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| ホーム > メールマガジン「哲学の激情」 > |
| Vol.015 |
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■「哲学の激情」は八雲出と吉田浩がお送りするメールマガジンです。 ■不定期配信です。いつ来るかわからないので気を付けてくださいね。 ■ご希望、ご感想、文句などドシドシお寄せください。 |
| ■サイト更新状況 (2001/01/07〜 ) |
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●Geo-Philosophical Book Map【書評集】
以下の書評を追加しました。 ★鶴見俊輔『限界芸術論』(北村洋) ★R.ウィリアムズ『文化と社会』(北村洋) ★C.ロス『疾走する車、清められる身体――フランス脱植民地化と文化の再構築』(北村洋) ★R.デカルト『方法序説』(八雲出) ★亀山郁夫『ロシア・アヴァンギャルド』(北村洋)
★R.ダイヤー『白さとその表象』(北村洋)
以下の人物情報を追加しました。 ★浅田彰(あさだ・あきら, 1957- ) ★小泉義之(こいずみ・よしゆき, 1954- ) ★Mike Davis(マイク・デイヴィス, 1946- ) ★Gilles Deleuze(ジル・ドゥルーズ, 1925-1995) ★Edmund Husserl(エドムント・フッサール, 1859-1938) ★Lucretius(ルクレティウス, c0094BC-c0055BC) こうして見ると結構更新してるじゃない――と思うのですが、これ2000年 はじめからの更新なんですネ(とほほ)。
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| ■刮目せよ新刊 |
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世に刮目すべき書物は多けれど、まともにつきあっているとこちとらの身が
持ちかねるのもまた事実。もうやけくそなのではないかと思われる昨今の膨
大な出版物のなかから、八雲と吉田のアンテナにかかった書物を紹介するコ
ーナーです。
●『明治の文学』(筑摩書房) かつて『明治文学全集』というやはり筑摩書房から出ていた全100巻ほどの素敵な全集がありました。この叢書は実に愉快な叢書で、文学、詩歌はもちろん、紀行、人物論、歴史論、政治から思想まで明治時代に書かれた多彩な作品が収録されておりました。編者もあまりの愉快さに我を忘れて編集に没頭したため、巻数の増大に気づかずとうとう100巻もの叢書になったとかならないとか(嘘)。 今回の新シリーズ『明治の文学』(全25巻)は、いわばその舎弟分。小説を中心に30人の作家を一巻あたり1から3人ずつで編集。各巻には個別に編集解説者がおり(円朝→森まゆみ、鏡花→四方田犬彦など)作品の選定と解説を担当。シリーズの編者は『ストリートワイズ』(1997)、『シブい本』(1997)、『靖国』(1999)、『古くさいぞ私は』(2000)などの著者・坪内祐三氏。案内がてらに坪内氏の『明治文学遊学案内』(筑摩書房)から読むのもよろしいかもしれません。わたくしとしては、坪内氏が我を忘れて気づいたら先代を超える150巻くらいの巨大叢書にしてくれないかしらんと夢想する今日このごろ。
因みに『大正文学全集』(全15巻+別巻1)はゆまに書房から刊行中。
こんにちは。紹介文鑑賞の時間です。今回は、ハイデガー入門書につけられた紹介文を玩味してみることにしましょう。 「現代思想に計り知れない影響を与え続けているハイデッガーの『存在と時間』。しかし、難解をもって知られるこの書を読み解くのは並大抵のことではない。」――ふむふむ――「本書は、綿密かつ複雑な哲学概念で構成されている『存在と時間』を、」――でも未完だよね――「「存在への問い」というひとつの方向へ向けて整理し、全83節のハイブラウな」――は、ハイブラウな!――「哲学論議を、学問的水準を保ちつつ、くだけた筆に乗せて」――く、くだけた筆! ほんとうか?――「その思考の筋道を解き明かす。ごく普通の言葉と経験を携えて『存在と時間』に立ち向かおうとする読者の好伴侶。『存在と時間』を初めて読む人や、これまでに挫折したことのある人も、本書によって、しかと」――しかと!――「理解できたと実感できるだろう」(同書裏表紙紹介文) この行間にただようウッカリ感はなんでしょうか。読者を誘う気持ちがありあまったためにどこか滑った感じが否めない紹介文となっています。加えて締めの「だろう」は残念です。ここで思いきって「実感できる」あるいは「実感できるはずだ」「実感できなければあなたがおかしい」といった力強い主張が求められるところです。そうでなければ折角挑発的な気分を演出している「しかと」も宙に浮いてしまいます。 原書:Michael Gelven, A commentary on Heidegger's "Being and Time"(Haper & Row, 1970) ●H.L.ドレイファス『世界内存在――『存在と時間』における日常性の解釈学』(産業図書) 「『世界内存在』は、今世紀の最も影響力のある哲学的著作の一つである、『存在と時間』第一部第一篇へのガイドブックである。『存在と時間』第一部第一篇においてマルティン・ハイデガーは、世界内存在についての独創的で力強い説明を展開し、かつ、この説明を用いて伝統的な存在論や認識論への徹底した批判を基礎づけている。ヒューバート・ドレイファスのこのコメンタリーは、「世界」という現象について語るために不可欠な、ハイデガーの厳密で啓発的なボキャブラリーを明るみにだし、この難解な哲学者を新しい仕方で理解するための道を切り開いている」(同見返し紹介文) 筑摩の飄々としたヒューモアに対して高踏的な感じが滲みながらも飽くまでガイドブックの一線を守った節度がうかがえます。『存在と時間』が第一部で全三篇、第二部で全三篇の構成を持つ書物であるのに対して、本書の守備範囲があくまでも第一部第一篇(「現存在の準備的基礎分析」)に限られることを明示している点、さわやかでもあります。安易に同書が読者に提供するメリットを提示していないところも好印象の原因でしょうか。 原書:Hubert L.Dreyfus, Being-in-the-World: A Commentary on Heidegger's Being and Time(Division I, MIT Press, 1991)
●G.スタイナー『マルティン・ハイデガー』(岩波現代文庫) 新シリーズ創刊が大好きな岩波書店からジョージ・スタイナーの『マルティン・ハイデガー』三度目のご登場(参考データ:一回目=岩波現代選書、二回目=岩波同時代ライブラリー、三回目=岩波現代文庫)。よい本は手を変え品を変え……時節に合った装いを得て読み継がれるものなのですね。それはさておき。肝心の紹介文を見てみましょう。 「カント以後最大の哲学者か、読む者を呪縛する言葉の神秘主義者か。極端に評価の分かれるハイデガー。文芸批評家スタイナーは、ハイデガー特有の語法の秘密をあばき、『存在と時間』の核心に光を当てて主著とナチズム関与との関係を読み解く。思想の現代的意義を検討するとともに、近年の論争をも踏まえたハイデガー入門の決定版」 煽りますねェ、惹かれますねェ、煽るだけ煽って最後は「ハイデガー入門の決定版」と締めくくるなんざぁ小憎らしいじゃござんせんか。「極端に評価の分かれる」ところを提示しつつ、ほんとのところどうなのよ? という読者の関心にスタイナーが秘密をあばいて見せるというこの手管。謎の提示→解決の暗示ってそれはあなた、あまりの常套手段であざといといえば言えなくもないですが、そう言われたら引き下がれない秘密を知りたいああ犯人は誰ってんでついつい読んでしまうというものです。帯にはでかでかと「ハイデガー理解の限界に迫る最良の入門書」。もうダメ。岩波現代文庫の紹介文、他のもご覧あれ。ただし、本を買うのに使ってもよいお金を持っているときに。 ちなみに品切れ状態だった訳者・生松敬三氏の著書『二十世紀思想渉猟』(青土社)が今月の岩波現代文庫にて刊行予定とのこと。 原書:George Steiner, Martin Heidegger: with a new introduction(Harper Collins Publishers, 1978, 1989) ――とハイデガー関係で気分が出てきたのでブルデューの本の紹介文はどんなだったかしら、木田元のは、誰のは彼のはと悪ノリしたいところだったンですが、どれも見つからず諦めた次第。 もっともハイデガーなんぞは高校入学前にドイツ語原典でしゃぶりつくして最早ゲップ(おっと失敬)も出ない「哲学の激情」読者諸賢には不要のご案内であったのではないかとひそかに懼れたりもしています。ここだけの話。
存外、木田元『ハイデガー『存在と時間』の構築』(岩波現代文庫)を読むのが早道だったりして。ここだけの話。
待ってた甲斐があった文庫化です。どこから読んでもおもしろい本。どこからでも読みましょう。縦横無尽に。
原書:Mircea Eliade, Histoire des croyances et des idees religieuses(Edition Payot, 1976, 1978, 1983)
1970年、75年に出ていた長谷川宏訳の全面改訂訳版。
原書:Jurgen Habermas, Technik und Wissenschaft als >Ideologie<(Suhrkamp Verlag, 1968)
タイトルで買い。 刮目してみてください。 |
| ■雑談 |
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ご無沙汰をしております(毎号書いてますが :-)。14号発行以後にご注文いただいた皆様(それ以前から講読くださっているみなさまも!)、たいへんお待たせいたしました。不定期発行とはいえ、あまりの音沙汰のなさに「本当は架空のメイル・マガジンなんじゃないか?」「次号はいつ発行なんですか!」「不定期にもほどがある」「もっとやれ」「田中康夫がんばれ!」「日本の考古学は、日本の歴史はどうなってしまうんだ」等々、励ましのお便りを多数いただいておりながら、どこまでも怠惰な編者二人は広げっぱなしの風呂敷(哲学の劇場各コーナーを参照)を放置。各々好き放題に遊び呆けてWEBサイトは荒れ放題。そんな編者らを尻目に好況と大統領選挙で盛りあがるアメリカ合衆国からただ一人コンスタントに書評を寄稿してくれる第三の同人・北村洋氏(まもなく彼の新しい書評をアップします)。北村氏の仕事ぶりに刺激され「嗚呼こんなことではいけないぜ、さぁ目を覚ませ八雲の」「おうわかったぜ、吉田の」と声をかけあい荒野の草むしりをはじめた編者ら。その手始めとして「哲学の激情」最新号をお送りする次第(一部フィクションを含みます)。
というわけで。忘れたころにやってくる「哲学の激情」第15号をお送りします。でもこんなメイル・マガジンがびゅんびゅん来てもこまるでしょう? ほんとうのところ。
*はじめて「哲学の激情」を読まれる方へ 先日渋谷の某書店をひやかしておりましたら、制服姿の女子高校生が哲学思想書コーナーで本を選んでいるところに行き合わせました。とはいえ。女子高校生が書店の哲学・思想書コーナーにいること自体は別段珍しいことではありません。彼女はハイデガーの『存在と時間』(ちくま学芸文庫)の頁を繰っておりました。もちろんこれもまたなんら特筆すべきことではありません。「あたしだっていざとなりゃ本ぐらい読むわよ」ってなもんで女子高校生ともなれば、ハイデガーはもちろんのこと、デカルト、スピノザ、ヒューム、カント、ヘーゲルといった古典的作家は当然として(前略)レヴィ=ストロース、サルトル、バタイユ……(中略)……バルト、ドゥルーズ、ラカン、デリダ、ジャン=リュック・ナンシー(後略)らの思想書なども、ジョイス、サリンジャー、ジュネ、ピンチョンあるいは村上春樹、吉本ばなな、多和田葉子、笙野頼子を読むのと同じようにかろやかにたのしんでいる彼女たちなのですから。 この変哲もない光景が印象に残ったのは、それに先立つ別の体験と重なるところがあったからでした。 その前日。よく訪ねる古本屋でこんなことがあったのです。 それは駅前にK大学があるH駅周辺の古本屋。店主のほかにはわたししか客がいない夕暮れどき。その若者が入ってきました。書見していたわたしには、まず耳から、ついで鼻から若者の存在が知れました。ドアを開ける音、そしてものすごいムスクの香りで。若者はそう広くもない店内をざっと見まわしてから店主に聞きました。「あのぉすいません、(クッチャクッチャ)わかりやすいハイデガーって(クッチャクッチャ)ありませんか?(クッチャクッチャ)」(括弧内はガムを噛む音)しばし考えた風の店主は「んん、わかりやすい、ハイデガー、ね……」とそこで思案顔らしく顎に手をあててしばらく黙っています。(クッチャクッチャ)その店主が顔をあげて若者に言うには「うちには置いてないねぇ」 困ったような若者は「(クッチャクッチャ)じゃあ、(クッチャクッチャ)どこに行ったら(クッチャクッチャ)ありますか? (クッチャクッチャ)わかりやすいハイデガー(クッチャクッチャ)」と質問を変えます。「なにか……ハイデガーを読む必要があるんですかな」と若者に質問をかえす店主。「(クッチャクッチャクッチャ)いやちょっと、明日までに(クッチャ)レポート書かないとヤバいんっスよ(ごくり)」 リポートの前日にわかりやすい本を求めて古本屋へ駆け込む学生(なにをお間違えになってか時折拙サイトの掲示板にもそういう学生さんがいらっしゃいます)。これもまたよく出会う光景です。大学の図書館に行けばいいのにと思うかもしれませんが、こういう場合すでに図書館の「わかりやすいハイデガー」はあらかた借り出された後。街には3件の新刊書店と4件の古本屋がありますが、新刊書店はどれも例によって漫画と雑誌とベストセラーとIT本を専門とする総合書店ですから「わかりやすいハイデガー」を探すには適当ではありません。 そもそも店先で間違って「すみません、わかりやすいハイデガーはありますか?」と質問しようものなら最後「著者はおわかりですか? タイトルをもう一度おねがいします。それ何関係の本ですか? 出版社は? いつごろの出版ですか?」と質問責めの挙句の果てに検索端末で「わかりやすいハイデガー」を検索。結果「すみません、ちょっとそういう本はありませんね〜」とあしらわれるのがオチ。よくして「ハイデガーでお調べしましたら結構たくさん出てきましたけど、どれもお取り寄せになりますのでご注文いただいてから二週間ほどお時間をいただくことになりますがよろしいですか?」と、実はお客さんに「ちぇ。それじゃあ Amazon.co.jp で買った方が早いじゃないか」と思わせてネット書店に誘導しようとしているのではないかひょっとしてこれもIT革命を推進する森政権の仕業かと思われてもなんら不自然ではない体験をすること畢竟。ですから締切りに追われる学生さんとしては街の新刊書店で探したり尋ねたりするわけにはいきません。 先ほどの学生さんが古本屋へ行ったのはある意味で賢明でした。が、古本屋にも危険はいっぱいだから油断はできません。露台を覗こうものなら五十円百円という過激な値付けでそれはおもしろい本たちが売られており、「俺にはリポートがある」とこれを我慢して店内に足を踏み入れても「ああ、あれ全巻揃いで読みたかったんだよ『レモンハート』」とか「なんで今日に限って山田風太郎がこんなに揃ってるわけ」どうかすると「あれ、『ドラゴンクエストVII』じゃない。もう中古? ほんとに。いやあいいもの見つけたなあ」というので本題を忘れて種々の悦楽にはまる危険が一杯だからです。 それでも目的の本が見つからないとき。その場合もやはり古本屋さんに行くのはよいかもしれません。どうかすると古本屋の主人から講釈してもらえることがあります。古本屋のご主人という方々は商売柄実にいろいろなことを知っていらっしゃる。昔モーレツにハイデガーを読んだなんてご主人に出会えばもう安心。たとえご自身で読んでおられなくとも、古本屋のご主人はどんな本があるかを知っておられるから、ご主人の教えをうけたら後日あらためて大きな図書館や書店へ繰り出せばOK。いずれにしても寛容なことはあまりせっぱつまらせないことですか。万が一「わかりやすいハイデガー」を入手しても、翌日までに読みこなしリポートをものすなんて考えただけでもぞっとしませんから。「ややわかりやすいハイデガー」だった場合なおのことです。 で。女子高校生にもどります。彼女のように高校生のうちにさらさらっと読んでおけば、遊びに忙しい大学時代の貴重な時間をたかがリポートごときのために「わかりやすいハイデガー」を探して街をさまよい苦しんだりせずともよろしいわけです。実にスマート。――とはいえ。多くの会社ではハイデガーのテンポラリテートについてリポートを書かされる機会はありませんし、『モンティ・パイソン』のコントのようにご近所の奥様方との井戸端会議でハイデガーの世界内存在の概念が話題となることはごく希にしかありませんから、仮に学校を卒業して社会人となられている方でいままでハイデガーを読んだことがない方がいたとしてもご心配には及びません。おそらくこれから先死ぬまで読まなくても大丈夫です(こう考えると大人の世界も悪くないですね)。 でももし。「ハイデガー、気になるんだよな、死ぬ前に一度くらい読んでみたいんだよなあ」と思っている方、あるいは「でも来年の昇進試験、どうもハイデガーが出そうなんだよな」と困っていらっしゃる方がいらっしゃいましたら、今号の「刮目せよ新刊」をご参考にしていただければ幸いです。 ではまた、次回「哲学の激情」でお会いいたしましょう。 ご機嫌よう、左様なら。 さあ、次からはびゅんびゅん出すぞ。
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