■創刊の顛末
本誌を創刊した編集者・安原顯は、編集の経歴をふりかえった著作『新版 「編集」の仕事』(マガジンハウス、1999/03)のなかで創刊のいきさつを次のように述べている。
……どうしても雑誌を出したかったぼくは、社長にいきなり企画をぶつけてもダメに決まっているので、岩波書店の『図書』のようなPR誌で、洋書の販促にも結びつく季刊誌を出したいといって口説き(というか騙し)、季刊『パイデイア』を創刊する。この雑誌、欧米の新しい文学や思想の動向を、翻訳を中心に紹介すること、毎号、全ページ「特集主義」でいくことを二本の柱としてスタートする。雑誌のモデルは、後に廃刊になるフランスの特集雑誌『ラルク』だった。(中略)『パイデイア』の創刊は一九六八年、創刊号の「特集」は、その当時、日本でもブームの兆しが見えた「構造主義」をぶつけたところ、多少、予想していたとはいえ、評判は上々、発売二、三日で完売となる(PR誌との建前だったため、一冊百円、部数は五千部だった)。ぼくとしては二、三号で軌道に乗せ、その勢いを駆って本格的な雑誌を出したいと考えていたため、意識的に「売れ線」の「特集」を狙ったのだが、ここまで評判を呼ぶとは思っていなかった。(前掲書、27-28頁)
その思惑があったかどうかわからないが、結果的に同誌は、1970年代以降群生する新しいタイプの思想誌の先駆となった。
■誌名の由来
誌名の『パイデイア』とは、ギリシア語の「παιδια」、つまり「教育・文化・教養」を意味する(創刊号48ページに誌名の由来を解説した一文が掲載されている)。
■特集主義
上記引用のとおり、同誌の特集主義はフランスの雑誌『アルク』を参考にしてつくられた。特に第11号までは、同時代の海外思潮の紹介に注力しており、ブランショ特集(第07号)やフーコー特集(第11号)では、作家本人に依頼した原稿を掲載するなど、原典を中心とした紹介に努めている。第12号以降は、海外思潮に限らないテーマを設定している。
創刊号から第03号まで、裏表紙に同誌の版元である竹内書店洋書部の広告がはいっている。広告では、当該号の特集内容にあわせた洋書のリスト――たとえば創刊号では、レヴィ=ストロース、ヤコブソン、フーコー、ラカン、アルチュセール、デリダなどの作品を掲載している(価格はフランで表示)。
■エディトリアル・デザイン
第04号からはグラフィック・デザイナー・杉浦康平を起用して、従来の思想誌には珍しいエディトリアル・デザインに配慮した誌面となる。前傾書で当時をふりかえった安原はつぎのように述べている。
さて、雑誌の体裁を新しくするにあたり、まず考えたことは表紙と本文レイアウトを斬新なものにすることだった。それには杉浦康平に頼むっきゃないと考え、彼に相談したところ、安いデザイン料にもかかわらず、快諾してくれ、当時としてはかなりユニークな雑誌が出来上がった。(前傾同書、33-34頁)
第11号のフーコー特集号では論文ごとに紙と割付を変えるという実験的なデザインも試みられている。杉浦は本誌のデザインを皮切りに、『遊』(工作舎)、『エピステーメー』(朝日出版社)などのデザインも後に手がけた。杉浦の雑誌デザインは、『疾風雷神――杉浦康平雑誌デザインの半世紀』(DNPグラフィックデザイン・アーカイブ、2004/10、amazon.co.jp)で観ることができる。
■関連文献
・安原顯『決定版 「編集者」の仕事』(マガジンハウス、1999/03、amazon.co.jp)
(2005/07/15 八雲出)