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| Vol.007 |
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========●メールマガジン「哲学の激情」Vol.007 (02/18/1998)●========
■「哲学の激情」は八雲出と吉田浩がお送りするメールマガジンです。 ●Philosophical Boardをリニューアル(吉田浩)● これまではレンタル掲示板だったのですが、今回のプロバイダ変更によってこちらでCGIを動かすことができるようになった次第。で、リニューアルでどこが変わったかというと、実はたいして変わっていません。ログをたくさん溜めることができるようになったくらいです。しかしながらご存知の通り拙掲示板は従来より閑古鳥が鳴いておりましたので、ほとんどそれも実感できないのではないかと思います。積極的に発言(何を?)していただけましたら幸いです。でも荒らしちゃダメよ。 ●GP MAPに藤沢令夫『プラトンの哲学』を追加(八雲出)● プラトンはおもしろい。ニーチェやハイデガーのプラトン論もおもしろいが、プラトンもおもしろい。ひと昔前まで現代思想関係業界でのプラトンの評判はすこぶる悪く、なんだかとても悪い奴のような書かれようでした。確かに悪い奴かもしれないが、読んでみるとおもしろくて舌を巻く(腹が立つところもある)。まだプラトン自身の作品を読んでいない人はこんなメールマガジンなど破り捨て(ゴミ箱に放り込み)、いますぐプラトンの作品群に向かいましょう。でも5分くらい時間をとれる人はこの書評を読んでからでも遅くはないと思う……。 ●GP MAPにレオポルト・インフェルト『ガロアの生涯』を追加(吉田浩)● ナントモ。読めばわかる。すごい。ガロア。天才。群論。20歳。決闘で死んだ。それもアホみたいな謀略にはまって。あと5歳年取ってれば、うまくかわしたり逃げたりできたろうに。決闘の朝、彼は、後に数学界を驚愕させることになる代数方程式の解法に関するメモの余白に「もう時間がない」と書いた。これ、いずれ絶対に自分の仕事が認められ、そのメモが数学者たちの研究の対象になるだろうことを確信したからこその行為。彼の自信と悔しさ。大人たちは、40年後になってやっとガロアの仕事の重大さに気がつくだろう。そして彼の論文を却下した学士院の老数学者は大恥をかくのだ。ザマーミロ! ●GP MAPにノーマン・マルコムほか『回想のヴィトゲンシュタイン』を追加(吉田浩) ● ナントモ。読めばわかる。すごい。ウィト。天才。哲学。(天才にしては)結構長生きした。次々と繰り出されるアネクドートに爆笑。ほとんど反則。そりゃないよ。ところで、デレク・ジャーマンもよいけれど、ロバート・ゼメキスあたりが「フォレスト・ガンプ」みたいにウィトゲンシュタインの生涯を撮ったらおもしろいと思う。脚本書くから買ってくれ、ロバート。 ●GP MAPにE.ナーゲル、J.R.ニューマン『数学から超数学へ』を追加(吉田浩)● 本メールマガジンを購読してくださっているみなさんはお若いので、柄谷行人『隠喩としての建築』(講談社学術文庫)などお読みになっていないかもしれない。もちろんダグラス・ホフスタッター『ゲーデル・エッシャー・バッハ』(白揚社)も。私がゲーデルの不完全性定理を知ったときは思わず膝を叩いてしまったものです。これは私に限ったことではないと思う。全世界で膝を叩いた奴がどれだけたくさんいたことでしょう。あの当時はどこを歩いても膝を叩く音が聞こえてきたものです。それだけゲーデルは流行っていたのです。このように、どんな凡俗の輩にも膝を叩かせてしまうのが不完全性定理の魅力であり、また罪なところでもあったのでした。 ●GP MAPにR.D.レイン『ひき裂かれた自己』を追加(吉田浩)● 管見によれば、「エヴァンゲリオン」の影響でレインがまた読まれはじめたとのこと。ふーん。それより私の『レインわが半生』(岩波同時代ライブラリー)が半年くらい見つからないのはどうしたことだ。永遠に失われてしまったのだろうか。どうやら版元は品切れのようだし、とても心配だ。どなたか2冊おもちの方、譲っていただけませんか。 ●GP MAPにアリストテレス『形而上学』を追加(八雲出)● 八雲出も書いている通り、決して通読に適した書物ではない。プラトンの対話篇なんかだと小説を読むようにただ読むだけでおもしろいが、『形而上学』の場合はそういう訳にはいかない。でも、自分なりのポイントのようなものを押さえたうえで読めば、なかなか読める。プラトンのイデア説にたいする反駁など、ほとんどイチャモンに近いものがあってとても楽しい。以前『形而上学』に挑戦して挫けてしまった人は、この解説を読んでみてください。
★――――――――――――――――――――――――――――――――― ●フェリックス・ガタリ『分裂分析的地図作成法』紀伊國屋書店● 楽しそうなタイトル。手にとるとわけもなく元気が出てくるのがこの本の特徴だが、いざ読んでみるととたんに元気がなくなってくるのもこの本の特徴。「世界は、可能的なものの相曲面φについて明確に述べることができる審級である。しかし、これらの相曲面は、現実化された区別という基準をもはや満たさないもろもろの対象を構成する。相曲面は互いに区別されると同時に区別されない。ひとつの相空間は、偶然性のひとつの切断Pcに由来するフラクタル的引き延ばしの持続のなかで、ある点θにおけるひとつの可能的な状態を表す」(p.235)……やれやれ。 ●村田純一責任編集『新・哲学講義4 「わたし」とは誰か』岩波書店● シリーズ第3回配本。いわゆる「心の哲学」が主題。このシリーズ、ちょっと食い足りない感じが残る(が、こんなものなのかもしれない)。しかし使い途がないかといえばそうでもなく、たとえばふだんヘーゲルやカント、ハイデガーなどを読んでいる人がこの巻を手にとる光景は興味深い。そういう人には「チッ、心の哲学ってなんだよ。ダッセー」と苦々しく思っている人が多いと思う。本書を読んで「あ、おもしろいじゃん」となるか「やっぱだめだ」となるか。やはり後者が多いかな。 ●プラトン『ソクラテスの弁明・クリトン』三嶋輝夫・田中淳英訳、岩波文庫● 新訳。別に岩波文庫版(久保勉訳)が読みにくかったとは思わないけれど、新しい訳が出るというのはよいことです。ちょっと比べてみませう。 久保訳:また次のように考えて見ても、死は一種の幸福であるという希望には有力な理由があることが分るであろう。けだし死は次の二つの中のいずれかでなければならない.すなわち死ぬとは全然たる虚無に帰することを意味し、また死者は何ものについても何らの感覚をも持たないか、それとも、人の言う如く、それは一種の更正であり、この世からあの世への霊魂の移転であるか。(p.57) 三嶋訳:また、それ(死)が善いものであるという大いなる希望があるということについて、つぎのような仕方でも、考えてみることにしましょう。すなわち、死んでいるということは二つのうちのどちらかなのです。つまり、死んでしまった者は、何ものでもないかのように、いかなるものに対しても何一つ感覚をもたないか、さもなければ、言い伝えどおり、死とはまさにある種の移住、すなわち魂がこの世から他の場所へ引っ越すことなのです。(pp.80-81) もはや好みの問題か。ですます調になった分、やはり新訳のほうが長いようだ。どちらにせよ、古典ギリシャ語原典をお読みになる方には関係ない話です。
★――――――――――――――――――――――――――――――――― どうでもよい話だが、現在の私の経済はほとんど破綻している。経済的に破綻した多くの債務国がなんとかやっているのと同様、私も破綻しながらもなんとか食っていけているのだが。そこで先日、ある決心をした。節約のために(「やむにやまれず」といったほうが正確だが)読み捨て系の書物は購入しない、これである。書店で見かけて手をのばす前に考える。これは「読み捨て系」なのかそれとも「末永く愛用系」なのかと。愛用系と判断した場合には従来どおり購入する。しかし読み捨て系と判断された書籍については書名を読み捨て系書籍リストに書き加え、その後勤務先近くの図書館で借りるようにしなければならない。だから常にポケットに読み捨て系書籍リスト用メモ帳を携帯することにした(一時期 NewtonMessagePad を使用した時期もあったが、余計に面倒くさくなったのでやめた)。しかしその決心からほどなくして、私はさっそく深刻な矛盾に直面してしまった。古書店の愉しみは、さしたる目的もなく本を眺め、たまたま邂逅した良書・奇書を購入することにあると思うのだが、それを実行したところたちまちさきほどの原則と抵触してしまうのである! 読みたくて買おうと思った本すらあきらめて図書館で済ませるのに、読みたいと思ってもいなかった本は安いから・珍しいからという理由で購入してしまうのか。これでは安いからといって買った本をえこひいきすることになりはしないか(珍書・奇書ならまだいい。もっていて楽しいから)。これを続けていると、10年後といわず1年後2年後の私の蔵書には「安いから買った」本があふれかえることになる。これはバランスからいってとてもまずい。いつかは絶対、ガラクタ本の山を前にして泣きをみることになるだろう(積読本の高峰が連山をなしている現在にしてすでにそうだともいえるが)。もし一貫性を保とうとするならば、いくら古書店で安い本を見つけたからといって即購入するのではなく、その本が読み捨て系なのか末永く愛用系なのかを、新刊書店で判断するときとまったく同様に厳格に判断する必要がある。要は、新刊書店においてであろうが古書店においてであろうが、購入するのは末永く愛用系の書籍に限るということだ。読み捨て系の書籍はいくら安くても購入しない、というわけで、現在の私が達した結論がこれである。……しかしこれ、考えてみればこのうえなく常識的で簡単な原則である。世の中の多くのの人々が自然にもっている本能、といってもよい。しかし、この単純明快で常識的な結論に達するまで、私はどれだけもがき苦しんだことだろう! まったくもって情けない話である。なお、ほんとうはもうひとつの解決策として、私がものすごい億万長者になる、というものもあるのだが、それはあまりに非現実的なので考慮から省いた。 #しかし実は、この節約策が古書店の醍醐味を自ら放棄するような苦しい規律を自らに課すことにはたして値するものかどうかが疑問に思えてきたのも事実である。そういうわけで私はいままた、深刻な矛盾に陥り頭を抱えている。 さて、ここが吉田と八雲のダメダメ買書話を長々とお話しするコーナーになってしまっているのではないかという憂慮を禁じえない今日この頃であるため、今回はこれでおしまいにします。実はもっと短くて配信回数の多いメールマガジンを目指しているのですが、なかなかうまくいきません。これだけ長いと読者の方々もさぞ迷惑であることでしょう。八雲出がお送りする次号からは矢継ぎ早にコンパクトなマガジンを繰り出していきますので、今後ともどうぞよろしくお願い申 し上げます。 それではみなさま、お元気で!
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