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私は対象が哲学書であれ小説であれ何であっても、深読みや行間を読むことを自分に禁じながら「字義通り」に読むことを肝に命じている。そのことについてはまた別の機会にゆずるとして、今回はニーチェについてちょっと書いてみたい。実は、以上の読書法を掟(?)にしている私がいちばん扱いに困ってしまうのがニーチェなのである。はたしてニーチェを字義通りに読んでいいものかと……。実際、20世紀初頭の支配的なニーチェ受容においては妹のエリザベートやナチスの影響などもあり、ニーチェは(かなり恣意的に取捨選択されたかたちで)字義通り読まれていたと思う。しかし、フランス現代思想を中心とした現在の主流はニーチェの深読みのようだ。字義通り読む人(たいてい右寄り)が提示するニーチェは、なんだか差別的で権力的な人物のようであり、深読みする人(たいてい左寄り)が提示するニーチェは、逆に規範や権力そのものを破壊してしまう人のようである。またずいぶんといい人のようにみえてしまうのも、深読みされたニーチェの特徴である。まあ、人がどのようなニーチェ像を描き出そうと私のような一介のサラリーマンには全く関係のないことではあるが、モノがモノだけに結構気になってしまうのである。そもそもそのように考えるのは「ほんとうのニーチェ」を探しもとめてしまう心性に発するのかもしれない。しかし、こんなことが気になっていつまでも納得がいかない感じが残るのはニーチェだけだということも確かなので、もう少し考えてみたいとは思う。いったい深読みしながら字義通り読む、また字義通り読みながら深読みする、ということはできないものか? といったところで、納得のいかない感じは解消されず、いつまでも後味の悪い思いをし続けるのだろう。
(1997/07/14 吉川浩満) |
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