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| Vol.008 |
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========●メールマガジン「哲学の激情」Vol.008 (03/27/1998)●========
■「哲学の激情」は八雲出と吉田浩がお送りするメールマガジンです。 ●トップページに、HIPPIAS のサーチフォームを追加(吉田浩)● インターネット上で哲学について、有益な情報にたどりつく確率を高めたい。そんなあなたにご利用いただきたいのがこれ。HIPPIAS の "LIMITED AREA SEARCH OF PHILOSOPHY ON THE INTERNET" サービスです。当トップページのカウンターの下にあるサーチフォームに検索したい言葉をいれて"Search"をクリック、またはサーチフォームの下の "HIPPIAS"をクリックすると HIPPIAS のホームページにジャンプします。 ●GP MAPにルクレティウス『物の本質について』の書評を追加(八雲出)● ルクレティウスのように気のきくひとが学校の教師だったらば、小生もちっとは勉強が好きな子供になっていたかもしれません(自分の勉強嫌いを教師のせいにするのもなんですが)。ルクレティウスは言います。「ほら、ちょうど子供たちに苦い薬を飲ませるときに、カップのふちに蜂蜜をつけて飲みやすくするだろ?ぼくもあんな風にむつかしい話がイヤになっちまわないように、こうして詩にのせて愉快にかたりきかせているのさ。ラララ〜。こんな風にして自然の本質が理解できるんだから、きみって幸運」(八雲による自由翻案)。しかし2000年後、訳者の樋口勝彦氏は情容赦なく書きます。「原作は叙事詩詩形で綴られた(中略)詩であるが、散文に訳した」(「まえがき」岩波文庫青605-1、p.3) ●GP MAPに赤松啓介『夜這いの民俗学』の書評を追加(吉田浩)● 光源氏が末摘花を相手に「失敗」をおかしたのは、言ってみれば夜這いがほかならぬ「夜」這いだったからでした。しかし、この場合、後に光源氏が「う。失敗した」と思ってしまったにせよ、夜這いの目的自体はなんら妨げなく達せられたわけで、言い換えれば、その障害は事後的に精神の上におとずれたわけです。風呂上がりに冷蔵庫の牛乳を気持ちよく飲み干したところで、「あら、それ、賞味期限10日過ぎてたけど大丈夫だった?」と忠告(?)を受けたときの気持ちがこれに近いのでしょうか。 ●NOTESにジャン・ブラン『エピクロス哲学』を追加(吉田浩)● 小生、エピクロスを読むと興奮するタチです。なんと言いましょうか、こう、はじめはきちんと椅子に腰掛けて本にむかいあっているのですが、だんだん中腰になってきて(そもそもどうして立ち上ろうとするのかわからないのですが)音読をはじめます(と言っても日本語の訳文を音読するわけですが)。気にそむ一文に出くわすと、反復して音読し、最後は立ち上ります。この後どうなってしまうかは、いろいろな事情でここに書けませんが、ともかく読むと興奮させられる作家というものが何人かあります。みなさんはいかがですか?(本誌では皆さんの体験談を募集しています。哲学の激情「わたしはこの本でこうなってしまう」係までどしどしご応募ください) ●GP MAPに『エピクロス 教説と手紙』の書評を追加(吉田浩)● やはり解説書よりは、より原典に近いものを読むときのほうが、より興奮するわけで・・・――以下、42文字、検閲により削除――・・・思うに、カール・マルクスが大英博物館で図書館の椅子を壊してしまったのは、きっと興奮の度が過ぎたからなのじゃないかと睨んでいます。 ●「おしらせ」にアクセス3000件記念第1回読者プレゼントを追加(吉田浩)● 吉田浩と小生のダメダメ買書生活の顛末は、誰にたのまれるわけでもなく、本誌でもときおりその一端をご紹介しておりますが、来るアクセス3000件を記念いたしまして、これらダブり本をプレゼントすることにあいなりました。条件やプレゼントの内容など、詳しくは上記 URL まで。 1998年05月26日追記:本件は当選者が出ましたので、掲示を終了いたしました。(八雲出)
★――――――――――――――――――――――――――――――――― ●ガストン・バシュラール『否定の哲学』(中村雄二郎・遠山博雄訳、白水社イデー選書)● ある名前にその名前を持つ固有の人物のイメージがつながっていて、同じ名前(を持つ他の人物)にふれるとすぐさまそちらのイメージが想起されてしまうということがしばしばあります。過日、劇団四季のパフォーマンスによるミュージカル『美女と野獣』を観ていたときのことです。登場人物のひとりに、ガストンという名のマッチョでモテモテの色男がいるのですが、どうもその名前が別の人物のイメージ――あの麦わら帽だかなにかをかむった髭もじゃ好々爺のイメージ――を主張してやみません。そのイメージが気になる小生は舞台にガストンが登場するたびに、「誰だ、この髭もじゃは?」とそのイメージをひねくりまわしたのですが、とうとうそれ以上のことを思い出せずにおりました。後日渋谷の某書店で本書が再刊されているのを発見して「バシュラール!」と叫んだ小生、古書で探していた本書を二重のよろこびにつつまれながらレジに運んだ次第。 ●文庫クセジュ・シリーズが装いも新たに● 邦訳版の文庫クセジュもこの4月の新刊でシリーズが800点を数えるそうです。同文庫の作品を小生はまだ、30点ほどをしか読んでいませんが、どの作品を読んでも感じるのは、小さな書物だからといって手を抜かず丁寧に作られているのだなあ、ということです。たとえばそれは、巻末の索引と読書案内をかねた参考文献の一覧からも垣間見ることができます(すべての作品に必ずついている訳ではないようですが)。一過性の読み捨て本が洪水のように書店の棚からあふれる昨今、この小さな硬派は頼もしいシリーズです。 ちなみに4月の新刊は『ダンテ』『ワインの文化史』『ミシェル・フーコー』です。
★――――――――――――――――――――――――――――――――― ご無沙汰をしております。あたたかい春の陽射しが待ち遠しいこのごろ、いかがお過ごしでしょうか。哲学の激情 Vol.008 をお送りします。 いつだったか松岡正剛氏が朝日新聞のコラムで、昔は書店で本を買うときには店の親父になにを読んでいるかをチェックされているような気がしてひとり緊張感を味わったものだが・・・、と述懐しているのを読みました。もっともそれは松岡氏も続けてご自分でおっしゃっているように、多分に自意識なのであって、実際に店主がお客の買う書物を(マーケティング的な意味ではなく)チェックをしているかどうかはわからないことです。とはいえ、現在でも幾つかの古書店などではそのような緊張感を味わうことがありますね。 一方そうかと思えば西垣通氏が同紙のコラム「メディアの森」(1998年3月14日夕刊)で述べているように、昨今の書店は「分類がお粗末」だし「アルバイトが多いせいか、まったく頼りにならない」という点についても思い当たるフシが多々あります。 先日某書店でバロウズの『裸のランチ』が『裸のサル』という書物と隣り合わせで、トンデモ本コーナー(と思われる場所)に並べられているのを見かけたり(僭越ながらバロウズをしかるべき棚に差し直しておきました:-)、お客からジューヌ・ヴェルヌの小説について尋ねられたと思しき三名の店員が、
A 「お前、ベルヌって知ってる?」 というやりとりを白昼堂々とやってのけていたりするのに出会うと、おもしろかなしい気持ちになってしまいます。とはいえ、前者はヒューモアのあるお客の仕業かしれないし、後者は来客の薄っぺらな自尊心をくすぐってあわよくば購買意欲を加速させるための演劇かもしれないわけで、――小生は放っておいても買う方なのでその手は桑名のなんとやらですが――なにがほんとうのところなのかはわからなかったりもするから注意が必要です。 そんなことを思いつつ先ごろ雑誌をぱらぱらやっていると、ラインホールド・ニーバー『道徳的人間と非道徳的社会』(白水社イデー選書から3月下旬に刊行予定)のこんな広告文に目が止まりました。 「リベラリズムとマルクス主義を<社会倫理>を通して再検討し、倫理学と政治学に新生面を拓いた不朽の名著。アメリカ民主党の精神的支柱となり、丸山道男をも本書から多くを援用している。」 これもまた、なにか巧妙にしかけられた・・・。
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