスとクランツは同書を「ソクラテス以前以後」とせずに「ソクラテス以前」と題したのか。同書第5版にクランツが寄せた「まえがき」に説明がある。

「……『ソクラテス以前』とは、厳密に解するならば、『ソクラテス派』以前の人たちのことであり、文字通りに『ソクラテス』以前の人たちを指すのではないのである。(中略)さらにしかし、本書にはソクラテスの同時代人が多数登場するし、またそれ以上に多くソクラテスより長生きした人たちが登場する。にもかかわらず、この著作は一つの統一性を保持している。ここにあるのは一つの哲学だということ、すなわちソクラテス(ないしプラトン)の考え方をとる学派、したがって『ソクラテス以前』でもなければ『非ソクラテス的』でもない古代哲学を経由していない哲学だということに、その統一性は由来している」

(「第5版へのまえがき」、S.VIII; 邦訳書別巻、p.14)

少し回りくどい言い方がされているが、要するにこういうことだ。ここで「ソクラテス以前」というのは単に時期の前後を意味するのではない。そうではなくて、ソクラテス=プラトン(と並べる訳は後々あきらかになる)的な哲学を経験していない哲学という意味で「ソクラテス以前」という統一性がある。クランツはそう言っている。この表現にはソクラテスをひとつの画期とみなす価値観が表明されている。とはいえ、ただちにソクラテスを○としてそれ以前を×とするという意味ではない。仮にソクラテスの哲学をよしとする人物がいたとすれば彼/彼女は「ソクラテス以前」の思索者たちをいまだソクラテスの境地に達しないものと位置付けるかもしれない。逆にF.ニーチェM.ハイデガーのように、ソクラテス以前の哲学にこそソクラテス以後失われてしまった思索があるのだと価値づける論者もいるだろう。

では、わたしたちはどう考えるのか? さしあたってはいずれの立場にも立たない。そのような位置付けをする前に、まずはこの「ソクラテス以前」という分類の指標がどの程度妥当するものなのか、両者に差異があるのだとしたらそれはどのような差異なのか、またそれはなんらかの意義をもつ線引きなのか――こうした問題意識をたずさえて個々の思索をみてゆくことにする。だから本章のタイトルを「ソクラテス以前」としてはいるものの、事と次第によっては後で破棄することになるかもしれない。いまはひとまず、わたしたちが参照する資料の編者らがなにゆえその資料に「ソクラテス以前」と冠したのか、このことを確認するにとどめておこう。

ではいよいよその内実の検討にとりかかろう。




■なぜ哲学史はタレスからはじまるのか

それにしてもなぜ哲学史はいつもタレスからはじまるのだろうか? またもや脱線に見えるかもしれないが、これは存外重要な問題だ。なぜ重要か。ごたごた言わずにすぱっと「哲学史はタレスからはじまる」と言って先に進めばよさそうなものではある。しかし、それは「哲学」という営みがなにか明白な営為であるという前提がある場合の話だ。なるほど誰にとっても哲学が紛れのない明確な輪郭や対象を備えた営為であるなら、わたしたちも淀みなく哲学史を開始することができる。しかし「哲学とは何か?」 これは存外面倒な問題だ。いやいや、「とは何か」などと規定しようとするからいけないのであって、生き方を教える知恵やそれについて考えることを哲学と言えばいいじゃないか、そう言う向きもあるだろう。ビジネス書などに見られる「人生哲学」というやつだ。

しかしもし哲学がそれだけのことなら、わざわざ哲学などという言葉を使う必要もない。「人生論」とか「人生談義」とでも言えばことは済む。とはいえ有りうべき誤解を避けるために言えば、わたしたちは哲学をなにか有り難いものであるとか、高尚ななにかであるとか、そういう風に思っているわけではない。わたしたちが生まれた時代には、すでに諸々の学問や作品が膨大にあった。そのひとつに哲学があった。――と言っても日本の中学高校には哲学の授業はない。あるのはしばしば「政経」とセットになった「倫理」だが、これは修身のなれの果てのようなもので哲学と題していないように哲学ではないのだが――他の諸学が対象や方法の点でわりと直感的にわかりやすい(わかった気分になれる)のに較べて、哲学とは得体の知れないものだ。

そんなわけで、わたしたちは早くも躓く。なぜ哲学はタレスからはじまるのか? そしてその場合「哲学」とはなにを意味しているのか。

タレス自身が「わたしこそは哲学をはじめた最初の哲学者である」と言ったわけではない。そもそもわたしたちが知る限り、タレスの著作は現存していない。誰がタレスを哲学者の鼻祖に据えたのか? それはアリストテレス(Αριστοτελησ/Aristoteles, 0384BC-0322BC) [★001]。ためしにアリストテレスの『形而上学』 [★002]をひもといてみよう。冒頭にアリストテレス以前の「哲学者」たちの仕事を吟味するくだりがある。そこでアリストテレスはタレスを「哲学の創始者」と呼んでいるのだ [★003]

「ところで、最初に哲学した人たちの大部分は質料の意味におけるそれのみを万物の原理であると考えた。(中略)そういった原理の数や種類についてはすべての人が同じことをいっているわけではなく、タレスはこういった哲学の開祖であるが、水がそれであるという(それゆえ大地は水の上に浮かんでいると彼は主張した)。」

(『形而上学』A983b)

『形而上学』の上記引用につづく部分はアリストテレスによるギリシア哲学史とでもいうべき記述で、その筆頭にタレスがおかれているのだ。アリストテレス以後に書かれた哲学史がタレスからはじめられるのは、主としてこのアリストテレスの主張を手本にしてのことである。ではいかなる意味において、タレスは哲学の鼻祖であるというのか? タレスについて検討してみよう。

 ★001――
アリストテレスのギリシア語表記における語末の「シグマ」は、本来なら形を変えるところだがフォントの都合で語中と同様に「σ」を使う。以下も同様。
 ★002――
アリストテレス『形而上学』(τα μετα τα φυσικα) 原典は LOEB CLASSICAL LIBRARY(2 vol., No.271 & 278, Harvard University Press)で、邦訳は『アリストテレス全集』(岩波書店)のほか、出隆訳が岩波文庫で、岩崎勉訳が講談社学術文庫で読める。
 ★003――
『形而上学』(983b)


(つづく)


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